ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

原貢のDNA


原辰徳の父、原貢さんが死去。
享年79歳でした。
辰徳は父・貢が23歳のときの子供だったんですね。

親子鷹で知られた原父子ですが、
私はこのふたりを間近に見たことがあります。

今から39年前、1975年。
この年、私は大学に入学し
相模原市内のアパートに住み始めました。

そのアパートのすぐそばに東海大相模高校があり、
何度か野球部のグラウンドに
練習を見に行ったことがあるのです。

当時、辰徳は高2でした。
前年夏に高1で甲子園デビューし、
この年のセンバツで東海大相模は準優勝。
辰徳はすでに高校野球界の
スーパースターでした。

辰徳より4学年下のワタナベ・コウは中1。
彼女も辰徳ファンだったくらいの
スーパースターです。
実績でも図抜けていて、
おまけに美形という点では、
高校野球史上
ナンバーワンのスターかもしれません。

センバツで東海大相模が準優勝したその試合を、
私は東海大相模のすぐそばの
アパートでテレビ観戦していました。

その日の夜、
東海大相模の校内で
準優勝祝賀会が開かれ、
原監督と選手たちがそこにいました。
つい5時間ぐらい前にテレビに
「出演」していた彼らを
生で見ている感覚が、
何か不思議な気がしました。

軍司貞則『十万人のふたり-原辰徳と津末英明』で
辰徳自身も語っていますが、
父・貢の指導は厳しかったようです。

実際、私は原監督がノックの最中に
部員に膝蹴りを入れている現場を
目撃したことがあります。

今なら不祥事ですが、当時、
強豪校ならフツーのことだったのでしょう。
辰徳もビンタくらは
日常茶飯だったのではないかな。

辰徳によれば、
とにかく親父に叱られないように
するにはどうすればいいか? 
そればかり考えていたと証言しています。

でも、家に帰ると何事もなかったように、
フツーの親父になる貢。
高校生の辰徳はそれが
どうしても理解不能だったらしい。

おそらく、貢はグラウンドでは
演技していたのでしょう。
実の息子に辛く当たることにより、
練習でも試合でも常に緊張感のある
状態を保ちたかったのではないか。

父・貢に関して思うのは、
野心家ですよね、やっぱり。
薩長に通じる九州人の上昇志向。
東海大グループの宣伝部長として
大出世したという印象が強いです。

しかしながら、孫の菅野まで
ジャイアンツのスーパースターへの
階段を上り始めているというのが、
なんとも、原貢のDNAは恐ろしい。

明治維新から150年ぐらい経ったのに、
まだ薩長の引力圏にあるのか日本は。

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