ふもれすく年譜 1942年(昭和17年)


【1月】 
●辻潤、一月十五日まで広野重雄方、
十六日から菅野青顔方、
三十日から二月三日までふたたび広野方に寄寓。
気仙沼滞在の二ヶ月間は読書三昧に耽る。

【2月】
●2/4 
辻潤、気仙沼を離れる。
ひとまず横浜市鶴見北寺尾一五〇九番地の津田光造方に寄寓。
東京の新婚早々の風間光作方に泊り込んだりもする。

●2/18
大丸留意子、満州から福岡に戻る。
『ルイズーー父に貰いし名は』p154

●2/26
荒木郁子、死去。52歳。
肺炎から併発した心臓麻痺。
最晩年はアルコール依存症になり発狂。
➡『「青鞜」の火の娘』p120〜
 

【3月】
●らいてう&奥村、らいてうの姉一家の別荘の地、
茨城県北相馬郡小文間(現・取手市小文間)へ移り住む。

【4月】
●辻潤、淀橋の西山勇太郎方に寄寓。
また蒲田区南六郷一丁目二八番地の玉生清方に寄寓。

大田区新井宿二丁目一六四七番地の竹久不二彦(竹久夢二次男)方に、孫の野生(ノブは一と無想庵の娘イボンヌの間に生まれた娘、子のいない不二彦夫婦が養女として育てていた)に会いにきて泊り込む。この家には流二、魔子、幸子、エマ姉妹が出入りしていた。

●4/17
らいてう、博史、成城の自宅を知人に貸し、
茨城県北相馬郡に疎開。
姉・孝の別荘そばの家を借り農耕生活に入る。

姉・孝は熱心は大本教信者。
大正時代から日米戦争のあることを予期。
〈東京はいずれ焼野ガ原になる、その時のそなえにと〉
別荘を建てておいた。
➡『わたくしが歩いた道』

【5月】
●5/29
与謝野晶子、逝去。享年63。

【7月】
●辻潤、ふらりと放浪の旅に出る。
京都、大阪を経て、十月の初めごろから奈良県添上郡柳生村の橋本定芳住職の芳徳寺に滞在。
 
【12月】
●辻潤、12月中旬ごろ京都を四、五日ぶらつき、また芳徳寺に帰る。

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