コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます

第1回 安くて長持ちする既製服なんて

10月21日付朝日新聞の読者投稿欄に
「最近の衣料品は寿命が短い」という投稿が載ってました。
投稿文の内容はだいたいこんな感じ。

スエットパンツのゴムが伸びたが、
ゴムが縫いつけられているから穴を開けて新しいゴムを通した。
ゴムが縫いつけられているのは
ゴムが伸びたら捨てよということなのか、
最近のタンクトップは伸びるし、Tシャツの色落ちは激しい。
こんなことでは安物買いの銭失いだ。
安いだけでなく、長持ちする良い品質の物を作ってほしい。

 
新聞を読むコウのイラスト

最近の衣料品の寿命が短い、
というのは真実ですが、
日本人の着る洋服が既製服主流になった1970年ころから、
つまり40年くらい前から
売ってる服、つまり既製服の寿命って短かったはずです。

今60歳くらいの人は
「既製服は粗悪品だという認識だった」ってよく言うでしょう。
特にスエットやTシャツみたいなものは最初から既製服なわけで、
ああいう短時間で簡易に作れるもの、
サイズ展開を必要としない服が
「既製服でいいや」って感じだったんですよ。

ユニクロの社長さんがさかんに
「安くて高品質な服を売っている」と宣伝するのは、
既製服は品質が悪いものだという前提があるから。
ものすごく品質が悪いのに
たいして安くなかった昔の既製服よりはマシになった、
と言っているんだと私は理解しています。

でも、寿命の短いことが本質の既製服の品質は、
昔と比較してよくなったと言えるとしても、
長持ちするくらいよくなるわけがない、
と私は思います。

既製服は、
素材的、縫製的だけじゃなくて、
ファッション的にも寿命が短いもの。
寿命が短いから「オシャレ」なんだし、
寿命が短いから毎年新しい既製服が売られるわけです。

 
新聞を読むコウのイラスト

それから、
「安物買いの銭失い」は女性の求める快楽のひとつです。
だから、既製服が洋服の主流になったのだし、
既製服は存在し続けられるんです。

投稿文は、
母親が服に開いた小さな穴を繕ってくれたことを書き、
新しいゴムを通して
スウェットパンツを使う自分は時代遅れなんでしょうか、
と結んでいます。

時代遅れというよりもケチなんでしょうね。
あ、私もケチです。
ゴムの縫いつけられた1980円のスエットの上下なんて
高いなあと思って買いませんから。

私がなんだかいやあな感じがするのは、
投稿者よりも
ああいう投稿を採用する朝日新聞のほう。
朝日新聞や
(もうひとつ具体的に挙げたい組織名があるけどやめときます)
そういう主義っぽいところの
「手づくりっていいよね、繕って使うっていいよね」
みたいな「手づくりする人はいい人だ」的な偽善的な匂いが
私はイヤです。
それを素人の投稿でもって強調するっていうのがねえ。

 
新聞を読むコウのイラスト

これだけ既製服が安くなった時代に
繕ってまで着るなんてケチだし、
1980円のスエット上下をゴムが伸びるまで着るなんて
ダサい人です。
でも、そういうダサさが平気だって感覚に
私は救いを感じるんですけどね。

私が、自分で服を作るのは、
最先端が永遠にかっこいいという空気に、
実践をともなって対抗したいから。
私の場合、たまたま結果的に
「オシャレ」な服が作れてしまっているだけで(笑、
ソーイングするとたいていはダサくなっちゃうわけで
「最先端がかっこいいという空気についていかなきゃいけない」
という空気を無視できる勇気と知識が身につきます。

今どき、服を自作するのはダサいことなんですよ。
そのことに自覚的でないとやばいと思う。
だからこそ、かっこいいことだと私は信じているんですけどね。
手づくりっていいよね、なんて感覚はヤらしいよ。