伊藤野枝年譜 1921年(大正10年)26歳


【1月】
●1/8
大杉、コスモ倶楽部で講演。

●1/11
大杉ら第二次『労働運動』
(週刊)の編集会議。
ボル側(共産主義者)の出席者は
近藤栄蔵、高津正道。

●中旬ころ
林倭衛と広津和郎が大杉を訪問。

●1/15ころ
大杉ら労働運動社を
神田北甲賀町の駿台倶楽部内に設置。
九津見房子が月給30円で働く。

●1/25
大杉ら第二次『労働運動』(週刊)創刊。
資金は大杉が上海で受け取った2000円。

大杉「日本の運命」

野枝は同人になっていない。
第二次『労働運動』は伊井敬(近藤栄蔵)や
高津正道(暁民会の暴れ者)らを
受け入れてアナ・ボル提携の実験。
伊井らの裏切りで6月、13号で廃刊。
➡『大正自由人物語』(p138)

久板、宮嶋らはボルとの共闘に反旗を翻し
『労働者』を発刊。

●尾崎士郎「獄中より」が
『時事新報』懸賞小説の二位入賞。
「獄中より」は大逆事件に材を得た。

●辻、『英語文学』の英文和訳の選者になる。

●長江、『現代』に小説「落花の如く」
連載(1月号〜10月号)
翌年四月、単行本刊行。

●『女性同盟』新年号で
広島県女教員圧迫事件を扱う。

【2月】
●2/1
第二次『労働運動』(週刊)2号。
大杉「直接行動論」

〈法律があったって何にもならないんだ。
なぜだろう。
彼等には力があって、
われわれにはそれがないからだ、
そして法律はこの力の味方であるからだ。〉

大杉「革命はいつ来るか」

●2/6
長江の父・喜平治、死去。

●2/8
早朝、モスクワ郊外の寒村ドミトリで
ピョートル・アレクセイヴィチ・
クロポトキン死去。

Peter_Kropotkin_circa_1900
クロポトキン(1842年-1921年)
From Wikimedia Common

松岡正剛の千夜千冊

●2/10
大杉、野枝、魔子、和田久太郎、
金沢八景へ馬車で遊びに行く。

●2/15
大杉、築地・聖路加病院に入院。
肺結核で重篤になる。
3月下旬退院。

野枝の看病。
➡安成二郎『無政府地獄』「かたみの灰皿」

【3月】
●大杉栄著『悪戯』刊行、野枝の文章6編収録。

●初旬
大杉、回復に向かう。

●3/4
読売新聞に伊福部隆輝
「阿部次郎氏に問う
正義の戦ひに就いて」掲載。
長江、伊福部にアドバイス。

●3/7
バルト海艦隊の拠点である
クロンシュタットの水兵たちが
アナキスト的標榜を掲げ反乱を起こす。

独裁化しつつあった
ボリシェヴィキ政権に対して、
自由選挙の保障、言論・出版の自由、
政治犯の釈放、個人の財産の所有権などを
要求して蜂起したが鎮圧される。
ボリシェヴィキ政権の
ソビエト国内で最後にして
最大規模の反政府反乱。

Kronstadt_attack
クロンシュタットの反乱
From Wikimedia Commons

●3/13
野枝、福岡に帰省せず
鎌倉で三女・エマ(笑子)を出産。

●3/21
ロシアで新経済政策施行。
市場原理の部分的導入。

●3/28
大杉、聖路加病院から退院する。

【4月】
●『改造』4月号(第三巻第四号)

野枝「『或る』妻から良人へ」。
〈それからミシンもすこし動かしてみました。
機械というのは面白いものですね。〉

●野枝、山川菊栄に
誘われ社会主義者婦人団体・赤潤会
(せきらんかい)に参加(顧問)。
コスモクラブが主催する講演会で
婦人労働問題などを講演。

翌月5月の第二回メーデーに参加し
当局に弾圧される。

●長江の推薦で『新小説』4月号に
佐々木味津三の小説「地主の長男」、
高群逸枝の長詩「日月の上に」掲載。

高群はこの時、数えで28歳、
9歳もサバを読んでいた。

●4/25
西村伊作が与謝野晶子、
与謝野鉄幹らの協力を得て文化学院創立。

【5月】
●5/1
第二回メーデー。
赤瀾会のメンバー拘束される

●5/9
大杉、検束され
社会主義同盟第二回大会に参加できず。

●5/28
エロシェンコが上落合の辻の家に遊びに来る。
エロシェンコがレコードを
ききたいと言ったので、
居合わせた高橋勝也が近所の
犬養健のところに連れて行った。

エロシェンコに対し内務省から
危険思想を抱いている
ということで退去命令が出され、
この夜淀橋署に検束された。

●5/28
新旧社会主義者を含む全国的統一組織、
日本社会主義同盟の解散。
結社禁止命令のため。

【6月】
●6月初旬
神近、長女を生む。

●6/25
週刊『労働運動』(第二次)第十三号、発刊。
廃刊になる。
上海に行った近藤栄蔵が堺・山川らと内密に
コミンテルン日本準備会を組織し、
独自にコミンテルンに接触したことが判明。
アナ・ボル共同戦線の道が絶たれる。

【7月】
●山川菊栄『太陽』7月号に
「新婦人協会と赤潤会」発表。
らいてう、不快を覚える。

●7/8
神戸の川崎造船所と三菱造船所で45日に
渡る大ストライキが始まる。
8月には大杉が15円カンパする。

●7/13
大杉、自叙伝執筆のため
野枝と魔子を連れて新発田に出発。

●7/15
『改造』3巻8号。
野枝「火つけ彦七

大杉「無政府主義の父」

●7/26
大杉、改造社が招いた
バートランド・ラッセルの歓迎会に出席、
彼と面談する。

ラッセルは北京大学での約1年間の講義を終え
帰国の途次に日本に寄った。

横関愛造「日本に来たラッセル卿」

●7/30
バートランド・ラッセル、二週間の
日本滞在を終え帰国。
大杉、野枝、横浜で見送る。
ラッセル、『ラッセル自叙伝』で
野枝に賛辞を贈る。

●7/30
朝日新聞「女流歌人との恋に
悶えて石原博士辞職す」と報道。

相対性理論を日本に紹介した物理学者、
東北帝国大学教授・石原純
(あつし)と原阿佐緒。

●7/31
ラッセルの通訳を務めた
コズロフが大杉宅を訪れる。

●7月
野枝、赤瀾会講演会で講演。

【8月】
●8/6
大杉、岐阜へ行き偽名で名和昆虫研究所に通う。
『昆虫記』翻訳のため。

●8/15
大杉、評論集
『正義を求める心』出版(アルス)。

●『太陽』8月号に奥むめお
「山川女子の新婦人協会と
赤瀾会を読みて」掲載。

●夏
住井すゑ『相剋』刊行。
住井はそのころ長江宅に通っていた。
長江は住井の才能を評価。

【9月】
●『改造』9月号。
大杉「霊魂のための戦死」
トルストイが支持したキリスト教の一派で
無政府主義的なドゥホボール派について記述。

大杉「自叙伝(一)」

●中旬
大杉、、和田久太郎、魔子と藤沢・
鵠沼の東屋旅館に滞在。
『自叙伝』(『改造』10月号から連載)
執筆と『昆虫記』翻訳のため。

●『太陽』9月号に山川菊栄
「無産婦人の立場から」掲載。

●9/25
東京監獄を出獄した近藤憲二が
大杉宅に11月初めまで同居。
村木、和田も同居。
村木はピストルの弾を持っていて、
ある時、近藤に「原敬をやる」
といったという。

●9/30
大杉、近藤栄蔵が経営する
売文社の顧問会に出席。
近藤が大杉との関係修復を図った。

●この月
生田春月の自伝的長編小説『相寄る魂』。
大杉、自分が登場するこの本を
モデル料として贈呈せよと春月に書簡を書く。

【10月】
●『改造』10月号。
大杉「自叙伝(二)」

●野枝「成長が生んだ私の恋愛破綻」
➡『婦人公論』

●上旬
大杉、イルクーツクで開催される
極東民族大会に参加の打診をされる。
大杉、直前にキャンセルする。

●10/22
朝日新聞が柳原白蓮(燁子/あきこ)と
宮崎龍介の駆け落ち事件を報道。
燁子の夫への絶縁状を公表。

【11月】
●『改造』11月号。
大杉「自叙伝(三)」

●11/4
原敬、東京駅で国鉄大塚駅転轍手の
中岡艮一(こんいち)により刺殺される。

●11/5
大杉、「自叙伝」執筆のため
鵠沼の東屋旅館に滞在。
尾行から号外を入手、
同宿していた佐藤春夫と
原敬暗殺について話す。

大杉、東屋で作家と交流。
芥川、宇野浩二、里見弴、久米正雄、
佐々木茂索、徳田秋声など。
吉屋信子(25歳)とはピンポンをやる。

●11/12
大杉、夜行列車で仙台へ向かう。
山川が最後に大杉と会ったのはこの時。

●11/13
朝6時、大杉、仙台に到着。
岩佐らと中央ホテルに投宿。

仙台歌舞伎座で開催される
「社会問題講演会」に向かう途中、
東一番町の「鳥平」で夕食を
とろうとしたところを
仙台署の警官に検束される。
翌日の未明、
尾行をつけられ東京に護送される。

●11/23
大杉、神奈川県三浦郡
逗子町逗子九百六十六に移転。

魔子と大杉「亀の子遊び」の写真あり。

●辻、佐藤惣之助の紹介で
川崎砂子一八七番地の路地の
突き当りの二階建ての家に、
母と息子を引き連れて住む。
(「文学以外」) 
前は落合村にいて毎日火葬場の
煙を見て暮らしていた。

これで、薄汚ない風呂敷包みに
原稿紙と二三冊のノートと
三省堂発行の古ボケタ
英和辞典と尺八とを包んで
ブラブラと歩きまわる
必要がなくなった、とある。
地上げをしたボロ長屋で土台が
シッカリしていないためか、
電車や汽車の通るたびに
グラグラ揺れる、とある。
朝と昼と晩のケジメがつかなくなり、
「寝床はどうかすると、
三日も四日も敷きっぱなしで、
原稿書きがイヤになると、
その上に仰向けに
ひっきりかえって欠伸をしたり、
バットを吹かしたり、天井の節穴を眺めたり、
古本を乱読したりする。」(「文学以外」)

この月、川崎に越してまもなく高橋新吉来訪。
(『ダダイスト新吉の詩』
跋及び高橋新吉「師友」)

「綿だけのふとんを被て、
辻潤は、ねていたが、
鼻下に髭を蓄えていて、
ドテラを着て、応対した。家の入口から、
奥まで見通しの狭い家だった。
鮭の切り身をおふくろに買って来させて、
めしを一緒にたべさせられた。」
辻、ダダを新吉より知り、
ダダイストと名乗り始める。
(高橋新吉「ダガバジジンギヂ物語」) 

●大杉「怠業と勤業」
初出不明、稿末に1921年11月の日付あり。

【12月】
●『改造』12月号。
大杉「自叙伝(四)」

●辻、『自我経』
(『唯一者とその所有』の全訳)
改造社より刊行。
この頃、ジョウジ・ムウアの
「一青年の告白」を
訳し始める。(『一青年の告白』自序)

この頃、稲垣足穂を知る。
(稲垣足穂「唯美主義の思い出」)
はたちを過ぎた頃、佐藤春夫と歩いていて、
辻潤に出会ったという。
稲垣足穂の生まれたのは、
一九〇〇(明治三三)年十二月二十六日、
佐藤春夫の知遇を得たのが、
一九二一(大正一〇)年であること
(『新潮日本文学辞典』)から推定。

「さて、はたちを過ぎた頃だった。
佐藤先生と、相馬屋紙店の前を神楽坂下に
向って歩いていた時に
擦れ違ったとんびを着た人物があった。
瞬間の印象は「貧乏恵比寿」に見えた。
先方の門歯には金冠が光っていたようだが、
ともかく、
この数日間、歯刷子を当てた
歯並びではなかった。」とある。
(稲垣足穂「唯美主義の思い出」)

●12/24〜12/28
黒燿会第3回作品展覧会。
大杉、A・ローレル『直接行動論』から
引用したドイツの俚言を書にするが、
撤去される。

乞い願ふものには与えられず
強請するものには少しく与えられ
強奪するものには全てを与えられる

内見でこの書を見た古田大次郎の心を打つ。

●12/25
久板卯之助、池尻の神近の家から伊豆へ出発。
➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p196

●12/26
第三次『労働運動』(月刊)創刊(1号)。
アナキズムを鮮明にした。
同人は大杉、野枝、和田、近藤。

野枝「無政府の事実」(前編)

大杉「無政府主義と組織」
(エマ・ゴールドマン)

大杉「ソヴィエト政府と無政府主義者(二)」

労働運動社は近藤栄蔵が
経営していた売文社を受け継ぎ、
本郷区駒込に再興。

※この年、アンドレ・ジッドの
『一粒の麦もし死なずば』刊行。

作者の名を秘して上巻12部、下巻13部のみ出版。
ワイルドとダグラスの少年買いを赤裸裸に暴露。

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