ふもれすく年譜 1887年(明治20年)


●辻潤(3歳)、父母に手を引かれて
浅草の仲見世や観音様などをよく歩いた。
このころ熱を出、よくヒキツケを起こした。

この頃、浅草の観音様にお参りに行った時、
易者が頼みもしないのに天眼鏡で覗いて、
「このお子さんは僧侶になされば
必ず出世なさいます」と告げる。
(「自分はどのくらい宗教的か?」など、
四、五歳とある。「あさくさ・
ふらぐまんたる」には三四歳の頃、とある。)

四、五歳位の時から「幻燈屋のふみちゃん」と
毎日雨が降っても風が吹いても遊ぶ。
(「幻燈屋のふみちゃん」)

【5月】
●らいてうの父・平塚定二郎、
会計検査院一行と欧米巡遊。
1889年暮れに帰国。

【6月】
●二葉亭四迷『浮雲』第一編(金港堂)。

【11月】
●オスカー・ワイルド、
雑誌『ウーマンズ・ワールド』の編集長に就任。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p80

【12月】
●12/25
保安条例施行。
尾崎行雄、星亨、林有造、中江兆民、
片岡健吉ら570人が皇居から3里
(約11.8km)以外に退去させられる。

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