伊藤野枝年譜 1919年(大正8年)24歳


【1月】
●1/5
松井須磨子、
芸術倶楽部で抱月の後を追い縊死。

●1/15
労働運動研究会と北風会が合同し
初会合を開く。
以後、合同した「北風会」例会を開催。

●1/18
パリ講和会議が始まる。

●1/27
隣りの工場からの出火で
大杉(34歳)&野枝(24歳)の
田端の家が全焼。
大杉(34歳)の蔵書焼失。

●『婦人公論』1月号にらいてふ
「現代家庭婦人の悩み」掲載。
晶子の所説に対する反論。

●『新公論』1月号
大杉「獄中記-前科者の前科話(一)」

【2月】
●2/3
大杉&野枝、
北豊島郡滝野川町大字西ヶ原に移転。
警視庁刑事課長・
正力松太郎に家賃不払い問題で
「家宅侵入罪および詐欺」で告発されるが、
家主が告訴取り下げる。
➡野枝「アナキストの悪戯」「拘禁される」
「ある男の堕落」(『女性改造』1923年11月号)

●2/5
大杉ら山川と荒畑の出所を東京監獄前で迎える。
山川と荒畑は雑誌『青服』の出版法違反で入獄。
島村抱月の死と須磨子の自殺の話で盛り上がる。
➡『続獄中記』

大杉、安成と久しぶりに会い
田端の家が焼けた話をする。
安成、これを『丸焼け』
という短編小説にする。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

●2/11
長江、普通選挙改正運動に奔走。

●2/23
大杉、吉田一の「労働相談所」の
チラシ文を書く。

「労働相談所」は
南千住センゾク872涙橋停留所傍松喜横町。

●2月末
上山草人と妻・浦路、
内藤民治の支援を受けて
米ハリウッドへ向かう。

●『新公論』2月号
大杉「獄中記-前科者の前科話(二)」

【3月】
●堺、高畠、
山川の合名会社である売文社解散。

●このころ大杉と野枝、
浅草の「グリル茶目」や
浅草オペラの楽屋に出入りする。
➡『日録・大杉栄伝』p259

【4月】
●4/1
大学令施行。

●4/3
大杉の自宅に同志が集合、飛鳥山で観桜会。

●4/12
大杉宅に岩佐作太郎来訪。
大杉宅でかっている山羊と犬を目撃。

●4/13
大杉、啄木七周忌追想会に出席。

●4/21
大杉、「演説もらい」を始める。

●4/23
●野枝の療養をかね千葉県中山に転居
(千葉県東葛飾郡葛飾村)。

日蓮宗の名刹、中山法華経寺の近く。
妹・あやめ親子も同居。

●『改造』創刊。

●『中外』4月号を最後に終刊。

●『新公論』4月号。
大杉「生物学から観た個性の完成」。

●『新小説』4月号。
大杉「続獄中記-前科者の前科話(三)」

●春ごろ
辻潤、本郷の栄林館に下宿
(夏、下宿料滞納で追い出される)。
浅草「グリル・チャメ」を
倶楽部のようにして飲酒に耽ける。

【5月】
●浅草の観音劇場で文士劇公演。
大杉、野枝らが来場。
➡『日録・大杉栄伝』p262

●5/4
中華民国・北京で抗日、反帝国主義を掲げる
大衆運動、五四運動起きる。

Beijing_students_protesting_the_Treaty_of_Versailles_(May_4,_1919)
デモ行進する北京大学の学生
(@ウィキペディア)
●中旬ころ
大杉、メーデー歌の作詞者、
大場勇と千葉病院に石井漠を
見舞い労働歌の相談。

●5/20
大阪朝日新聞社が文芸欄を創設のため
築地の精養軒で「文芸家招待会」開催。
らいてうと晶子の着物姿の写真が
翌日の東京朝日新聞に掲載。

●5/23
大杉、尾行巡査殴打事件。
千葉県葛飾郡東葛飾村の藤山山三郎方で
尾行していた船橋署の安藤清巡査を殴る。

●堺利彦翻訳『野性の呼声』出版。
ジャック・ロンドン『The Call of
the Wild』の翻訳が雑誌『中外』に連載。
辻潤もこの連載を愛読していた。
➡『パンとペン 社会主義者・
堺利彦と「売文社」の闘い』(p339)

●『労働者』5月号
大杉「何よりもまず」

【6月】
●6/19
大杉&野枝、
千葉中山のから本郷区駒込曙町に転居。

●6/28
ベルサイユ講和条約調印。
国際連盟の国際労働機関
(ILO)が設置される。
➡『日録・大杉栄伝』

【7月】
●7/7
大杉、著作家組合第一回大会に出席。

●上旬ころ
大杉、森戸辰男と面談。
森戸が論文「クロポトキンの
社会思想の研究」執筆にあたり懇請。
森戸事件になり社会問題化する。

●7/15
神田青年館で開かれた
日本労働連合会第一回大会で「演説もらい」。
大杉ら神田署に検束される。

●7/17
大杉ら築地の川崎屋で開かれた
労働問題演説会で築地署に検束さ、
一晩留め置かれる。

●7/19
大杉、警視庁に家宅侵入と
詐欺罪容疑で拘引される。

警視庁刑事課長・正力松太郎が
詐欺と恐喝で取調中と記者発表する。

●7/21
大杉、巡査殴打事件で起訴される。
警視庁刑事課長・正力松太郎の画策。
警視庁にふた晩留置後、
東京監獄未決監に収監。

●夏ごろ
辻、一を連れて石井漠の家を訪れる。
母美津が病気で寝込んだため、
石井漠の妻八重子に
しばらく一を預かってもらう。

辻は一を八重子に預けて、
伝法院のそばのカフェー・
パウリスタに入りびたっていた。

漠も辻があらわれると、十二階の裏手にある
「グリル茶目」に連れて行って
一緒に酒を呑む。
グリル茶目は、評論家であり
歌人でもある黒瀬春吉が経営していた店で、
入口のわきに「労働同盟会」という
看板をかけたおかしな飲み屋だった。

●夏
らいてう、名古屋新聞主催の
夏期婦人講習会の講師として赴き、
そのあと元名古屋新聞記者・
市川房枝の案内で、
愛知県下の繊維関係工場を視察。

【8月】
●8/1
大杉『獄中記』春陽堂より出版。

●8/4
大杉、尾行巡査殴打事件
の初公判(懲役三か月)。

●8/5
社会主義同盟結成。
社会主義者の大同団結。
➡『大杉栄研究』p286

●8/8〜8/14
山崎今朝弥が設立した労働者の教育機関、
平民大学が芝区三田の統一教会で開催。

社会主義者の大同団結を機運を促す。
同じ役目を果たしたのが、
山﨑が創刊したマルクス主義の
理論誌『社会主義研究』。
山川が啓蒙的は論文を掲載し
学生社会主義に歓迎される。
➡『大杉栄研究』p284

●8/11
大杉、保釈となり東京監獄から自宅へ帰る。

●8/13
林倭衛(はやし・しずえ)、
大杉が滞在している大石七分宅を来訪。
「出獄の日のO氏」を描き上げる。
大石七分は大杉の保釈金を出した。

林倭衛「出獄の日のO氏」
林倭衛・画「出獄の日のO氏」
(『大杉栄 伊藤野枝選集 第十巻』
黒色戦線社)

●中旬ころ
望月桂宅で望月が墨絵
「ある日の大杉」を描く。

●『労働者』8月号
大杉「僕等の主義」

【9月】
●9/1
第六回二科展が上野公園の
竹の台陳列館で開催(翌日から一般公開)。
「出獄の日のO氏」出展撤回命令を下される。
大杉と野枝、林とともに会場に足を運び、
撤回された絵のところに立つ。

●9/2
大杉、警視庁・正力松太郎を告訴。

●9/8
らいてふ『国民新聞』に
女工視察記を10回にわたり連載。

●9/18
神戸川崎造船所で職工が賃上げ闘争。
「サボタージュ」が流行語になる。

●辻、麹町九丁目の武林無想庵の家に居候。
無想庵は二階に居て、辻は階下の一室に暮らす。
●辻が翻訳した
ワイルドの『ド・プロフォンディス』(越山堂)出版。
※はしがきに「本郷の假寓にて」とある。

【10月】
●10/2
神近市子(31歳)出獄。
秋田雨雀とエロシェンコが自動車で
八王子刑務所に迎えに来る。
中溝民子宅に1年ぐらい
お世話になり文筆活動に入る。
伊豆修善寺温泉で
大正日日新聞の連載小説を書く。

入獄中、ワイルドの『獄中記』を訳す。
➡『日録・大杉栄伝』p296

●10/5
本所業平(なりひら)小学校で
友愛会婦人部主催の
婦人労働者大会が開かれる。
ワシントンで開かれる
第一回国際労働会議
代表選任をめぐりもめる。

閉会後、野枝、控え室に闖入し
政府代表の婦人顧問・
田中孝子(渋沢栄一の姪)に抗議。

「婦人労働者の経験のないあなたに、
婦人顧問をつとめる資格はないのだ。
一刻も早くおやめなさい」

らいてふが野枝に接したのはこ
の時が最後になる。

●10/6
第一次『労働運動』(月刊)創刊。
社員は大杉、野枝、和田久太郎、
近藤憲二(早大政経卒)、
中村還一、延島英一。
野枝は婦人欄を担当。

大杉「労働運動の精神」

大杉「国際労働会議」
ワシントンで開かれる
第一回国際労働会議について。

大杉「友愛会の戦士・
労働運動理論家賀川豊彦論」

労働運動創刊号
『労働運動』創刊号
(『大杉栄 伊藤野枝選集 第二巻』
黒色戦線社)

●10/24
長江と堺、大阪中之島公会堂で講演。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p222

【11月】
●11/13
第一次『労働運動』2号。

大杉「徹底社会政策」

大杉「最近労働運動批判」
安部磯雄、賀川豊彦、山川均らの
「批評」の批評。

大杉「労働運動家鈴木文治論」

●11月中旬
らいてふ、
大和安堵村に住む富本一枝を訪ねる。

●11/24
大阪朝日新聞主催で
第一回関西婦人大会が開催される。
らいてふ、新婦人協会の趣意書に通じる
「婦人の団結を望む」講演。

●平塚らいてう、
市川房枝らが新婦人協会結成。

●辻、無想庵が借家を出て
放浪に身を任せることにしたので、
無想庵の紹介で比叡山に上り、
宿院にてスティルナーの
『唯一者とその所有』の訳業を続ける。

●11/30
東大の学生を中心にする「新人会」
一周年記念の会で長江、得意の長唄を披露。

【12月】
●野枝「婦人労働者の現在」。➡『新公論』

●12/1
長江『資本論』第一分冊刊行(緑葉社)。
高畠素之(たかばたけ・もとゆき)
の攻撃始まる。

●12/5
望月桂が「黒燿会」会則で民衆美術宣言。
『大正自由人物語 望月桂とその周辺
(小松隆二著/岩波書店)119頁

●12月中旬
無想庵、比叡山に来山。
辻と宿院からさらに善光院に住む。

●12/18
大杉、尾行巡査殴打事件で懲役三ヶ月が確定。

●12/23
大杉、東京監獄に収監、
翌日、豊多摩監獄に移監。
1920年3月出獄。
ファーブルの英訳本を貪り読む。
➡「入獄の辞」
(『労働運動』第一次三号 1920年1月)

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旧豊多摩刑務所。1915年竣工
(@ウィキペディア)

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旧豊多摩刑務所表門
(@ウィキペディア)

●12/24
野枝、次女エマを出産。
エマは大杉の妹・牧野田松枝の
養女となり幸子と改名。

松枝の夫は天津在勤中の
陸軍翻訳官・牧野田彦松。
松枝は後、彫刻家・菅沼五郎夫人
として鵠沼で暮らす。

安成二郎が松枝と幸子の写真を見ている。
➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」

菅沼五郎
➡大杉豊『日録・大杉栄伝』p370

●12/24
森戸事件起きる。
この日に発売された
東京帝国大学経済学部の機関誌
『経済研究』創刊号が即日発禁になり、
同誌に掲載された森戸辰男助教授の論文
「クロポトキンの社会思想史の研究」が
無政府主義を宣伝するものだ
として起訴された事件。

民本主義急進化の芽を摘もうとする
原内閣の政策であり、
アカデミー側から上がった反体制の声。

クロポトキン思想が流行る。
➡『大杉栄研究』p279

※この年
大杉と野枝は魔子を連れて、
荒木滋子・郁子経営の旅館、
玉名館に遊びに行った。

野枝は荒木姉妹とは青鞜時代からの友人。
郁子と相思相愛だった
岩野泡鳴も交えて交流。
泡鳴は翌年5月に病死。

荒木滋子の一人娘は
文学座女優だった荒木道子。
荒木道子の息子が荒木一郎。

【その他】
●山本鼎が信州で農民美術運動に着手。

伊藤野枝年譜 索引