週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.17 堀井雄二さんと小林よしのりさん

2月12日の日経夕刊の1面の人物紹介コラム欄に、
堀井雄二さんの記事が載っていた。

堀井さんから今年いただいた年賀状に、
〈去年は会う人ごとに「じつは鬱になってしまって……」と漏らしていたような気がします。それが なんと! 突然 鬱が治ってしまいました。とてもさわやかな気分になりました。思えば ここ10年以上 鬱だったのかも知れません〉
という文面があったのですが、
日経夕刊に載っていた写真は、確かにさわやかな表情でした。

僕が堀井さんに初めて会ったのは、今から29年前でした。
僕が『月刊OUT』という雑誌の編集者をやっていたころで、
堀井さんは28歳、僕は26歳でした。

当時、堀井さんはまだギャグライターを名乗っていて、
僕が堀井さんの連載ページの担当を任されたのです。
当時の僕は雑誌編集者になりたてで、
僕が雑誌編集者になって初めて担当したライターが堀井さんでした。

堀井さんとの仕事はすごく楽しかったです。
毎月の打ち合わせが楽しくて仕方なかったです。

後に堀井さんはドラクエを作り、超有名人になるのですが、
そうなった後も、堀井さんには、
『月刊OUT』のライター時代と変わらない親しみやすさがあります。

僕が『週刊SPA!』編集長時代、
『週刊SPA!』に連載していた小林よしのりさんと僕は、
ウマが合わなかったのですが、
僕の中にあるその遠因を辿っていくと、もしかして、
堀井さんに突き当たるのではないかと思うことがあります。

小林さんは、ご存知のとおり、
「ワシは売れるマンガを描けるマンガ家」と豪語していました。
しかし、僕は彼を大先生扱いしませんでした。
なぜ、そうだったのか?
その一因は堀井さんという人物との知遇があったからではないかと、
今になって思います。

小林よしのりさんより、
堀井さんの方が断然、ビッグなわけです。
しかし、堀井さんには、
ビッグなところを誇示する姿勢はまるでありません。

雑誌編集者になって一番最初の担当ライターが堀井さんだったことは、
僕にとって超ラッキーだったのかもしれません。
20代で「本物」を見る目が養われたわけですから。