ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

内田魯庵「最後の大杉」その2


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内田魯庵『思ひ出す人々』
(日本図書センター)は
傑作の誉れが高いですが、
その中の「最後の大杉」を熟読しました。

魯庵と大杉栄の交際が始まったのは、
大杉が赤旗事件の刑を終え
東京監獄から出獄
(1909年/明治42年11月末)して
間もなくのころでした。

そのころ大杉が妻の堀保子と
住んでいたのは大久保百人町で、
魯庵の家が近く、
大杉は魯庵宅を頻繁に訪れていた。

興味が広く、
文学的学術的教養も
深かった大杉にとって、
魯庵は絶好の話し相手
だったのだろう。

性的研究のパイオニアだった
小倉清三郎の「相對」の會
などにも毎回出席していた大杉は、
よく「相對」の會の噂をしていたという。



その後、大杉が引っ越して足が遠のき、
さらに大杉が掲げる「フリーラブ」に
あまり同感しない魯庵に
大杉が気まずくなったのか、
ふたりの関係は疎遠になった。

日陰茶屋事件の後に
魯庵が見舞いの手紙を送ると、
大杉の直筆の返事が直ぐ来たが、
事件落着後もふたりは
会うこともなかった。

しばらくして、魯庵は銀座で
大杉と伊藤野枝夫妻に遭遇し、
15分ほど立ち話をしたが、
それ以来、数年間、
魯庵にとって大杉は
新聞で消息を知る人であった。

大杉&野枝一家が豊多摩郡淀橋町
大字柏木三七一番地
(現在の北新宿一丁目16~27)に
引っ越して来たのは
1923年8月5日だった。

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その引っ越し先は
魯庵宅と同番地だったので、
翌日の午前中に
大杉&野枝は子供を連れて
魯庵宅に引っ越しの挨拶に訪れた。

それから関東大震災が起き、
大杉&野枝が行方不明になり、
虐殺されことが判明し、
大事件に発展し、
葬儀が行なわれ、
遺児たちが野枝の故郷の
福岡に去って行くまでの
観察描写が淡々と記されている
「最後の大杉」。

ある歴史上の決定的瞬間を
文章で切り取った不朽の名文ですね。
泣ける文章でもあります。



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