「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」35回 出奔(七)

文●ツルシカズヒコ

 野枝が出奔したのは一九一二(明治四十五)年四月だったが、その二年後『青鞜』に「S先生に」を寄稿し、出奔したころの上野高女の教頭・佐藤政次郎(まさじろう)の言動を痛烈に批判している。

 佐藤に対する批判の要点を現代の口語風にまとめてみた。

 先生は倫社の講義中、興奮すると腐敗した社会を罵倒しました。

 先生の講義によって、半眠状態だった私の習俗に対する反抗心が目覚めました。

 私は先生に教わったとおりに、全力で因習に反抗した結果、出奔したのです。

 それなのに、私に反抗を教えてくれた先生の、そのときの対処はどうだったでしょう。

 先生は傲慢にも私を徹頭徹尾、子供扱いしました。

 そして先生の態度は不徹底で私にも、私の両親にも、両方に親切を見せつけ、どちらからもよく思われようとしました。

 先生は社会に対抗して生きていける方ではなかったのです。

 先生の講義は、現実社会に妥協して生きて行かざるを得ない苦しさ、その憂さ晴らしだったのです。

 それに関しては、同情しますが、問題は先生にその自覚がないことです。

 先生は辻に宛てた手紙に、こう書きました。

 「私は感情的で、早い話が手紙を書く前と後ではあなた(辻)に対する感情が違う、感情の移りやすい私は過度に激昂したり、にわかに気の毒になって下らない妥協をする幼稚な悪癖があるのです」

 またこうも書きました。

 「人を見ても大づかみに値踏みをしたり、早飲み込みの侮蔑をしたりすることが多い。人を尊重せぬ悪弊と深く悔います」

「悪癖」という一種の病気にしているところが笑えますが、病気なのに辻や西原先生の態度について、自分を一段高いところに置いて批判しているようですね。

 先生には自分が本当に悪癖を持っているという自覚がないんですよ。

 先生は言論ではーー私たちに講義してくれたときーー社会とか道徳とか習俗などを極力排斥したように思います。

 しかし、実際問題に直面したときには、先生はあそこまで道徳とか習俗に固執していました。

 先生は型にはまったことが嫌いで、それを非難していましたが、先生自身が型にはまった生活から抜け出られないのです。

 道徳なんて都合次第でできたものじゃないですか。

 だから都合次第で破戒してもよいものだと思います。

 人間の本性を殺したり無視したりする道徳は、どんどん壊してもよいと思います。

 破戒する力を与えられていない人は仕方ないにしても、そうい確信を持っている人はどんどん破戒して進んだ方がよいと思います。

 既存の道徳を破戒できない人は、道徳それ自体を恐れているのではなく、道徳を取り巻いているものたちを恐れているのです。

 先生だって現今社会の道徳に偉大な権威を認め、満足しているわけではないでしょう。

 ただ、その道徳を奉じている社会の群集の勢力が、先生の生活に及ぼす不利な結果を恐れているのですよ。

 私はあの事件で一足飛びに大人になり、学校で聞いた先生方の講義が何の役にもたたないことを知りました。

 あの事件のとき、先生は私の心の中に渦巻いている大きな矛盾を肯定させようとしました。

 私にいくらか影響を与える周囲というものをつきつけて。

 先生が日ごろ言っていたこととはまるで違う態度で、社会というものを説く先生が焦(じ)れったかったです。

 しかも、先生は俗悪な社会の道徳や習俗に対して何の苦痛も抱かずに接しながら、一方では高遠な理想を説いていて、その理想と愚劣な現実をやむを得ないという、アッサリした言葉で片づけて平然とすましていました。

 古き理想主義に徹底することもできず、俗な生活にも満足できず、一生ボヤっと過ごしているのかと思うと本当に淋しい気がします。

 教育者や学校教育に対する辛辣な批判である。

 言行の不一致を批判しているのである。

 体を張って因習と闘ってきた野枝が、あの事件から二年後に佐藤に言論でリベンジしたのである。

 佐藤は野枝より十九歳年上であるが、『青鞜』の「新しい女」の代表として頭角を表し始めていた野枝の、旧世代の男性教育者に対する批判という意味もあっただろう。

 しかし、野枝は佐藤から受けた恩や親しみに対する感謝の念を忘れたわけではなく、「S先生に」の最後をこう結んでいる。

 学校時代の無責任な楽しさは思ひ出しても気持ちのいいものです。

 先生のお宅にゐました頃ーーそれももう二度とは返つて来ない楽しい月日です。

 何だかあの先生のお宅で林檎をかぢりながらいろんなお話を伺つたときのやうな子供々々した、なつかしい親しみをもつて先生に甘へたいやうな気持になります。

 かうなつて来ると、あんなにくまれ口をきいた大人になつた自分が悪(にく)らしくなつて来ます。

 そのうちに、こんな理屈を云つたことは全く忘れたやうな顔をして、先生のお書斎に子供になつて甘へに行きます。

 そのとき何卒(なにとぞ)悪(に)くらしい大人の私をしからないで下さいますやうに今からお願ひして置きます。(三、五、一五)
 
(「S先生に」/『青鞜』1914年6月号・第4巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p82)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

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