ふもれすく年譜

ふもれすく年譜 1964年(昭和39年)

2014年1月16日 木曜日


【2月】
●2/18
奥村博史、再生不能性貧血で死去。73歳。

【3月】
●「桜の咲く」ころ、
瀬戸内寂聴、福岡市を訪れる。
『文藝春秋』の「美は乱調にあり」
(翌年4月号から12月号連載)執筆取材のため。

『美は乱調にあり 伊藤野枝と大杉栄』_p8

魔子、代キチ、ルイズなどに面会する。

『美は乱調にあり 伊藤野枝と大杉栄』_p13~52

瀬戸内の取材を
1964年と断定しているのは
『伊藤野枝と代準介』(p32)

「美は乱調にあり」の取材で、
瀬戸内が神近市子に会ったのは、
翌年ごろだろうか。

神近市子『引かれものの唄 叢書「青鞜」の女たち 第8巻』
(不二出版・1986年2月15日 
※『引かれものゝ唄』・法木書店・1917年10月25日の復刻版)
末尾解説のp3

【5月】
●5/6
佐藤春夫、逝去。享年72。

【6月】
●6/7
高群逸枝、国立東京第二病院で
癌性腹膜炎で死去。70歳。

らいてう、浜田糸衛、市川房枝、
高良(こうら)真木が霊安室で寄り添う。
➡『知の巨人 評伝生田長江』p386

【7月】
●日本弁護士連合会により、
新宿区富久町に
東京監獄・市ヶ谷刑務所の
刑死者慰霊塔が建立される。

20140211

【9月】
●劇団民藝が『冬の時代』を公演。
存命だった荒畑寒村(劇中ではショー)と
橋浦時雄(劇中では不敬漢)が招待される。
➡『橋浦時雄日記 第一巻』

●売文社を舞台にした戯曲
『民藝の仲間76 冬の時代』公演。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦
と「売文社」の闘い』(p393)

【12月】
●12/4
王丸留意子、王丸和吉の家を出る。

※この年、
現代思潮社版『大杉栄全集』全14巻刊行始まる。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1963年(昭和38年)

2014年1月16日 木曜日


【1月】
●1/5
岩崎呉夫
『炎の女 伊藤野枝伝』(七曜社)出版。

【9月】
●『国文学 解釈と鑑賞』9月号が、
座談会「『青鞜』の思い出」を掲載。

出席者は生田花世、遠藤初、神近市、
小林哥津。

平塚らいてうと富本一枝(尾竹紅吉)は病欠。

堀場清子『青鞜の時代』p10

●9/18
大杉ら没後四十周年記念講演が開催される。
坂本清馬、高見順、埴谷雄高、秋山清らが講演。

●9/20
『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』
(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
復刻版発刊(世界文庫)。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』
「伊藤野枝著作目録」p504

【11月】
●11月
神近(75歳)、第30回衆議院議員選挙に
出馬して当選(4回目の当選)。

【12月】
●12/25
『大杉栄全集』が現代思潮社より出版開始。
全十四巻。

『日録・大杉栄伝』p498

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1962年(昭和37年)

2014年1月16日 木曜日


●7/20
島田清次郎『地上』がNHKテレビで放映。

●8月
岩崎呉夫、今宿取材をする。
伊藤由兵衛、代キチらから話を聞く(p352)。

●この年ごろ、
らいてうが小林登美枝に手伝ってもらい、
自伝出版に取りかかる。

『元始、女性は太陽であった
ーー平塚らいてう自伝(下巻)』p619

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ふもれすく年譜 1961年(昭和36年)

2014年1月16日 木曜日


●森田草平の郷里、岐阜に
「森田草平文学碑」が建立される。

10年後に死去した平塚らいてうの
遺品にこの文学碑のリーフレットがあった。
(『「新しい女」の到来』p194)

【9月】
●『朝日ジャーナル』9/3号に
座談会「婦人運動・今と昔
ーーこの半世紀の苦難の歩み」が掲載される。

堀場清子『青鞜の時代』p44

【10月】
●10/18
『青鞜』五十周年を迎え
物故者19名の霊を祀りしのぶ会が開かれる。

出席者/富本一枝、原田琴子、神近市子、小林哥津、
生田花世、遠藤初子、和田光子、平塚らいてう。

物故者/荒木郁子、伊藤野枝、岩渕百合子、上野葉子、
遠藤清子、岡本かの子、加藤みどり、木内錠子、小寺菊子、坂本真琴、
瀬沼夏葉、高村智恵子、田村俊子、茅野雅子、三ヶ嶋よし子、
水野仙子、保持研子、安田皐月、山田わか。

●10/30
井出文子『青鞜』(弘文堂)出版。

【12月】
●山鹿泰治、脳出血で倒れ左半身不随に。

向井孝
『アナキズムとエスペラントーー
山鹿泰治・人とその生涯』p222

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ふもれすく年譜 1960年(昭和35年)

2014年1月15日 水曜日


【1月】
●『サンデー毎日特別号』(1/1)に
「うらぶれた魔子さん」が掲載される。
『ルイズーー父に貰いし名は』p215

【5月】
●らいてふ&奥村、福島県安達太良を旅する。
二本松の高村智恵子の生家を訪れる。

【11月】
●神近(72歳)、第29回衆議院議員選挙に出馬して落選。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1959年(昭和34年)

2014年1月15日 水曜日


●3月
伊藤ルイ、博多人形工房に弟子入りする。
『ルイズーー父に貰いし名は』p249

●5月初旬
真子が自殺未遂。
『ルイズーー父に貰いし名は』p249

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1958年(昭和33年)

2014年1月15日 水曜日


【1月】
●野枝、大杉らの墓がある松原の墓地が
墓地改葬で取り払われる。
野枝らの墓石は庭石がわりに近くの家が持っていく。
『ルイズーー父に貰いし名は』p243

【4月】
●王丸和吉、会社の金を使い込む。

留意子、上京し伊東きみ子と面会。
鵠沼在住の菅沼幸子と始めて会う。
『ルイズーー父に貰いし名は』p239

【5月】
●神近(70歳)、
第28回衆議院議員選挙に出馬して三選。

●5/25
伊藤ムメ、死去。
『ルイズーー父に貰いし名は』p242

【7月】
●神近(70歳)、ソ連訪問。
トルストイの生地
ヤースナヤ・ポリャーナに行き、
トルストイの墓参をする。

「椎や樫の古木があって、
そこに横が半m、
縦がそれより二倍位の石が一つあり、
それがあの世界をゆるがした
大作家の墓だった。
私はそれが何だか悲しかった。」
(「私の短歌」『神近市子文集3』)

●らいてふ&奥村、北成城に転居。

【10月】
●10/28
真子、村上信彦に手紙を書く。
『ルイズーー父に貰いし名は』p216

【11月】
●11/1
鳥取県日野郡日野町根雨の
延暦寺境内に
生田長江顕彰碑が建立される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●『辻潤集』(1巻・2巻/近代社/限定版800円)

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1957年(昭和32年)

2014年1月15日 水曜日


●9/6
山田わか、狭心症発作で死去。

●島田清次郎『地上』第一部が
好村公三郎監督により映画化。
脚本は新藤兼人、主演は川口浩、野添ひとみ。

映画化を記念して、松任市(現・石川県白山市)の
美川町共同墓地内に「故島田清次郎氏追悼之碑」
が建てられる。

●11月
近藤憲二、脳溢血で倒れる。
→向井孝
『アナキズムとエスペラントーー
山鹿泰治・人とその生涯』p211

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1956年(昭和31年)

2014年1月15日 水曜日


【2月】
●『婦人公論』2月号、3月号に
奥村博史「めぐりあい」掲載。
9月に単行本『めぐりあい』(現代社)発刊。

●『世界』2・3月号に
座談会「〈青鞜社〉のころ」掲載される。

佐藤春夫、らいてう、富本一枝宅を訪れる。
春夫が「小説智恵子抄」執筆のための取材が目的。
富本一枝の妹・福美は春夫の初恋の人。

『元始女性は太陽であった』(上)p283

【3月】
●3/20
伊藤ムメ、大丸留意子宅で病臥する。
『ルイズーー父に貰いし名は』p234

【4月】
●4/12
武部ツタ、大丸留意子宅を訪れ、
伊藤ムメを見舞う。
『ルイズーー父に貰いし名は』p235

【5月】
●売春防止法公布。
神近市子(68歳)、
同法成立に尽力する。

●5/30
山川菊栄
『女二代の記 わたしの半自叙伝』
(日本評論新社)発刊。

山川菊栄『おんな二代の記』
(岩波文庫p454)

ふもれすく年譜 索引

ふもれすく年譜 1955年(昭和30年)

2014年1月15日 水曜日


【2月】
●神近(67歳)、
第27回衆議院議員選挙に出馬して再選。

【3月】
●3/5
平塚らいてう
『わたくしの歩いた道』(新評論社)発刊。

『作家の自伝8 平塚らいてう わたくしの歩いた道』(日本図書センター)p273

【8月】
●8/5
ツルシカズヒコ、
宮城県遠田郡小牛田町
(現・美里町)で生まれる。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1954年(昭和29年)

2014年1月15日 水曜日


●3/1
ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験により
第五福竜丸が死の灰の被害を受ける。

●7/29
山崎今朝弥、死去、78歳。

山崎今朝弥著・森長英三郎編
『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫)
p305

●『婦人公論』8月号に
園田栄子「恋敵大杉あやめさんの死」掲載。

『新日本文学』2003年9・10月号
「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」(大杉豊)

●9/16
「大杉栄の会」が東中野のレストラン
「モナモ」で開催。
発起人は山鹿泰治、江口渙、荒畑。

●12/11
らいてうの母・光沢、
老人性肺炎のため利根川べりの家
(らいてうの姉の家)で永眠(91歳)。

奥村、光沢の霊を目撃。
「ああ、お母さんの霊が!
それ、それ、あそこに!」
(『「新しき女」到来』p203)

→『作家の自伝8 平塚らいてう わたくしの歩いた道』_p5

※このころから、
留意の夫の王丸和吉の
ギャンブル熱が高まる。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1953年(昭和28年)

2014年1月15日 水曜日


【4月】
●神近市子(65歳)、
第26回衆議院議員選挙に
左派社会党より立候補し初当選。

●留意子の次男・王丸達彦、
当仁小学校に入学。

王丸ルイの筆名を使い始める。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1952年(昭和27年)

2014年1月15日 水曜日


➡ふもれすく年譜 索引

ふもれすく年譜 1951年(昭和26年)

2014年1月15日 水曜日


【1月】
●1/21
宮本百合子死去。51歳。
安倍能成「日本の最もしっかりした
聡明な
婦人として尊敬していました」
とその死を悼む。

【4月】
●春、神近市子(63歳)、
慌ただしい旅行中に
大杉の二人の娘と面会する。

〈何のわだかまりも偏見もなく
話し合うことができた。
「時」に流されている人間の姿を
私は自分のうちに見たと思った。〉
➡『神近市子文集3』

【6月】
●6/28
林芙美子、執筆後、銀座で遊ぶ。
深夜、倒れて死去。48歳。

【夏】
真子と藤本豊が
下関在住の笑子宅を訪問。
笑子の夫の野沢は会社勤め。
『ルイズーー父に貰いし名は』p205

➡ふもれすく年譜 索引

ふもれすく年譜 1950年(昭和25年)

2014年1月14日 火曜日


【4月】
●4/15
木村荘太、自伝『魔の宴』(朝日新聞社/5月)の刊行直前に
千葉県成田山公園で縊死(61歳)。
➡『日本人の自伝18 木村艸太/亀井勝一郎』
(平凡社/1981年12月)

岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』によれば、
自宅で服毒自殺。

【5月】
●5月
木村荘太『魔の宴』(朝日新聞社)刊行。

【8月】
●8/20
真子、藤本豊との子を出産(男児)。

●8/22
留意子、吉塚の真子の家を訪問。
『ルイズーー父に貰いし名は』p197

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1949年(昭和24年)

2014年1月14日 火曜日


【5月】
『塔』五月号に
「青鞜時代の女(ひと)たち(一)」掲載。
らいてうの発言あり。

堀場清子『青鞜の時代』p22

●らいてう、世界連邦建設同盟へ入会。
エスペラント語の学習を始める。

【7月】
●7/6
午前0時30分過ぎ、
足立区綾瀬の国鉄常磐線北千住駅 – 綾瀬駅間で
汽車に轢断された
下山国鉄総裁の遺体が発見される。

Shimoyama_Incident
搬出される下山の遺体
From Wikimedia Commons

【10月】
●中旬
真子、神康生の家から出奔、
藤本豊の元に走る。
『ルイズーー父に貰いし名は』p185

大杉豊「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」
(『新日本文学』2003年9t・10月号)では、
「藤本豊」ではなく「青木比露志」

【12月】
●12/14
森田草平、死去(68歳)。

●中旬
宮崎県在住の笑子から
留意子に手紙が届く。
『ルイズーー父に貰いし名は』p193

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1948年(昭和23年)

2014年1月14日 火曜日


【1月】
らいてふ、1947年4月に公職追放指名を受けた
市川房枝の公職追放取り消し運動に協力。

【4月】
●王丸留意子、『大杉栄全集』十巻を購入。
読み始める。

●森田草平、日本共産党に入党。

※晩秋のころ
小林登美枝、らいてうと初対面する。

『元始、女性は太陽であった
ーー平塚らいてう自伝(下巻)』p613

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1947年(昭和22年)

2014年1月14日 火曜日


●春
らいてう&奥村、疎開地から帰京。
長男・敦史夫妻と成城の家で同居。

●5/23
保持研子、死去。62歳。

●宮本百合子「婦人と文学」で
野枝に言及。

久野通広
「谷中鉱毒事件の波紋ーー伊藤野枝『転機』」
(『民主文学』2012年6月号)

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1946年(昭和21年)

2014年1月14日 火曜日


【5月】
●5/12
「日本アナキスト連盟」が結成される。
『ルイズーー父に貰いし名は』p169

【9月】
●9/16
近藤憲二らにより
「大杉追悼無政府主義講演会」開催される。
『ルイズーー父に貰いし名は』p173

【10月】
●10/19
大丸留意子、次男・達彦出産。
『ルイズーー父に貰いし名は』p168

【11月】
●11月中旬
近藤憲二、岩佐作太郎、山鹿泰治が福岡に来る。
真子と面会。
『ルイズーー父に貰いし名は』p171

【12月】
●12/13
代準介死去(79歳)

『伊藤野枝と代準介』p203

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1945年(昭和20年)

2014年1月14日 火曜日


【3月】
●3/10
東京大空襲。菊富士ホテル、灰燼に帰す。

【4月】
●4/16
田村俊子、上海の路上で脳溢血で倒れ、死去。

●4/28
ベニート・ムッソリーニ、
愛人のクラレッタ・ペタッチとともに
ガリバルディ旅団のパルチザン部隊により
メッツェグラ市郊外で処刑される。

翌4/29、ムッソリーニらの遺体が
ミラノ市ロレート広場に晒される。

Mussolini_e_Petacci_a_Piazzale_Loreto,_1945
The dead body of Benito Mussolini
(the 2nd from the left)、
Claretta Petacci
(the 3rd from the left)

From Wikimedia Commons

【5月】
●5/24
空襲で自由ヶ丘の
石井漠舞踏詩研究所が炎上。
石井漠夫人に預けられた
野枝から辻潤宛の手紙も灰になる。
『野枝さんをさがして』(p6)

●5/25
神近、鶴川で空襲のため罹災。

【8月】
●8/15
正午、玉音放送流れる。

●8/23
大丸留意子、次女・朋子出産。
『ルイズーー父に貰いし名は』p165

●神近、終戦の知らせを聞き
長野県辰野に転居。12月帰京。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1944年(昭和19年)

2014年1月14日 火曜日


【1月】
●辻潤、この年のはじめ、
萩原朔太郎の手紙を西山勇太郎に
三円で売りつける。
「顔面に、むくみがあり、
あの清純な聡明を思わす眼に
にごりが現われていた。」
(「辻潤氏から金参円で買っ
た萩原朔太郎の手紙」西山勇太郎)

●辻潤、浅草の木賃宿に泊まる。
しばしば野宿。
( 一月二十六日 松尾とし宛書簡)

●1月末
辻潤、淀橋区上落合一丁目三〇八番地の
静怡(せいたい)寮に住む。
(このアパートの管理を
友人の小田原の桑原国治がやっていた)

【2月】
●辻潤、二月十五、六日、
千葉県大原町根方の若松方に寄寓。
九州の久留米市在の
松尾とし子に再々無心する。
二月十八日まではいたらしい。

【3月】
●辻潤、三月末から六月まで
宮城県石巻港新町の
松山巌王住職の松巌寺に滞在。

ジェムス・ハネカアを訳したり、
気仙沼の菅野青顔から借用した
バイイングトンの英訳本によって
『自我経』の誤訳訂正などをする。
寺の物置小屋にくっついている
三畳の部屋に起臥。(「続水鳥流吉の覚書」)

【6月】
●6/6
ノルマンデー上陸作戦、開始。
パリ解放までの正式名称は
Operation Overlord、
「大領主」の意。

1187px-1944_NormandyLST
U.S. Army’s First Division on
the morning of June 6,
1944 (D-Day) at Omaha Beach

From Wikimedia Commons

【7月】
●辻潤、帰京。
空き家同然の静怡寮に住みつく。
松尾とし子や我乱洞らに食い物などを
送ってもらったり、届けてもらったりする。

●笑子(三女エマ)、結婚。
『ルイズーー父に貰いし名は』p159

【8月】
●8/22
沖縄から疎開先の長崎に向かっていた、
学童疎開船「対馬丸」に
米潜水艦の魚雷が直撃し沈没。
子供たち780人を含む1400人以上が犠牲。

●8/25
パリ解放。

American_troops_march_down_the_Champs_Elysees_crop
American troops march down
the Champs Elysees

From Wikimedia Commons

【10月】
●10/10
牧野田幸子(次女ルイズ)、
彫刻家の菅沼五郎と結婚。

森まゆみ「菅沼幸子さんのこと」

【11月】
●11/24
辻潤(60歳)、友人の桑原国治のアパート
「静怡寮」で死去(狭心症)。
警察医は狭心症として処理したが
餓死とも言われる。

●11/27
辻の弟・義郎、次男・流二
(長男・まことは従軍中)、
桑原夫人により火葬。
➡若松流二「虚空鈴慕」
(『辻潤全集 別巻』)

染井(現豊島区駒込六丁目十一番四号)の
西福寺に葬られる。

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ふもれすく年譜 1943年(昭和23年)

2014年1月14日 火曜日


【1月】
●辻潤、前年の十月から
奈良県添上郡柳生村の
橋本定芳住職の芳徳寺に滞在。

『唯一者とその所有』以来に
翻訳意欲をそそられたという
アブラハム・カノヴィッチ
『美への意志(追求)ー
あるいはショーペンハウエル
哲学の継続』を完訳し、
昭森社で出版されることになったが
未刊(原稿は戦災で焼失)。

同寺には七月六日まで滞在。

【7月】
●7/1
東京都制が施行。
東京市と東京府が廃止される。

●7/7
このろから辻潤、橋本定芳住職の好意と
松尾とし子の仕送りで
但馬の城崎温泉の地蔵湯に遊ぶ。
宿は同温泉の「つばき屋」。

●7/15
このろから辻潤、
横浜市鶴見区の津田光造方に寄寓。

津田光造は辻を貧乏神と呼んでおそれ、
辻を避けて台湾に行ったという。
(玉生清「辻潤の思い出」)
 
【8月】
●辻潤、淀橋の西山勇太郎方に寄寓。
また新宿旭町のドヤ街の
冨田屋別館をしばらく宿にする。

●8/27
辻潤、吉祥寺の書店店主
吉田音次郎と中西悟堂を訪問。
➡『野枝さんをさがして』(p5)

【9月】
●9/22
大丸留意子、長男・容典出産。
『ルイズーー父に貰いし名は』p159

【10月】
●10月初め
辻潤、中西悟堂を訪問。
中西悟堂、野枝から辻に宛てられた
手紙とハガキの束を見せられる。
➡『野枝さんをさがして(p5)

このころしばしば松尾とし子の
縁つづきの目黒区自由ケ丘の
石井漠方に出入りする。
漠夫人にユダヤ人とジプシーに関する
原稿や伊藤野枝の形見の品などが
入っているという小さな柳行李をあずける。

●辻潤、小田原の我乱洞方に寄寓。

【11月】
●辻潤、西山勇太郎方に寄寓。
同月の中旬ごろから奈良県の
柳生の里の芳徳寺、広島を流寓。

【12月】
●辻潤、京都の大徳寺、
千葉県大原町根方の若松流二方に寄寓。
よれよれの着物、縄の帯に尺八一管、
下駄履き姿であった。

※この年、辻潤、金子光晴と交際。
高校生の吉行淳之介に自作の
詩一編を五〇銭で売りつける。
辻潤年譜

※この年、神近、鶴川に転居。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1942年(昭和17年)

2014年1月14日 火曜日


【1月】 
●辻潤、一月十五日まで広野重雄方、
十六日から菅野青顔方、
三十日から二月三日までふたたび広野方に寄寓。
気仙沼滞在の二ヶ月間は読書三昧に耽る。

【2月】
●2/4 
辻潤、気仙沼を離れる。
ひとまず横浜市鶴見北寺尾一五〇九番地の津田光造方に寄寓。
東京の新婚早々の風間光作方に泊り込んだりもする。

●2/18
大丸留意子、満州から福岡に戻る。
『ルイズーー父に貰いし名は』p154

●2/26
荒木郁子、死去。52歳。
肺炎から併発した心臓麻痺。
最晩年はアルコール依存症になり発狂。
➡『「青鞜」の火の娘』p120〜
 

【3月】
●らいてう&奥村、らいてうの姉一家の別荘の地、
茨城県北相馬郡小文間(現・取手市小文間)へ移り住む。

【4月】
●辻潤、淀橋の西山勇太郎方に寄寓。
また蒲田区南六郷一丁目二八番地の玉生清方に寄寓。

大田区新井宿二丁目一六四七番地の竹久不二彦(竹久夢二次男)方に、孫の野生(ノブは一と無想庵の娘イボンヌの間に生まれた娘、子のいない不二彦夫婦が養女として育てていた)に会いにきて泊り込む。この家には流二、魔子、幸子、エマ姉妹が出入りしていた。

●4/17
らいてう、博史、成城の自宅を知人に貸し、
茨城県北相馬郡に疎開。
姉・孝の別荘そばの家を借り農耕生活に入る。

姉・孝は熱心は大本教信者。
大正時代から日米戦争のあることを予期。
〈東京はいずれ焼野ガ原になる、その時のそなえにと〉
別荘を建てておいた。
➡『わたくしが歩いた道』

【5月】
●5/29
与謝野晶子、逝去。享年63。

【7月】
●辻潤、ふらりと放浪の旅に出る。
京都、大阪を経て、十月の初めごろから奈良県添上郡柳生村の橋本定芳住職の芳徳寺に滞在。
 
【12月】
●辻潤、12月中旬ごろ京都を四、五日ぶらつき、また芳徳寺に帰る。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1941年(昭和16年)

2014年1月14日 火曜日


【2月】
●2/18
平塚らいてうの父・定二郎、脳溢血で急逝。
83歳。

【3月】
●菊富士ホテル、
軍需会社(旭電化)の寮として売却される。

【4月】 
●辻潤、淀橋の木村鉄工所内の
西山勇太郎方にしばらく寄寓。

同月二十、二十一日ころは
杉並区辺りを転々する。

【6月】
●辻潤、東京のあちこちを転々とする。
大田区馬込の添田知道、尾崎士郎、
室生犀星ら方にもしばしばあらわれる。

また木挽町五丁目の片柳忠男、戸田達雄、
矢橋丈吉らのオリオン社や
その出版部をたずね、
尺八を吹いて聴かせる代わりに
昼飯をおごらせる。

【7月】
●辻潤、大阪を転々する。

【8月】
●辻潤、七日から津市極楽町の今井方に寄寓。

●8/2
大丸留意子、牡丹江市で長女・恵子出産。
『ルイズーー父に貰いし名は』p153

●8/14
らいてう、博史との婚姻届を出す。
奥村姓になる。
長男・敦史に幹部候補生
試験受験資格を与えるため。
非嫡出子にはその受験資格がない。

【11月】 
●辻潤、小田原の我乱洞方に寄寓。

【12月】
●辻潤、十二月五日ころ気仙沼の菅野青顔方に、
手足にヒビをきらし、汚れきった十徳姿で訪れる。
(菅野青顔の手紙(三島寛『辻潤 その芸術と病理』))

青顔の家は、家族が十人で、
一階は六畳の茶の間に八畳の店
(青顔の妻がミシンを踏んだ)、
二階は八畳間で、辻は昼間は二階の部屋に
こもって読書の生活を送る。

夜は青願ら妻子と雑魚寝同然の明け暮れを送った。
(菅野青願「我が人生の教師よ」
及び三島寛『辻潤 その芸術と病理』)
 
●12/8
辻潤「真珠湾奇襲」の
大勝利万歳!を聞きながら
暗然として「日本必敗」を予言。

青顔の勤務先の町立気仙沼図書館を訪れ、
日本の敗戦を予言する。
町立気仙沼図書館の看板を揮毫する。
(菅野青顔の手紙(三島寛『辻潤 その芸術と病理』)
(辻は戦争反対を公言したらしいが、
取るに足らない人物として警察の追求を免れたらしい。)

●12/30
同地の河原田の画家・広野重雄方に寄寓。

※この年
荒木郁子、愛国婦人会の事務員になる。
らいてう、会いに行く。
➡『「青鞜」の火の娘』p119

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1937年(昭和12年)

2014年1月13日 月曜日


【5月】
●5/9
荒木郁子、
雑司ヶ谷墓地に岩野泡鳴の墓を建てる。
➡『「青鞜」の火の娘』p118

【6月】
●6/9
糸島高女4年生の伊藤留意子、
修学旅行中の東京で、
辻まこと(25歳)にはじめて会う。
『ルイズーー父に貰いし名は』p112

●同日午後3時過ぎ、辻潤が
京都洛北岩倉精神病院に収容される
(以下単行本114頁に新聞文面あり)。
➡『ルイズ——父に貰いし名は』p114

●6/10
留意子、近藤憲二、服部浜次と面会。
『ルイズーー父に貰いし名は』

【7月】
7/7
●盧溝橋事件。日中戦争へ。

【11月】
●11/6
日独防共協定にイタリア王国が参加。
日独伊防共協定に発展。

1938_Naka_yoshi_sangoku
日独伊防共協定記念の
日本の絵葉書(1938年)

From Wikimedia

【12月】
●このころの今宿。
真子、九州日報記者、神(こう)康生と結婚。
笑子、福岡市内の宮城外科に住込みで事務。

※この年、神近、鈴木厚と離婚し新宿ハウスに転居。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1940年(昭和15年)

2014年1月13日 月曜日


【9月】
●留意子、満州に渡り、
牡丹江市で新婚生活を始める。

【10月】
●10/12
左右合同の組織、大政翼賛会発足。
大政翼賛会調査委員になった
市川房枝、吉岡弥生、戦後公職追放になる。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1939年(昭和14年)

2014年1月13日 月曜日


【2月】
●2/18
岡本かの子、49歳で死去。

【8月】
●留意子、王丸和吉と結婚。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1938年(昭和13年)

2014年1月13日 月曜日


【3月】
●3/17
留意子、糸島高等女学校を卒業。
神戸の大杉進宅に寄寓、
タイピスト学校に通う。
進は三菱電機に勤務。
『ルイズーー父に貰いし名は』p120

【5月】
●初旬
若松流二、神戸の大杉進宅を来訪し、
留意子と面会。
『ルイズーー父に貰いし名は』p124

【8月】
●8/6
留意子、神戸から今宿に戻る。
『ルイズーー父に貰いし名は』p127

●このころ職を探していた留意子を、
代準介が松本治一郎のところに連れて行く。

『土方鉄対話集 話しあいませんか 
反差別の生き方について』
(解放出版社/1987年9月5日)p14

【9月】
●留意子、東邦電力に勤務。
『ルイズーー父に貰いし名は』p130

【10月】
●10/5
夜、9時。高村智恵子、
南品川ゼームス坂病院で
粟粒性肺結核のため死去(52歳)。

翌6日、らいてうと荒木郁子、
本郷千駄木町の高村光太郎のアトリエを訪れ、
智恵子の霊前に花籠を供え黙祷する。
➡『元始女性は太陽であった』(完)p286

※この年、ダグラスの自伝『弁明せず』刊行。

この年、近藤憲二、堺真柄と再婚。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1936年(昭和11年)

2014年1月13日 月曜日


【1月】
●1/10
伊藤野枝の父・亀吉が肺炎で死去(70歳)。
葬儀に真子が横浜から列席。
『ルイズーー父に貰いし名は』p101

●1/11
生田長江、午前零時十分、渋谷区代々木山谷町
三一四の自宅で死去(満53歳)。
鎌倉長谷寺に墓。

●1/14
午後二時から東大近くの喜福寺で長江の告別式。
佐藤春夫が弔辞を読む。

【3月】
●真子、今宿に戻る。
九州日報社に入社。
『ルイズーー父に貰いし名は』p104

真子、九州日報記者、神(こう)康生と結婚。
『ルイズーー父に貰いし名は』p119

【4月】
●留意子、糸島高等女学校3年生。
同校に爆弾三誘士のひとり、
江下一等兵の妹が入学してくる。
『ルイズーー父に貰いし名は』p106

【5月】
●辻潤『ぼうふら以前』(昭森社/1円50銭)

●5/18
荒川区尾久の待合「まさき旅館」で
男の殺人死体が発見れる。
阿部定事件。

【10月】
●10/1
東京市に北多摩郡砧村・千歳村を
世田谷区に編入し、
現在の東京都区部の範囲が確定。

Tokio_Eingemeindungen_1932-1936
From Wikimedia Commons

【12月】

●12/18
らいてうと荒木郁子が発起人となり、
谷中に遠藤清子と民雄の墓が完成。
郁子、旅籠屋を辞める。
➡『「青鞜」の火の娘』p115

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1935年(昭和10年)

2014年1月13日 月曜日


【1月】
長江、書き下ろし「釈尊伝第三部出家篇」
を加え『創作色損』(香風閣)刊行。

【3月】
●3/26
与謝野鉄幹、肺炎で死去。62歳。

【4月】
●から長江、日本評論社版
『ニイチェ全集』刊行始まる。
第一回配本は「ツァラトゥストラ」。

全集がニイチェ図書館に送られることに。

●このころ、糸島高等女学校の講堂で講演
「日の丸精神について」あり。
講演者が大杉と野枝に言及、
笑子(3年生)が講堂から駆け出して行く。
留意子2年生。
『ルイズーー父に貰いし名は』p98

【8月】
●辻潤『痴人の独語』(書物展望社/限定600部/2円)

【11月】
●下旬
無政府共産党事件で近藤憲二、留置される。
『ルイズーー父に貰いし名は』p97

【12月】
●12/18
荒木郁子、らいてうらが、
遠藤清子と長男・民雄の墓を
谷中墓地に建てる。

堀場清子『青鞜の時代』p244

●12/24
浜田糸衛、長江宅を訪問。
クリスマスプレゼントを渡した?

●このころ、牧野田幸子(次女エマ)は
静岡の柴田菊を保護者にして、
英和女学院に通学。
同校三年の冬、自分の出自を知る。
『ルイズーー父に貰いし名は』p85

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1934年(昭和9年)

2014年1月13日 月曜日


【3月】
●大杉勇宅に寄寓していた真子、
横浜紅蘭女学院(現・横浜雙葉)を卒業。
日比谷の日仏同志会に勤務。
大杉豊「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」
(『新日本文学』2003年9・10月号)

【4月】
●4/5
伊藤留意子、糸島高等女学校入学。
1学年上に笑子在学。
『ルイズーー父に貰いし名は』p88

●4月から長江、日本評論社版
『ニイチェ全集』刊行始まる。

【11月】
●長江、『改造』11月号に
「釈尊伝 第二部愛欲篇」発表。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1933年(昭和8年)

2014年1月13日 月曜日


【1月】
●1/23
堺利彦死去(63歳)。

【2月】
●2/20
小林多喜二、築地署で拷問で殺される。

●神近の母、ハナ死去(90歳)。

【3月】
●3/18
吉野作造、結核で死去。

※この年、浜田糸衛、長江に弟子入りする。
最後の弟子となる。

浜田糸衛が京都にいた大正15年ごろ、
辻潤と遭遇していたらしい。

●春
辻潤が野枝からの書簡を石井獏に預ける。

田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かず
ーー菅野須賀子と伊藤野枝』p165
(『舞踏詩人 石井獏』)

【11月】
●11/6
原田(安田)皐月、長文の遺書と実印、鍵、
ノートをらいてう宛に発送し失踪。
一ヶ月後、箱根山中で遺体が発見される。
➡『元始女性は太陽であった』(完)p283

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1932年(昭和7年)

2014年1月13日 月曜日


【2月】
●長江、『宗教至上』(新潮社)。

●宮本顕治、中条百合子が結婚。
野上弥生子が「双手をあげて賛成します」と
激励の手紙を書く。

●上海事変
肉弾三勇士

【4月】
●幸子(次女エマ)、中国から帰国。
大杉の次妹・菊の家に寄寓し、
静岡英和女学院に通学。

大杉豊「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」
(『新日本文学』2003年9t・10月号)

●辻潤(49歳)
青山脳病院の斎藤茂吉に診察を受けたあと
(受けたことに疑問も?)、
4/4幡ヶ谷の井村病院に入院。
➡『辻潤への愛 小島キヨの生涯』
(倉橋健一著/創樹社)143頁
➡『脳病院をめぐる人びと』(
近藤祐著/彩流社)
➡『辻潤全集別巻』年譜

●4/11
読売新聞が「辻潤、
脳梅毒からの発狂と診断」と書く。
➡『辻潤全集別巻』473頁

【5月】
●長江の姉、くま死去。62歳。

【6月】
●神近の次兄、謹吾死去。
神近、二十数年ぶりに故郷の土を踏む。

【7月】
●7/15
高村智恵子(46歳)、
大量の睡眠薬アダリンを飲み
自殺を図るが未遂に終わる。

【10月】
●10/17
早大創設50周年と大隈重信没後
10回忌を兼ね、早大キャンパス内に
大隈重信像作られる。

製作者は彫刻家の朝倉文夫。

Statue_of_Shigenobu_Okuma
The statue of Okuma Shigenobu
in Waseda University

From Wikimedia Commons

【11月】
●11/27
19歳のロバート・キャパ、
デンマークの学生に講演するレオン・
トロツキー、コペンハーゲン
》撮影。
写真家としてデビューする。

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ふもれすく年譜 1931年(昭和6年)

2014年1月13日 月曜日


【8月】
●夏ごろ
長江、失明する。

●8月
早大の応援歌「紺碧の空」誕生。
作詞は住治男、作曲は古関裕而。

古関の出世作となる。
住治男は高等師範部三年だった。

当時、早慶戦で連勝していた
慶應義塾の応援歌「若き血」に
対抗するため。

【9月】
●9/18
満州事変勃発。

【12月】
●12/2
堺利彦、倒れる。

➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1930年(昭和5年)

2014年1月12日 日曜日


【4月】
●4/29
巣鴨の精神病院に収容されていた島田清次郎、
肺結核で死去(31)。

【5月】
●長江、鎌倉から豊多摩郡代々木山谷町
(現・渋谷区初台二丁目五番)に転居。

●5/19
別府行き菫丸に乗船した生田春月が深夜、
播磨灘に身を投げる。

●『解放-変態雑誌-』5月号
大杉「俺達の日」(初出不明)。

【7月】
●長江、「小公子」(釈尊伝第一部)を
『改造』7月号に発表。

【8月】
●8/12
谷崎潤一郎が妻を佐藤春夫に譲り渡す。
この日の各新聞が報道する。

【10月】
●辻潤『絶望の書』(万里閣書房/1円80銭)。

【11月】
●初旬
足助素一(あすけそいち、1878-1930)、
ガンで死去。
近藤憲二『一無政府主義者の回想』p285

●国立らい療養所(長島愛生園)発足。

※この年、三越銀座店が開店。

View_of_Ginza_in_1930s
1933年(昭和8年)銀座。
服部時計店(左/現・和光)と三越銀座店(右)

From Wikimedia Commons

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ふもれすく年譜 1929年(昭和4年)

2014年1月12日 日曜日


【1月】
●法政大学文学部英文学教授の森田草平、
鎌倉材木座から由比ケ浜に転居。

●生田長江によって大正5年から始まった
『ニイチェ全集』全十巻、完結。

【2月】
●堺利彦、
東京市会議員選挙に牛込区から立候補、
最高得票で当選。

【3月】
●辻潤『どうすればいいのか?』
(昭光堂文芸部/50銭)

【4月】
●大杉あやめ死去。

『新日本文学』2003年9・10月号
「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」(大杉豊)

【5月】
●5/7
橘あやめ死去(29歳)。
大杉豊「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」
(『新日本文学』2003年9・10月号)

【8月】
岡本一平、
全国高等学校野球選手権大会の取材で
阪神甲子園球場を訪れる。
この年大幅に増築されたスタンドが観客の
着衣で白く映え上がって見えたことを、
一緒に観戦していた息子の太郎が
「わあ、凄い。まるでアルプスみたいだね。」と形容。
その発言からインスピレーションを受け、
「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、
アルプススタンドダ、
上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と
イラストつきで朝日新聞に発表。

【9月】
東大在学中の宮本顕治、
芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で
雑誌『改造』の懸賞論文に当選し、
文壇にデビュー
(次席は小林秀雄の『様々なる意匠』)。

【10月】
●長江、大杉栄訳『世界文学全集8懺悔録』
(新潮社)刊行。

●林芙美子の「九州炭坑街放浪記」が
『改造』10月号に掲載される。
洗濯した浴衣の替えがなかった芙美子、
真っ赤な水着を着て編集者に応対。
➡『明治怪女伝』

●10/24
ニューヨーク株式取引所で大暴落。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1928年(昭和3年)

2014年1月12日 日曜日


【1月】
●辻潤、まこと(15歳)とパリへ。
千葉亀雄の好意で読売新聞の
「海外文学特置員」として約1年パリに遊ぶ。

【2月】
●2/20
第一回普通選挙投票日。
夜7時ごろ。和田久太郎(無期囚)が
秋田刑務所の独房で縊死。
辞世の句「もろもろの悩みも消ゆる雪の風」

●2/21
望月桂と近藤憲二、
和田久太郎の亡骸を引き取るため
21時半上野発青森行き急行に乗る。

●2/22
正午過ぎ、望月桂と近藤憲二、秋田駅に到着。
和田久太郎の遺体を引き取り火葬にする。
『大正自由人物語』(「プロローグ」)

【3月】
●近藤憲二と橘あやめが結婚。
あやめは1年余後に病死。

近藤憲二

【4月】
●留意子、今宿尋常小学校入学。

【7月】
●長谷川時雨が『女人芸術』を創刊。
神近、参加する。
1932年6月号まで続く。

【8月】
●8/2
人見絹枝、アムステルダム・オリンピックの
800mで銀メダル。

【10月】
●長江、『新潮』に
「主義者の主義知らず」発表。
大宅壮一を批判する。

●林芙美子、長谷川時雨主宰の
『女人芸術』に『放浪記』連載開始。
1928年10月から翌々年10月まで20回。

●早大に坪内博士記念演劇博物館が開館。
坪内逍遥の古稀と
19年間の歳月をかけた『シェークスピヤ全集』
全40巻の翻訳事業の完成記念。

1200px-Tsubouchi_Memorial_Theatre_Museum
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
ウィキメディア・コモンズ

【11月】
●11/10
天皇裕仁即位の大礼。

【12月】
●12/23
高畠素之、胃癌で死去(42歳)。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1927年(昭和2年)

2014年1月12日 日曜日


【1月】
●1/1
第五次『労働運動』発刊。
同年10月、第10号をもって廃刊。
翌年、労働運動を解散。

【2月】
●2/20
和田久太郎、秋田刑務所で縊死。
辞世の句「もろもろの悩みも消ゆる雪の風邪」。

【3月】
●昭和の金融恐慌

【4月】
●4/12
故・橘宗一の誕生日。
橘宗一の父・橘惣三郎、
名古屋市千種区の日せん寺
(現・覚王山日泰寺)墓地に
宗一(この日が誕生日)の墓碑を建てる。
「宗一(八歳←ママ)ハ
再渡日中東京大震災ノサイ
大正十二(1923)年九月十六日夜、
大杉栄、伊藤野枝ト共ニ、犬共ニ虐殺サル」

名古屋の主婦がこの墓碑を
散歩中に発見し『朝日新聞』に投稿。
1972年9月13日『朝日新聞』の
「ひととき」に掲載。
『大正自由人物語』(p239)
『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(p466)

●この年、近藤憲二、橘あやめと結婚。
大杉豊「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」
(『新日本文学』2003年9月・10月号)

【5月】
●福田英子、南品川の自宅で死去。62歳。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』P442

【7月】
●7/24、芥川龍之介、自宅で自死(35歳)。

この頃、長江、『世界文学全集1 神曲』
(新潮社)の翻訳に取りかかる。

【8月】
ボストンおいて冤罪のアナキスト、
サッコとヴァンゼッティの死刑が
執行されるのに抗議する集会が、
築地小劇場で開催される。
大杉あやめが参加。

『新日本文学』2003年9・10月号
「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」(大杉豊)

【10月】
●10/20
早大大隈講堂落成。
大隈の死去(1922年)から5年後になったのは、
関東大震災で計画が
しばらく中断されたから。

900px-Okuma_Auditorium
早稲田大学大隈講堂
From Wikimedia Commons

【12月】
●12/20
安谷寛一編『大杉栄遺稿・未刊』
(金星社・1927年・12月20日)発行。

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1926年(大正15年/昭和1年)

2014年1月12日 日曜日


【1月】
●代千代子死去(33歳/肺結核)。

●1/11
長江の「小説『一日本人』を読め」が
『国民新聞』に掲載。

『一日本人』は杉山平助が昭文堂から
自費出版した自伝的長編小説。

●1/21
大杉栄全集刊行会
『大杉栄全集 第六巻』発行(第六回配本)。

【3月】
●3/20
大杉栄全集刊行会
『大杉栄全集 第九巻』発行(第七回配本)。

【4月】
●4/25
エレン・ケイ死去。76歳。
➡『元始女性は太陽であった』(完)p228

●吉行エイスケが『虚無思想』創刊。
三号で終わる。長江、寄稿。

【5月】
●5/18
大杉栄全集刊行会
『大杉栄全集 第二巻』発行(第八回配本)。

●橘あやめが福岡にいる真子を引き取り、
労働運動社で「マコの会」が盛んに行なわれる。
真子は横浜市鶴見の勇が養育。
来京4ヶ月後、真子、
生麦小学校に通学し始める。

『ルイズーー父に貰いし名は』p55
『伊藤野枝と代準介』p203
「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」

【7月】
●7/13
大杉栄全集刊行会
『大杉栄全集 第一巻』発行(第九回配本)。

●7/23
金子文子、栃木女囚刑務所で縊死。

【9月】

●9/8
大杉栄全集刊行会
『大杉栄全集 第四巻』発行(第十回配本)。
これで全十巻完成。

●9/16
労働運動社で大杉らの三周年追悼会。

●中学4年生の村上信彦が
労働運動社を訪ね、
大杉魔子に会う。
『ルイズ——父に貰いし名は』p59

●秋口
藤田まさと、長江に弟子入りする。

【10月】
●10/1
甘粕が千葉刑務所を極秘裏に出所。
宮城県川度温泉に潜む。

『日録・大杉栄伝』p497

【12月】
●12/25
大正天皇崩御。
同日、皇太子裕仁親王
(昭和天皇)践祚を受け
直ちに改元の詔書を公布して、
昭和に改元した。
1926年12月25日は
大正15年であり昭和元年でもある

ふもれすく年譜索引

ふもれすく年譜 1894年(明治27年)

2014年1月9日 木曜日


【2月】
オーブリー・ビアズリー挿絵の
英語版『サロメ』出版。
仏語から英語への翻訳は
ダグラスが担当したが、
彼の仏語能力の低さにワイルド怒る。

【5月】
●5/16
北村透谷、芝公園で縊死を遂げる。
25歳。
その一ヶ月後(6/22)、
斉藤冬子が胸を病んで故郷仙台で死去。

【6月】
●6/20
14時4分、明治東京地震。
らいてう、招魂社の境内に避難。

●平塚らいてう(8歳)、
三番町から本郷駒込曙町13番地へ移転。
本郷西片町の誠之(せいし)小学校へ転校。

【8月】
●8/1
日清戦争はじまる。

【9月】
●9/15
匿名本『緑のカーネーション』刊行される。
著者はロバート・ヒッチンスという若い作家。
ワイルドとダグラスの
ノンフィクション風の本。

●フランスでドレフュス事件。

フランス陸軍情報部、
パリのドイツ駐在武官邸から
フランス軍関係者内に対独通牒者が
いることを示すメモを入手。

ユダヤ人砲兵大尉、
アルフレド・ドレフュスが逮捕される。

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Alfred Dreyfus stripped of rank
by Henri Meyer
From Wikimedia Commons

【10月】
●10/20
アレクサンドル3世が死去(ユリウス暦)。

●10/26
大杉の父・東、
日清戦争従軍のため新発田を出発。

【11月】
●11/1
ニコライ2世、ロマノフ朝第14代にして
最後のロシア皇帝に即位。

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ふもれすく年譜 1893年(明治26年)

2014年1月9日 木曜日


【1月】
●『文学界』創刊。
1898年(明治31年)1月まで
58冊発行された。

【2月】
●オスカー・ワイルド
『サロメ』仏語版出版。

オーブリー・ビアズリー挿絵の
英語版出版は翌1894年。
仏語から英語への翻訳はダグラス。

【4月】
●辻潤(9歳)、辻一家、三重県津へ。

『西遊記』、滝沢馬琴の『椿説弓張月』、
『日本外史』などを読む。
このころから、父の見真似で尺八を吹き、
銀笛や手風琴もこなした。

➡「ふりぼらす・りてりあ」
(『辻潤全集 第四巻』)

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ふもれすく年譜 1892年(明治25年)

2014年1月9日 木曜日


【4月】
●4/9
佐藤春夫、新宮で生まれる。
正岡子規に私淑していた
父・豊太郎(医師)、
母・政代の長男。

【2月】
●2/22
オスカー・ワイルドの戯曲
『ウィンダミア卿夫人の扇』
ロンドンで初演。

ワイルド、花屋に緑色に染色した
カーネーションを注文する。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p109

【4月】
●辻潤(8歳)一家、
三重県津市に移り住む。
弟・義郎、この年に生まれる。

辻は津で讃美歌に惹かれ、
教会の日曜学校に通う。
日清戦争の愛国熱が高まるとともに中止。
➡全集「自分はどの位い宗教的か?」
「ふりぼらす・りてらりあ」

隣家に尺八の名人が居て、尺八に興味を持つ。
➡全集「エイ・シャク・バイ」

●平塚らいてう(6歳)、
富士見小学校入学。

●晩春
アルフレッド・ダグラス、
同性関係を結んだ男から恐喝される。
ワイルド、ダグラス助ける。
ふたり、激しい恋に落ちる。

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ふもれすく年譜 1891年(明治24年)

2014年1月9日 木曜日


【2月】
●オスカー・ワイルド、三度目のパリ訪問。
マラルメと面会。

【4月】
●大杉、
新発田本村の尋常科三之丸小学校に入学。

●辻潤の母、辻美津
「実話蔵前夜話」によると、
この年、蔵前にあった伊勢屋の
馬鹿蔵と呼ばれた大きな蔵も
家屋敷も、みんな日下という人に譲ったとあり、
蔵前の財産を処分したらしい。

●オスカー・ワイルド
『ドリアン・グレイの肖像』単行本刊行。

同書を気に入った、
オックスフォード大学の学生、
アルフレッド・ダグラスが
ワイルドの家を訪問。

●4/27
ニコライ皇太子を乗せた
ロシア軍艦が長崎に寄港。

長崎停泊中の軍艦に長崎市内の彫り師を
招いて右腕に入れ墨をする。

【5月】
●5/11
大津事件

来日中のロシア帝国皇太子ニコライが、
滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で、
警備にあたっていた
滋賀県警察部巡査の津田三蔵に
サーベルで斬りつけられ負傷。

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上野彦馬が撮影した長崎でのニコライ
(@ウィキペディア)

【10月】
●10/28
6時38分50秒、濃尾地震発生。
震源地は本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)。

【12月】
●オスカー・ワイルド、
パリ滞在中、アンドレ・ジッドと親交。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』

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ふもれすく年譜 1890年(明治23年)

2014年1月8日 水曜日


【1月】
●日本近現代史最初の「公害」
栃木県足尾銅山の鉱毒垂れ流しが
問題になり始める。

【3月】
●3/18
ドイツ帝国首相、ビスマルク、
皇帝ヴィルヘルム2世に辞表を提出。

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Der junge Kaiser Wilhelm II und
Fürst Bismarck, in Friedrichsruh 1888

From Wikimedia Commons

【4月】
●辻潤(6歳)、
浅草区猿尾町の育英小学校尋常科に入学。
成績は上の部だったが、
目立たないおとなしい子供であった。

●平塚らいてう(4歳)、
富士見小学校付属、
富士見幼稚園入学。

当時は珍しい洋服で通う。
九段坂上の洋食屋・
富士見軒の青柳さんも洋服。

【6月】
●オスカー・ワイルド、
『リッピンコット・マンスリー・マガジン』
6月号に小説「ドリアン・グレイの肖像」
(The Picture of Dorian Gray)発表。

コナン・ドイル「四つの署名」も同載。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p91

【10月】
●10/30
教育勅語発布。

【11月】
●11/16
大杉家に次男・伸(のぶる)生まれる。

大杉栄_1890
【写真】当時の大杉家。
父・東(あずま)、母・豊(とよ)、
長男・栄、長女・春、次女・菊、次男・伸
引用:『大杉栄 伊藤野枝選集 第三巻』
黒色戦線社

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ふもれすく年譜 1889年(明治22年)

2014年1月8日 水曜日


【2月】
●2/11
大日本帝国憲法発布。
らいてう、
祝賀の山車の記憶を残す。

同夜、らいてう、
日比谷原に花火を見に行く。
火の粉が肩をかすめ、
花火恐怖症になる。

●日本初のグラフ雑誌
『風俗画報』(東陽堂)創刊。

【4月】
●甲武鉄道、新宿 – 立川、
8月には 立川 – 八王子を開業。

【5月】
●5/1
東京府下に東京市を設け
旧15区の区域をもって市域となる。

●5/26
大杉栄、東京府麹町区
富士見小学校付属幼稚室の保育終了。
父の転任で新潟県新発田本村へ移住。

【7月】
●東海道線、新橋・神戸間開通。
一日一回運行。所要時間約20時間。

●辻潤、母方の曾祖母に連れられて
浅草の新堀端付近にあった
自性院や西福寺に行って、
曾祖母から色々な話をきく。
自性院のご開帳のおりに
「地獄極楽」の掛軸を見て、
その後ずっと地獄極楽殊に
地獄にひどく興味を持った。
(「自分はどのくらい宗教的か?」、
「あやかしのことども」)

尚、辻潤の書いたものには、
祖母については、「のんしゃらんす」に、
「未だ存命の頃、「世が世なら――」という
繰り言をきかせてくれた」とある他には
出てこないようである。

この年、腸チブスに罹病。
(「あやかしのことども」)

『西遊記』を愛読し、赤本から、
馬琴? の訳したものや、
唐本など色々な本を集める。
(六ツか七ツ頃とある。「「お化けに凝った」)

母に連れられて毎月
欠かさず芝居を見て歩いた。
(「昔見た芝居」少年の頃とあり、
年代は不明。蔵前に住んでいたとある)

※この年、オスカー・ワイルド
『W・H氏の肖像』
『芸術家としての批評家』
(The Critic as Artist)
/『嘘の衰退』(The Decay of Lying)刊行。

【10月】
●10/7
エジソンの助手が
ハンブルク近郊のビスマルク宅を訪問。
ビスマルクの声を録音。

●10/18
大隈重信遭難事件。
玄洋社を退社した
来島恒喜(くるしま・つねき)、
外務省からの帰路にあった
外務大臣・大隈重信の
乗る馬車に爆弾を投擲。
大隈、右足切断の重傷を負う。

来島は爆弾が炸裂すると同時に、
短刀で喉を突き自害(享年31歳)。

外国人判事を導入するという
大隈の条約改正案破棄される。

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ふもれすく年譜 1888年(明治21年)

2014年1月8日 水曜日


【4月】
●辻潤(4歳)、浅草区向柳原の
柳北女学校付属の柳北幼稚園に入る。
このころまでは四、五人のお手伝いさんに
かしずかれて育ったが、
賛沢なくらし向きのために、
祖父の蓄財も底をついてきた。

【6月】
●6/6
神近市子、
長崎県北松浦郡佐々村字小浦の
漢方医・神近養斉&ハナの
三女として生まれる。
兄二人、姉二人。

【12月】
大杉栄(3歳)、
東京府麹町区富士見小学校
付属幼稚室に入る。

※オスカー・ワイルド
『幸福な王子』発表される。

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ふもれすく年譜 1887年(明治20年)

2014年1月8日 水曜日


●辻潤(3歳)、父母に手を引かれて
浅草の仲見世や観音様などをよく歩いた。
このころ熱を出、よくヒキツケを起こした。

この頃、浅草の観音様にお参りに行った時、
易者が頼みもしないのに天眼鏡で覗いて、
「このお子さんは僧侶になされば
必ず出世なさいます」と告げる。
(「自分はどのくらい宗教的か?」など、
四、五歳とある。「あさくさ・
ふらぐまんたる」には三四歳の頃、とある。)

四、五歳位の時から「幻燈屋のふみちゃん」と
毎日雨が降っても風が吹いても遊ぶ。
(「幻燈屋のふみちゃん」)

【5月】
●らいてうの父・平塚定二郎、
会計検査院一行と欧米巡遊。
1889年暮れに帰国。

【6月】
●二葉亭四迷『浮雲』第一編(金港堂)。

【11月】
●オスカー・ワイルド、
雑誌『ウーマンズ・ワールド』の編集長に就任。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p80

【12月】
●12/25
保安条例施行。
尾崎行雄、星亨、林有造、中江兆民、
片岡健吉ら570人が皇居から3里
(約11.8km)以外に退去させられる。

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ふもれすく年譜 1886年(明治19年)

2014年1月8日 水曜日


【1月】
●中旬
クロポトキン、ルイズ・ミシェルら
フランス、クレール・ヴォー監獄から出獄。

【2月】
●2/10
平塚らうてう、東京市麹町区三番町で
父・定二郎(安政6年生)、母・光沢
(つや/元治1年生)の三女として生まれる。
本名、明(はる)。
長女・為(いぬ)は夭折。

二女・孝(たか/後年改名して恭子)は
前年1/30生。
父・定二郎は天皇崇拝者。

祖母・八重は天保4年生まれ。

【3月】
●帝国大学令により「帝国大学」誕生。

※この年、オスカー・ワイルド、
ロンドンの公衆便所で
ロバート・ロスと出会う。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p75

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ふもれすく年譜 1885年(明治18年)

2014年1月8日 水曜日


【1月】
●1/17
香川県丸亀町で丸亀十二連隊少尉・
大杉東(あずま/1860年~)、
大杉豊(とよ/1863年~)の長男として
大杉栄、生誕。

豊は丸亀連隊大隊長・
山田保永の妻・栄(えい)の妹。

母の実家は和歌山の湊七曲び造り酒屋。
母方の祖父・楠井力松は
和歌山の湊七曲で町道場を開いていた。

父の実家は名古屋から西に四里、
津島という町の近くの越治村大字宇治。
その後、越治村が隣村と合併し神守村に。
代々は宇治の庄屋。

父方の祖父の弟は国学者。
大杉東は三人兄弟。
長兄・猪は宇治の家を継ぎ町長などをやる。
次兄・一昌は名古屋在住。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第十巻』「自叙伝」p7

【5月】
●福田英子(ひでこ)、
大阪事件で逮捕される。

【6月】
●大杉東、近衛第三連隊に転属。
一家は東京の麹町区番町に住む。

【7月】
●7/20
『女学雑誌』創刊。
1904年(明治37年)2月まで526号、
計548冊刊行。

【9月】
●四谷区尾張町に華族女学校が創設される。

●明治女学校が開校。

【11月】
●11月下旬
オスカー・ワイルド、ケンブリッジを訪れ、
ケンブリッジ大学の学生になった
ハリー・マリリアと再会。

この時、学生たちの演劇上演のお返しに、
ワイルドが即興で物語ったのが「幸福の王子」。

この年、男性間の性行為に関する
イギリスの刑法改正。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p63

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ふもれすく年譜 1884年(明治19年)

2014年1月8日 水曜日


【5月】
●5/29
オスカー・ワイルド、
コンスタンス・ロイドと結婚。

【10月】
●10/4
辻潤、東京市浅草区向柳原町一丁目の
祖父・辻四郎三の隠居所で生まれる。

※このころの記録としては『文芸春秋』
昭和三年十二月号(辻潤全集別巻では七月刊行)に、
辻美津述―桑原国治編
「実話蔵前夜話」として掲載されている。

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