週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.33 椎根和著『popeye物語』

椎根和著『popeye物語』(新潮社)の再読、完了。

「ポパイ」と「スパ」(僕が編集部に在籍していた当時の)の共通点をポイントにして読んだのだが、読めば読むほど、相違点ばかりが目につき始めた。ひと言でいえば、「ポパイ」はマイナーメジャー誌、「スパ」はメジャーマイナー誌だったのかな。

その他、「ポパイ」と「スパ」の相違点は、こんなところ。シティボーイ/ヤンエグ(読者ターゲット)、趣味人的/会社員的、アメリカ/アンチ・アメリカ、アンチ・エロと劇画/ソフトなエロと漫画……など。

そもそも、平凡出版と扶桑社じゃあ、出版社としての成り立ちが違いすぎるよね。編集方針で共通していたと思うのは、以下かな(以下★は『popeye物語』より引用)。

★(木滑編集長は)平凡パンチの後半は、編集会議すら、役に立たない、といって中止した。ポパイになってからも、編集会議は一度も開催しなかった。

★ポパイは無名のライターを優先した。ポパイを舞台にして成長し、他のジャンルへ進出してもらうのが理想と思えた。映画評論家から映画監督になった原田真人のように。そういう関係で本人とポパイという雑誌にとって永遠の友情のようなものが保たれる。

「ポパイ」で契約ライター&編集者として活躍していた都築響一が、後に「スパ」でも人気連載を持ち(「珍日本紀行」)注目されたというのは、いろんな意味で興味深い。

以下、僕の琴線に触れた下りを引用します。

★編集長の木滑は、パンチ時代の石川の活躍をみて、これからの新しい雑誌は、編集経験のない学生のような新人ライター、異業種からやってくる素人編集者たちに頼る方がベストだと考えていた。この考えは編集部の掟その1として継承された。

★その後ぼくは、ライター志望の若者、学生が編集部にきて、ポパイで仕事をしたい、どうすればよいかという質問には、必らず、まず東海林さだおの本をよくよみ、それから短い文章を書いて持ってきてくれということにした。新人ライターに東海林さだおを読めというのが、新しい掟のようになった。

★ポパイのライターたちは、本文より写真説明に力を入れよと教育されていた。ぼくは若いライターたちに「神は細部に宿る」と説教していた。雑誌の細部とはキャプションのことだというと、彼らはキョトンとしていた。新しい雑誌が面白いか、つまらないかの判断は、写真説明文を読めばすぐわかる。映っていることを単に説明しているだけの説明文だったら、買わない方がいい。文章と写真・絵でなりたっている雑誌の本質にかかわる大問題なのだから……。

★フォーラム担当の後藤が「糸井(重里)の連載やっていいですか」とぼくに許可を求めてきた。駄目といって、その理由を説明した。まず糸井のコピーはペダンチックすぎるということ。広告ほどお金をかけられないこと。糸井のコピーは、お金をかけた状況のなかで、生きる文だと説明し(略)

★ポパイ以降、文字・文章をパワーの源として成功した雑誌は生まれていない。文字・文章をパワーと考えない編集部がつくる雑誌は衰弱するしかない。

ツルシのコメント「これは重い言葉だよね。70年代で雑誌は終わったってことだから」

集英社の鳥嶋和彦氏が『ポパイ』編集者の経験者募集に応募して最終面接で落とされたって話もすごい。もし受かってたら、今の出版界どうなってたんだろう。「ドラゴンボール」も「ドラクエ」も「ワンピース」も存在しなかったことだけは事実。