「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」38回 椎の山

文●ツルシカズヒコ

 
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p404~405)によれば、野枝から手紙を受け取ったらいてうは、まず辻潤に相談することにした。
 
 小耳に挟んでいた染井という住所を頼りに、らいてうは辻の家を探し当てたが、辻は滝野川に引っ越していた。

 その足で引っ越し先に行くと、辻は不在だった。

 家人に用件を告げ名刺を置いていくと、翌日あたりに辻がらいてうを訪ねて来た。

 野枝の上京後については、辻が責任を持つということだったので、らいてうは自分のポケットマネーから野枝に旅費を送った。

 らいてうは、しばらくの間、辻と野枝の関係に気づかなかったと回想している。

 野枝の印象がとても子供らしかったし、手紙や会話ではすべてを打ち明けているふうな野枝が、そのことに触れなかったからである。

 辻は野枝のことを教師らしい言葉で「頭の良いよく出来る子」だと言った。

 野枝も辻のことを「先生がああいった、こういった」という言い方をしていた。

 辻が野枝のことで職を失ったことも、らいてうは後で知った。

 らいてうがふたりの関係を知ったのは、野枝が妊娠したと聞いたときであり、野枝が辻のことを「先生」ではなく「辻」と呼ぶようになったのも、妊娠した後だった。

 野枝がこのときの帰郷のことを『青鞜』に書いたのが「日記より」である。

 野枝は本文に「牧野静」というペンネームを使用しているが、目次には「野枝」と印刷されている。

『定本 伊藤野枝全集 第一巻』解題によれば「原稿にあったペンネームを編集部が見落としたためであろうか」。

 六日ーー
 
 雨だらうと思つたのに案外な上天気。

 和らかな日影が椽側の障子一ぱいに射してゐる。
 
 書椽の方の障子一枚開くと真青な松の梢と高い晴れた空が覗かれる。

 波の音も聞こえぬ。

 サフランの小さい花がたつた一つ咲いてゐる。
 
 穏やかな、静かな朝だ。

 枕の上に手をついてそつと上半身を起して見る。

 少し頭が重いばかりだ。

 暫く座つてた。

 朗らかな目白の囀(さえず)りが何処からともなく聞こえて来る。
 
 来さうにもない手紙を待つてたけれども駄目だつた。
 
 午後お隣りのお婆さんの歌が始まつた。

 夷魔山(いまやま)のお三狐(さんぎつね)にもう、十年近くもとりつかれてゐるのだ。

 七十越したお婆さんが体もろくに動かせない位痛み疲れてゐながら食べるものは二人前だと聞いて驚く。

 時々機嫌のいゝ時には歌ふのだ。

 私たちの知らないやうな、古い歌ばかりだ。

 毎日々々たいして悪くもない体を床に横たへて無為に暮す私のさびしい今の心持ちでは、お婆さんの歌は非常に面白く聞かれる。

「わしが歌ふたら、大工さんが笑ふた。歌にかんながかけられよか」

 なんて、おもしろい調子で歌ふ。

「婆さんが沈み入るごとある声出して歌ひなさるけん、私どもうつかり、歌はれまつせんや」

 若い、お婆さんの養子は高笑ひしながらお婆さんを冷やかしてゐる。

 お婆さんの細い声がクド/\何か云つてゐる。

 暫くして畑にゐた祖母が垣根越しに養子と口きいてゐた。

「へゑ、只今御愁嘆の場で御座います、もう、近々お逝(か)くれになりますげなけん、そのお別れの口上で……」

 ときさく者の養子はあたりかまはず笑つた。

 祖母の笑ひ声も聞こえた。

 今日も、平穏無事な一日が静かに暮れて行つた。

「日記より」/『青鞜』1912年12月号・第2巻第12号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p13~14)

 

 八日ーー

 懐かしく恋しく、何時までも去り度くなくてはならぬ筈の父母の家を私は、再び逃がれ出でやうとのみ隙をねらつてゐるのだ。

 何と云ふ不幸な私だらう。

 十重廿重(とえはたえ)に縛(いまし)められた因習の縄を切つて自由な自己の道を歩いて行かうとする私は、因習に生きてゐる、両親やその他の人々の目からは、常軌を逸した、危険極る、道を平気で行く気違ひとしか、見えないだらう。

 私は、両親を欺いた。

 すべての、私の周囲の人を偽つた。

 然しそれを私は、罪悪だとか何とか考へたくない。

 ……親なんか、何でもないと、いふ気も出るけれども、矢張り目に見えぬ、何かの絆は、しつかり、親と、子といふ間を、つないでゐてその絆はどうしたつて、断つ事は出来ないのだ。

 ……私が両親を欺いて、家を出て後に父母が襲はれる苦痛と家の中の暗い、不安な、空気をもつて、抱く苦しい心持がうろつく。

「不足なう教育も受けてゐながら、人並にしてゐれば幸福に暮せるものをどうして従順(おとな)しくしてゐる事が出来ないのだらう」

 と昨日も祖母が次の間でこぼしてゐた、私は黙つて目をつぶつてゐた。

 午後たあちやんが来た。
 
 ザボンを持つて……

 私が五つになるまで守をして呉れた女だ。

 私の幼い記憶に残つてゐる、たあちやんは赤い、うすい髪の毛をひきつめた銀杏返しに結つた、色の黒い目の細い、両頬に靨(えくぼ)のある忘れられないやうな、何処となくやさしみのある顔だつた。
 
 十三の年にあつて、それつきり会はないでゐるうちに見違へるやうな奇麗な女になつてゐる。

 廿四とか云つてゐた。

 今まで直方(のおがた)に奉公してゐたが、お嫁入の仕度に帰つて来たら丁度私が久しぶりに帰省してゐると聞いて早速来たのださうだ。

 私も何とはなしになつかしくうれしい気がして日あたりのいゝ椽側に床を引つぱり出してその上に座つて話した。

 私がナイフを出してもらつてザボンをむいて……。

 ザボンはたあちやんの宅になるので奇麗な内紫だ。

 たあちやんは……私の幼い時の話をはじめた。

 私はザボンをたべながら黙つて、話を聞き聞き、頻(しき)りにおぼろ気な記憶をたどり始めた。

 この頃のやうな秋の暮れ方、燈ともし前の一時を私はきつと、たあちやんの背に負はれる。

 そして海岸に行つた。

 私は小さい時から海が好きだつた。

 松原ぬけて砂丘の上にたつて、たあちやんは背をゆすぶり乍(なが)ら、

  椎ーのやーまゆーけばー

 椎がボーロリボーロリとー

 と透きとほるやうな声で歌つて呉れた。
 
 暮れ方のうるみを帯びた物しづかな低い波の音につれる子守歌がたまらなく悲しい。

 私はたあちやんの背に顔をうづめてシク/\泣いた。

 そしてじーつと耳をすましては、歌を聞き思ひ出したやうに、泣き止んだり、また泣いたりした。

 たあちやんは、歌ひ/\サク/\砂丘を降りてまつしろな、きれいな藻の根を、青い藻の中からさがし出しては私の手に握らして呉れた。

 私は冷たいその根を噛んでは甘酢つぱい汁を、チユウ/\音をさして吸ふた。

 さうしてたあちやんは椎の山を歌ひながら寒い海の風に吹かれて白い渚を行つたり来たりして背中をゆすつた。

 五時近くたあちやんは私の髪を梳(す)いて呉れたりして帰つた。

 後はまた寂しかつた。

「日記より」/『青鞜』1912年12月号・第2巻第12号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p14~17)

 九日――
 
 今日も仰向あおむけになつたまゝ胸の上に指を組み合はして天井を見つめたまゝ何おもふともなしに一日は暮れてしまつた。
 
 昼間シヤブが松原で殺された事が誰からともなく家の者の耳に入つて来た。

 皆浮かぬ顔してゐる。
 
 やさしい、おつとりした親しみを持つた眼と、深いフサ/\した美しい毛をもつた、老ひてはゐたが利巧な犬、可愛いゝ犬だつた。

 可なり引き締つた気持ちでゐる私の目からもホロリ/\と涙が出る。
 
 皆次の間で食事しながら犬の事で泣いたり笑つたりしてゐる。

 (「日記より」/『青鞜』1912年12月号・第2巻第12号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p17)

夷魔山

ザボン2

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

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