伊藤野枝年譜 1914年(大正3年)19歳


【1月】
●『青鞜』4巻1号。
野枝「ウォーレン夫人とその娘」
「編集より・武者小路実篤氏に」。
西崎花世「恋愛及生活難に対して」。

●1/1
『近代思想』第2巻4号。
大杉「生の創造」。

大杉「時が来たのだ 相馬御風君に与う」。
大杉、相馬論争始まる。

●野枝「新しき婦人の男性観」
(『新婦人』第四年一月之巻
1914.1.1/談話筆記)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第二巻)

●1/3
岩野泡鳴、清子宅で青鞜の新年会。
二月号に写真入りでリポート。

この後、玉名館で社の新年会。
➡『「青鞜」の火の娘』p80

●1/10
大杉、二ヶ月間の病床から復帰。
葉山・日陰茶屋に四、五日滞在。

●1/13
平塚らいてう(28歳)、
置き手紙(『青鞜』4巻2号
「独立するに就いて両親に」)をして
実家を出る。
奥村博との「共同生活」開始。
府下巣鴨町3ノ3/
巣鴨のとげぬき地蔵そば。

〈たしか一月十一日でしたが、
私は「御両親様」と書いた部厚い封筒を
母に渡しました。
それは一万字ほどのものでしたが、
こみあげてくる涙をおさえ、おさえ、
前の晩に夜を徹して
書いたものです。・・・
それから二日目の十三日、
私は予定通り家を出ました。〉
➡『わたくしの歩いた道』p149

●堺利彦、『へちまの花』創刊。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p288)

●1/23
海軍の汚職、シーメンス号事件が暴露され、
民衆の暴動が起きる。

【2月】
●『青鞜』4巻2号。
野枝「出奔」。
西崎花世「恋愛および生活難に対して」

●前年暮れに青鞜事務所に泥棒が入り、
青鞜社、事務所を巣鴨町一二二四へ移転。

●2/1
『近代思想』二巻五号。
相馬御風「大杉栄君に答
大杉「再び相馬君に与ふ」。

●2/6
大杉、堀保子、療養のため
鎌倉町坂ノ下に転地。

【3月】
●『青鞜』4巻3号。
野枝「編輯室より」で
『新婦人』に載った記事
「新しき婦人の男性観」
(『新婦人』第四年一月之巻
1914.1.1/談話筆記)を批判。
➡『野枝さんをさがして』p16

●荒木郁子『火の娘』出版。
『青鞜』4巻3号に
らいてうが書評を書く。

●春ごろ

『青鞜』の発行販売を岩波書店が
引き受ける話がまとまりかけたが、
破談になる。
➡『元始(下)』p505

●3/1
『近代思想』2巻6号。
大杉「叛逆者の心理 ジョルジュ・パラント」

●3/1
野枝「真の要求は女の自覚の後」
➡(『新婦人』第四年三月之巻 1914.3.1)
『野枝さんをさがして』

●3/6
武林夢想庵の養母が死去。
夏に北海道に渡るまで
酒浸りの日々を過ごす。
「君は癩病だってね」と言って
長江に抱きつきキスをする。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p153

●3/21
大杉、平出修の永訣式に参列。

●3/24
山本内閣総辞職。

●3/25
伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』
(東雲堂)出版。
実は辻が翻訳した。

エレン・ケイ「恋愛と道徳」と
エマ・ゴールドマン
「婦人解放の悲劇」「結婚と恋愛」
「少数と多数」の翻訳(辻が翻訳した)、
らいてうの序文、
ケイとゴールドマンの伝記
(ヒポリット・ハヴェル
「エマ・ゴールドマン小伝」の翻訳、
エリス「エレン・ケイ小伝」の
らいてうによる翻訳)。

➡『自由 それは私自身ー評伝・
伊藤野枝ー』
➡平塚『元始女性は太陽だった』
※『読売新聞』1914年6月17日
➡『わたくしの歩いた道』p151

●神近市子(26歳)、尾竹紅吉(富本一枝)
東雲堂から『蕃紅花』(さふらん)創刊。
3月号〜8月号。
神近、東京日日新聞記者になる。
➡『神近市子自伝 
わが愛わが闘い』p116

●島村抱月、松井須磨子の芸術座が
「復活」を帝国劇場で上演。

●菊富士ホテルが完成。
東京大正博覧会の外人客を当て込む。

菊富士ホテル
【写真】地下1階、地上3回の菊富士ホテル

●3/20〜7/31
東京大正博覧会開催。
日本初のエスカレーター登場。
南洋から食人種が招かれる。

日本初エスカレーター
【写真】東京大正博覧会会場に
設置されたエスカレータ

【4月】
●『青鞜』4巻4号。
野枝「惑い」。
『青鞜』4巻4号を最後に
再び発売所が東京堂に。

●4/1
『近代思想』2巻7号。
大杉「主観的歴史論 ピヨトル・ラフロフ」

●4/16
第二次大隈内閣。

●田村俊子の小説「炮烙(ほうらく)の刑」が
『中央公論』4月号に掲載される。

●森田とらいてうの間に激越な論争勃発。

●4/30
大杉、保子、鎌倉町長谷新宿に転居。

●四月末
保持、今治に一時帰郷。
➡『元始(下)』p525

このころ、らいてうと奥村、
西伊豆の土肥温泉へ。
➡『元始(下)』p526

【5月】
●『青鞜』4巻5号。
野枝「西川文子氏の
『婦人解放論』を読む」。

保持研、青鞜社を退社。
青鞜社の事務所はらいてうの家

●5/1
『近代思想』2巻8号。
大杉「智識的手淫」
(『近代思想』廃刊の辞)執筆。

大杉「正気に狂人」。
堺に対する正面きっての批判。
これに対して同号に堺が
「胡麻塩頭」を執筆。

『近代思想』』2巻8号で伊藤野枝訳
『婦人解放の悲劇』賞賛。
〈僕はらいてう氏の将来よりも
寧ろ野枝氏の将来の上に
よほど嘱目すべきものがあるように思ふ〉

堺利彦も『へちまの花』
(第四号1914年5月)の「提灯行列」で
野枝の『婦人解放の悲劇』に注目。
➡『定本伊藤野枝全集第四巻』解題

●5/1
大杉「籐椅子の上にて」が
『民衆と芸術』五月号に掲載。

「乞いねがうものはなにも与えられない、
おびやかすものには多少与えられる、
無法を働くものにはすべてを与えられる」

●5/30
大杉、保子、
大久保百人町の元の住所に戻る。

【6月】
●『青鞜』4巻6号。
野枝「S先生に」「読んだものから」。

●らいてう、
巣鴨上駒込四一一、妙義神社前へ移転。
青鞜社の事務所を自宅に置く。

月10円で野枝が4人分の
食事(昼と夜)を作る。
らいてう夫妻、がさつな野枝に呆れて、
共同炊事は一ヶ月も続かず。

●6/18
東京モスリンの争議弾圧される。

●6/28
サラエボ事件
オーストリア皇太子が
セルビア人青年に暗殺される。

【7月】
●『青鞜』4巻7号。
野枝「下田次郎氏に」
(東京師範学校教授・下田次郎の
『婦人評論』6月号
「日本婦人の革新時代」への反論)。

●7/28
東京朝日新聞、警保局長・
安河内麻吉の談話
「困った女の問題」
(青鞜社とか云う連中は色欲の餓鬼)。

らいてうと岩野清子、局長に面会し抗議。
➡『わたくしの歩いた道』p130

●7/1
『近代思想』第2巻10号。
大杉「賭博本能論」。

●7/28
オーストリア、セルビアに宣戦布告。

【8月】
●『青鞜』4巻8号。
野枝「最近の感想」。

●伊藤野枝子編
『ウォーレン夫人の職業』刊行
(林芙美子に影響を与えた)。

●8/23
日本、第三回日英同盟協約により
ドイツ帝国へ宣戦を布告し
連合国の一員として参戦。

【9月】
●『青鞜』9月号は欠号。
第一次世界大戦によって
『青鞜』はダメージを受けた。
平和な時代でないと
女性解放運動は盛り上がらない。
➡『青鞜の時代』

●生田長江主幹の文芸評論雑誌『反響』九月号に、
生田花世が「食べることと貞操と」を発表。
➡『元始(下)』p533

●9/1
『近代思想』第二巻十一、十二号
この号をもって廃刊。

大杉『オイケン哲学の批難』(古谷栄一著)

●このころ、辻(30歳)&野枝(19歳)、
小石川区竹早町82番地に移転。

このころ、野枝、
西原和治にお金を都合してもらうようになる。
➡「惑ひ」

●大杉栄、渡辺政太郎と
辻&野枝宅
(小石川区竹早町82番地)を訪問し
初めて野枝と会う。

野枝、一(まこと)に授乳しながら対応。
➡『死灰の中から』

●9/5-9/12
仏、独、マルヌ会戦(第一次世界大戦)。

仏軍、パリ市のタクシー630台を
兵員輸送の為に徴発。

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“Marne Taxis” used to transport
French troops to
the Battle of the Marne

From Wikimedia Commons

【10月】
●『青鞜』4巻9号(三周年紀年号)。
野枝「下田歌子女史へ」「遺書の一部より」
「嘉悦女史の『西洋の廃物』について」。

●10/1
三越呉服店・日本橋本店の新館が
9/15に落成。設計者は横河民輔。
10/1開店。

ルネッサンス式新館は
「スエズ運河以東最大の建築」と称され、
建築史上に残る傑作といわれる。

日本初のエスカレーターが常設され、
「自動階段」と訳された。

●10/12
平塚らいてう、『青鞜』11月号の編集を
野枝に依頼し奥村博と千葉県御宿に籠る。

上野屋という旅館に滞在、
その後、漁師の家の広い部屋に移る。
上野屋には1916年、野枝も滞在。
➡『元始(下)』

●10/15
大杉、荒畑寒村と月刊『平民新聞』創刊
発行(〜1915年6号まで)するが
4号を除く5冊が発禁。

大杉「労働者の自覚」

平民新聞創刊号
月刊『平民新聞』創刊号
(『大杉栄 伊藤野枝選集 第二巻』
黒色戦線社)

●10/16
大杉『種の起原』(ダーウィン)
翻訳出版(新潮社)。

●10/27
尾竹一枝、富本憲吉と結婚式をあげる。
コンベンショナルは挙式に、
らいてう失望する。
➡『元始(下)』

●10/30
大杉の初の評論集
『生の闘争』出版(新潮社)。
近藤憲二、この書により開眼。
➡『大杉栄研究』p135

●長江、翻訳『サロメ』
刊行(植竹書院)。

【11月】
●『青鞜』4巻10号(11月号)。
野枝「人間という意識」「松本悟郎氏に」
(松本の『第三帝国』
掲載の評論への反駁)
「編輯室より」で
月刊『平民新聞』1号に言及、発禁に抗議。
『平民新聞』2号が野枝のその文章を転載。
➡「死灰の中から」

●11/7
らいてう、野枝から
『青鞜』4巻10号(11月号) 
と手紙を受け取る。

●11/15
らいてう、御宿から上京。
らいてう野枝宅を訪問。
青鞜について話し合う。

野枝が13日に書いて
らいてうに出した手紙(御宿へ)は、
曙町に回送されそれをらいてうは読んだ。
➡『青鞜』を引き継ぐ

●11/17
野枝、上駒込のらいてう宅(青鞜社)を訪れ
青鞜の全権を譲り受ける。
らいてうは社員、一執筆者として協力。

●らいてう『現代の婦人の生活』
(日月社)出版。
田村俊子「炮烙(ほうらく)の刑」に
絡む森田への反論。

●尾竹紅吉、富本憲吉と結婚。
らいてう、習俗に殉じた花嫁衣裳に唖然。
➡『元始(下)』p456

●11/20
大杉『種の起原2』(ダーウィン)
翻訳出版(新潮社)。

●11/20
月刊『平民新聞』第二号発行。
発禁処分。
大杉「秩序紊乱」。
日本における代表的なアナキズム宣言。

●11/23
大杉『物質非不滅論』
翻訳出版(実業之世界社)。
ル・ボンの原子エネルギの発見を
日本で初めて紹介した本。
原子力時代到来を予言した本。

【12月】
●『青鞜』4巻11号(12月号)。
野枝「再び松本悟郎氏に」
「雑感」
(発禁になった
月刊『平民新聞』1号、2号に言及)。

安田(のち原田潤と結婚)皐月
「生きることと貞操」。
生田花世が生田長江主幹の
同人誌『反響』9月号に載せた
「食べることと貞操と」への
反論が口火になり「貞操論争」へ。

●12/18
東京中央停車場の開業。
東京駅と命名。

Tokyostation_outside-large-1914

●12/18
大杉、荒畑の『平民新聞』』第3号発行。
大杉らが銀座の福音印刷から
タクシーで運び出す。

翌日、発禁。
大杉「野蛮人」
大杉が辞書『新しい英字』のサンジカリズム、
サボタージュなどの説明の間違いを指摘。

野枝、『平民新聞』』第3号を
自宅近くの知人の家に隠匿。

●辻潤、訳著『天才論』
(ロンブローゾオ著/植竹書院)出版。
反響を呼ぶ。

●この冬あたりから、野枝とらいてう、
山田嘉吉、わか夫妻の家に通い、
社会学の英語の書物を読む勉強会に参加。
➡「乞食の名誉」

伊藤野枝年譜 索引