週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.38 赤木洋一著『平凡パンチ1964』

赤木洋一著『平凡パンチ1964』(平凡社新書)を読んだ。
初版は2004年9月発行。

著者の赤木洋一(あかぎ・よういち)は、1936年生まれ。早大第一文学部仏文科卒。64年に平凡出版(現マガジンハウス)入社。『平凡パンチ』『平凡パンチデラッック』『アンアン』の創刊スタッフ。『アンアン』『ハナコウエスト』編集長などを経て、98年代表取締役社長。02年に退社。

『平凡パンチ』(64年創刊)と『平凡パンチデラッック』(65年創刊)に創刊から関わった著者の赤木さんは、冒頭にこう記している。

〈この二誌から見たクロニクルを書いておきたいと思いました。ぼくのいたポジションから、ぼくが見たことを。ユニークな人たちのことを。雑誌に青春をダブらせる読者のために〉

そして、冒頭にはこんな記述も。

〈雑誌はその読者とともに時代にかかわりながら、おおむね毎号消えていく運命にあります。しかし三十年、四十年経ってから振り返ると、雑誌がいかに貴重な「時代の証言者」であるかが、よくわかります。新聞や映像の記録にはない、その時代を生きた人間の体臭の記憶というような──〉

これは雑誌を作っていた人なら、ちょっとジーンとくる言葉だよね。

さて、僕が本書でもっとも注目したのは、『平凡パンチ』の創刊編集長の天才編集者・清水達夫の才能に関する記述だった。

〈「表紙が決まれば雑誌ができる」というのが清水達夫の雑誌づくりの根本であり、信念である。新しい雑誌を考えるとき、誌名と表紙だけは他人に任せなかった。週刊平凡創刊号で、白バックに赤いオープンカーに乗った高橋圭三と団玲子という、人気アナウンサーと女優を組み合わせた「異種交配」の表紙が成功してから、ますます確信を深めたようだ〉

〈彼にはまずイメージがあった。それは漠然としたものであるが、具体的なモノと彼のイメージが焦点を結ばないかぎり、納得しなかった。ピンとくるモノやヒトに出会うまで、どんなに時間がかかっても決断を下さなかった。清水が天才編集者といわれるゆえんのひとつは、既成概念にとらわれないそのイメージの新鮮さ、意外さである。そのことはパンチのの表紙をイメージして描いた大勢の画家たちの作品が、いずれも男の週刊誌というワクを超えていなかったことを見てもわかる。そのどれもが清水を納得させるものではなかった〉

〈そして彼のもうひとつの才能は、イメージを具体化する能力である。商品として「売れる雑誌」を作ることといってもいい。「読者の半歩先を行け」が岩堀(岩堀喜之助)の口グセだった。一歩先を行くのは芸術家だ。だが雑誌は読者あってのものである。読者がついてこれないほど先を行けば、雑誌は売れない。そのことを実現してみせたのが清水である。「こういう雑誌を待っていた」と読者に言わせるのだ〉

〈デラパン編集長の伊勢田がモニター兼アルバイトとして、法政大学服飾研究会というサークルに目をつけたのは、素晴らしいアイデアだった。雑誌には、等身大のモニターが不可欠といのが、岩堀や清水の考えだったが(略)〉

清水さんの才能というのは、つまり、「既成概念にとらわれない」けれど、「読者がついてこれないほど先には行かない」ということなのだ。この両方を併せ持っていたこと、それが清水さんの才能だった。

「読者がついてこれないほど先には行かない」(半歩先を行く)とは、どういうことかというと、たとえば雑誌の創刊はそのタイミングが非常に重要ということだろう。『平凡パンチ』の創刊が東京オリンピックの年、『アンアン』創刊が大阪万博の年だったのは、その顕著な例だ。「時代の変わり目」を読む能力に長けていたということだ。

次に「既成概念にとらわれない」ことのキーワードは「異種交配」になるのかな。『平凡パンチ』の表紙に大橋歩を起用したことも「異種交配」である。まず、男性誌に女性のイラストレーターを起用したこと、しかも無名の女子大生(大橋さんは当時多摩美の4年生)で、彼女の絵は「上手くなかった」。男性誌に女性、商業誌に「素人の絵」、このへんが既成概念にとらわれない「異種交配」の妙なのである。

「等身大のモニターが不可欠」というのも、「読者がついてこれないほど先には行かない」ための方策として当然と思える。

「表紙が決まれば雑誌ができる」や「新しい雑誌を考えるとき、誌名と表紙だけは他人に任せなかった」は、清水さんにそういう作業の才能があったのだろうが、編集長の独善に陥る危険性を回避するためというのもあったのではないか。表紙に関しては独裁者だったが、中身については現場に任せていたようで、雑誌作りは共同作業なのだという大原則も熟知していたのだろう。才能があるけど、独善に陥らない。このへんも実に希有な能力で、つまり、それが才能なのだ。う〜ん、ここでも「異種交配」がキーワードかもしれない。清水さんは『平凡パンチ』創刊時、50歳である。現場の若いスタッフとの「異種交配」を目論んでいたのかもしれない。