週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

シンポジウム─浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍 その3

その1その2に書けなかった印象に残った発言を拾っていきます。
メモは取ったのですが記憶で書いているところもあるし、
自分なりの理解で書いているので、間違いや誤解があればご指摘下さい。
なお、シンポジュウム出席者の方は敬称略にさせていただきました。


「スターリン主義の過ちを犯した」のが連合赤軍事件だったと、発言したのは塩見孝也。
この場合のスターリン主義とは「内部の敵を粛正する」という意味だろう。

青砥幹夫は「スターリニズムはあるのではなく、忍び込んでくるもの」という発言をした。
「粛正」の現場に立ち会っていた青砥の発言だけに、ズシンと重く響く言葉だった。
つまり、ああいう現場に直面すると知らず知らずのうちに
人はスターリニズムに陥るという意味なのだろう。

このあたりになると、そもそも人間とは何ぞやという問題になるが、
山本直樹はこんな発言をしている。
「人間ではなく言葉が暴走した事件だったのではないか。あの事件に謎はない。謎があるとすれば、人間そのものが謎なのです」。


右翼と左翼の違いについて発言したのは鈴木邦男。
「左翼は少数精鋭で結局、人間を大事にしないのではないでしょうか。人間に期待し過ぎなんですよ。左翼は敵を潰すけれど、右翼は敵と競います」。
これは鋭い指摘だと思った。

他にも記憶に残った鈴木の発言を列挙します。
「異論を許さない状況は怖い。そいう意味で今の日本は連合赤軍化している」。
これは森達也が指摘していた「同調圧力」に通じることですね。

「彼らが志していた革命が成功していたらどうなっていたか。今は悪い面しか表に出ていないが」。
この発言に関しては司会の金廣志が「歴史上、仲間殺しなんていっぱいあるよ。失敗したからさらし者になった」、鈴木さんはそう言いたいわけですねという主旨の発言をしていた。
この金の発言はちょっと勇気ある発言でしたね。

「革命の夢、革命の楽しさを伝えることも大事ではないか」

「浅間山荘は我々で買い取り、革命博物館にするべし。ツアーを組んで一般の人たちに見学してもらってもいい」。
つまり、あの事件をなかったことにするのではなく、
しっかり歴史に残し、後世の貴重な教訓にすべしということですね。

「連赤関係者は犠牲者に謝罪すべき」。
犠牲者とは一般人や警察官を含めてということです。


組織犯罪はトップだけに責任があるのではなく、トップや幹部や下部の活動家の相互作用が引き起こすという森達也発言があったが、そのへんはどうなのか。

前澤虎義「下部の活動家の我々が永田をトップにした責任はある。永田は欠陥のある人間だったにもかかわらず、我々が彼女を利用しようとした」。

植垣康博「白河の駐在所襲撃計画に関して疑問を持ったが、森恒男と議論しなかった。森にとって革左が実行した内ゲバが負い目になっていたのだろう」。
植垣も「森恒男と議論しなかった」、その責任は自分たちにあると認めている。


以下、武装闘争に関する発言。

前澤虎義「銃の奪取はあくまで川島豪奪還のためだった。上赤塚交番襲撃で同志が虐殺され復讐心という危険な心が芽生えた。山に入る前に思想など解体していた」。

植垣康博「思想なんて考えている暇はなかった。連合赤軍結成は赤軍派と革命左派の経験が同じだったからにすぎない。『党のため』という言葉に前には思考が停止してしまう。自分が死を覚悟していたので、他人を殺すことに無感覚になっていた」。

雪野建作「武装闘争を支持した責任はある」。

三上治の発言はわかりにくかったが、司会の金廣志が要点を以下のようにまとめてくれた。
「60年安保では社会党や共産党は手をつないでデモをしていたが、新左翼は体を張った。新左翼とは肉体をかけた闘争だった」。
これは旧左翼と新左翼の決定的な違い。
若い人にはわかりやすい解説だったと思う。


5時間のシンポジュウムだったが、私にとっては充実した内容であっという間に過ぎた5時間だった。
私の中に長年あったもやもやの多くが解消された、実に爽快感のあるイベントでした。

それにしても、このイベントを主宰した「連合赤軍事件の全体像を残す会」のスタッフや関係者は、よくぞこのイベントをやりとげたと思う。

自分たちのやったことに責任を取るとは、まさにこういうことなのでしょう。
この責任の取り方もまた後世への貴重な教訓になるだろう。