週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.39 マガジンハウス編『平凡パンチの時代』

マガジンハウス編『平凡パンチの時代ー失われた六〇年代を求めて』(マガジンハウス)は1996年12月発行。

「マガジンハウス編」とあるが、執筆と編集は書籍局長(当時)の塩澤幸登。2009年に発行された、塩澤幸登著『平凡パンチの時代 1964年〜1988年 希望と苦闘と挫折の物語』(河出書房新社) は、『平凡パンチの時代ー失われた六〇年代を求めて』の増補完全版。

各章に『平凡パンチ』に関わった、あるいは記事に登場したキーマンのインタビューがあり、地の文に挟み込まれるこのインタビューが効果的だ。

第一章は横尾忠則、第二章は奈良林祥、第三章は野坂昭如、第四章は小林泰彦、第五章はくろすとしゆき、第六章は生沢徹、第七章は大橋歩、第八章は佐藤忠男、第九章はファイティング原田などです。

本書の主眼は60年代の時代検証なのだろうが、僕は「雑誌編集」という視点で読んでいるので、そういう視点から印象に残った下りと僕のコメントを以下に記します。

まず、小林泰彦のイラスト・ルポという手法の誕生ですね。
67年6月、木滑良久が新編集長に就任。当時、『平凡パンチ』編集者だった西木正明が『時の叫びー平凡パンチ物語』という小説に、その当時のことを書いている。

〈新編集長木滑はビジュアル化に力を入れ、グラビアとオフセットページの充実をはかった。(略〉あらたに登場したビジュアルな企画物の中で、とりわけ読者の注目を集めたのは、小林泰彦のイラスト・ルポであった。これは若者が興味を持ちそうな町や通りを小林のイラストと文章で紹介するという斬新な企画で、小林とともに作業を担ったのは後にポパイやブルータスの編集長を歴任した石川次郎だった〉

ここで木滑・石川、そのブレインになる小林泰彦というラインができたわけですね。それがポパイ創刊につながる。

で、小林泰彦の証言。

〈とにかく、みんな海外の情報に飢えていた。今と比べたら、情報が100分の1か、ないものは全然ないわけですよ。(略)それから、イラスト・ルポは写真じゃないから、穴倉みたいな真っ暗なところへ入り込んでいっても、なんとかなるわけですよ。オーバーに感じたことをオーバーに描くのも自由で、それがよかった〉

この写真とイラストの手法の違い、これはすごく重要。写真ではできないことをやらなければ、イラストでやる意味はないってことですね。

本書の地の文は。

〈この当時の『平凡パンチ』で活躍したイラストレーターたちは数多い。(略)その中でも、なぜ、小林泰彦を特筆するべきなのかといえば、彼ほど、編集のマインドの中に自分のクリエーターとしてのエネルギーを同化させようとしたイラストレーターは見当たらないからだ。(略)小林泰彦ははっきりとニュース報道を目指した〉

「ニュース報道」のイラストというのが、革新的だったわけです。

『平凡パンチ』と言えば、アイビー、VANなんですが、それに関しては。

〈(略)しかし、結局、一番大事だったのはある種の、ストリートジャーナリズムとして世界でいったい何が起こっているのか、そのことを報道することだった〉

〈雑誌の側からいえば、アイビー発展のために『パンチ』が役割を果たしのではあるまい。『パンチ』は無自覚に成熟し続けている大衆社会の青少年層、とりわけ都市生活をしている者たちのあいだでどんなことが風俗現象として起こっているか、そして、それらの現象をつなぎ合わせると、今から時代がどう変化しようとしているのか。その時代の変化のなかで、どう生きればよいのか。六〇年代の時点での日本社会の情報を報道、解読しながらその変化にふさわしいと思われる生活提案をしていったのである。(略)何のことはない、日本の社会がファション化していくための筋道をつけた、そういう言い方が正しいのではないかと思う〉

このへんが、『メンズ・クラブ』とかのファッション誌との決定的な違い。『平凡パンチ』のファッション記事は、報道でありジャーナリズムってことです。「情報を報道、解読しながらその変化にふさわしいと思われる生活提案」というのは、たんなる情報誌ではないってことです。

僕が本書の中で一番、注目したのは初代『平凡パンチ』編集著の清水達夫と大橋歩の下り。大橋歩は創刊から7年半、『平凡パンチ』の表紙イラストを担当した。

〈自社の過去を繙いて褒めあげるのも奇妙な話だが、正直なところ、『平凡パンチ』の創刊は戦後の出版業界における、もっとも劇的な最高の成功のひとつと書くことができるだろう〉

これに匹敵する「劇的な最高の成功」は、なんなんだろう。『週刊新潮』『少年マガジン』『少年サンデー』の創刊、あるいは『少年ジャンプ』の600万部突破か。

〈清水達夫がこの時、探し求めていたのは、読者となるはずの若い男性たちが自分の生活のレベルで未来的なものを共感することのできる「新しさ」と大部分の人たちが支持することのできる「大衆性」であったのではないかと思う。逆にいえば、このふたつのものこそ、『平凡パンチ』という雑誌が追い求めるべきものだという認識が、(略)清水達夫の中には存在していた、ということになる。そして、彼はそのふたつのものが絶妙の形で具現したものとして、ある日、大橋歩のイラストレーションを発見するのである〉

天才編集者・清水達夫の才能は、この「新しさ」と「大衆性」両方をキャッチできたところなんだろう。男性誌に女性のイラストレーター、しかも「絵がうまくない」新人(当時、大橋は多摩美の4年生)を起用したってのは、例の清水達夫の編集手法のキーワード、「異種交配」だよね。

聞くところよれば、大橋歩さんという人は自分の書いた文章を一字一句直さず(日本語として明らかに「おかしい」表現であっても)、そのまま掲載することを編集者に要求する人らしい。確かに大橋さんのエッセイとかの文章は、はっきり言って拙いです。でも、僕は本書の中では、この第七章の大橋歩の項が、一番印象に残り、そしてちょっと泣けてきた。それは、たぶん「斬新」だったからこそ、次第に「旧くなり」「飽きられる」という雑誌の宿命を象徴しているからなのだろう。大橋歩の発言は引用しませんけど、機会があったら、ぜひ読んでみて下さい。