週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.42 新井恵美子『マガジンハウスを創った男 岩堀喜之助』

新井恵美子著『マガジンハウスを創った男 岩堀喜之助』(出版ニュース社)

【本のデータ】
2008年2月 第1刷発行発行

【著者のデータ】
あらい・えみこ。1939年、東京都生まれ。岩堀喜之助の長女。学習院大学文学部国文科中退。1996年、『モンテンルパの夜明け』で第15回潮賞フィクション部門賞を受賞。

岩堀喜之助(1910〜1982年)は、マガジンハウスの創業者。佐藤栄作と親交があったのはなぜかなど、謎の多い人物である。塩澤幸登著『平凡パンチの時代ー1964年〜1988年 希望と苦闘と挫折の物語』(河出書房新社)の中に、著者・塩澤幸登のこんな記述があるんですけどね。

〈岩堀は清水に比較しても、新聞記者としてのキャリアはあっても、雑誌編集はほとんどやったことがなくて、雑誌の中身を詰めるのは相棒の清水達夫の役目、というふうに割りきって考えていた。どちらからというと、集団をまとめ上げてひとつのことにとりかかっていく才能に長けた、民衆運動のアジテーターのような人で、涙もろく自分の考えを論理的に語ることの出来ない(これはワザとそういうふうにしていたのかも知れない。岩堀は一度は中国大陸で五族共和の夢に取り組んだ経験の持ち主で、うっかりすると戦後の社会を否定するようなところにいってしまう、農本主義的な思想の持ち主だった。このことの細かい話は別の作品で、いずれ形にして読んでいただこうと思っている)人だった〉

しかし、『マガジンハウスを創った男 岩堀喜之助』には、『平凡』の読者をメンバーにした「平凡友の会」の設立運営に熱心だったという記述があるぐらいで、なぜ〈農本主義的な思想の持ち主〉だったのかを解明するような記述は皆無。すごく物足りなさを感じる本であった。

岩堀の謎の解明は戦時中、宣撫班にいたことと関係しているのだろう。