「詳伝・伊藤野枝」第311回 堺利彦論

文●ツルシカズヒコ

 野枝は『労働運動』第一次第五号に「堺利彦論(五〜九)」を書いている。

 『労働運動』第一次第四号に掲載した「堺利彦論(一〜四)」(「堺利彦論」/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』)の続編である。

 「労働運動理論家」という人物評論欄に掲載されたものだが、大杉の「加賀豊彦論」(第一次第一号)、「鈴木文治論」(第一次第二号)、「加賀豊彦論(続)」(第一次第三号)に続く人物評論である。

 「堺利彦論(一〜四)」の前書きによれば、この「堺利彦論」は山川均が執筆することになっていたが、山川が風邪を引き、急きょ、野枝が書くことになった。

 準備をする時間がなかったので、堺の近々の著書の中で読んだのは『労働運動の天下』だけだった。

 労働者向けに平易な文章で書かれた『労働運動の天下』は、新社会社から前年の十月に発行されたパンフレット第一冊、二十八頁、定価十銭。

 以下、抜粋要約。

〈一〉

 ●堺利彦氏は大らかな感情で目下の者を包んでしまうような物わかりのいい小父さん、些事にこだわらない太っ腹の親分、若者を引きつける中年の人の魅力を持っていると思う。

 ●『労働運動の天下』も、そういう魅力を持っている。

 ●実に見事な平明な文章には、他の人には真似できない親しみ深さがある。

 ●多くの労働者の信頼を得ることは間違いない。労働者の自覚を呼び覚ます上において、不可欠な人物である。

〈二〉

 ●氏は多くの人が知っているように、普通選挙運動をしている。

 ●氏は現在の資本制度がことごとく労働者の福利を蹂躙しつつある事実を挙げ、この事実に眼を開けと教える。

 ●そして氏は労働者の団結を説き、その団結力を利用せよと教える。

 ●一方、氏は資本の力を濫用しつつある政治を別な努力で改善しようとしている。

 ●労働者は団結の力で何をすべきか? 労働者団結の最後の目的は何か? 横暴な資本家といかに戦うべきか? 

 ●私はこれについて大胆に書く自由は持たないが、組合の威力と労働党の力、どちらが信頼できるかという質問をすることはできる。

〈三〉

 ●氏は政治的方向と経済的方向のふたつの方向を労働者に示した。

 ●しかし、労組者が具体的にどのように進めばいいのか、その道がいかなる道なのかという説明がない。

 ●氏はこう書いている。

「丈夫な組合ができれば、労働者の力は非常な強さになる。丈夫な組合を作って根強い動きをしていれば、労働者が威張れる時節が来る。私は諸君の働きに望みを託して、その時節が来るのを待っている。どうか諸君、自重自愛して大いにやってくれ」

 ●まるで組合がひとりでにできるようだ、ひとりでに大きくなるようだ、資本家がその敵対行動を黙って見逃してくれでもするかのようだ。

〈四〉

 ●ようするにこの不親切は、氏が理論家だからである。

 ●理論家は批評することは上手だ。将来の推定もする。断案も下す。しかし、実際問題の道行きには忠実な同行者ではない。

 ●彼らは理想を描いて見せるが、歩くときには一歩遅れる。将来を予言するから先導者と見なされる、自分もそう信じる。それが理論家の傲慢さだ。

 ●理論家たる氏に、実際問題に対する親切さを求めることが誤りなのかもしれない。

 ●しかし、また私は考える。今、私たちはかつて臨んだことのないような光栄ある時代に生きている。それは虐げられた平民階級とともに生きることである。

 ●時代を生きるということは、理屈を言うことではなく、事実を追って事実を創ることなのではないか。

 ●私は堺氏がただの理論家でないことを信じた。氏に不親切な態度をとらしめているものは何か?

 ●それは他人を子供扱いする、叔父さん的感情ではないだろうか。

 ●現在の日本の労働運動にとって失ってはならない堺氏の、若々しい激情を見たい、熱情を見たい。氏にはもう望めないことであろうか。

〈五〉

 ●いわゆる世間の裏も表も知りつくし、甘いも酸いも味わった苦労人という人がいる。

 ●苦労人の誇りは過去にしかない。現在においては疲れた人である。

 ●苦労人は新しく踏み出す勇気がない、アンビションもない。勇気とアンビションを持って踏み出す者がいると無謀と嘲る。

 ●苦労人は自若としている、あくまでも傍観者である。理解ある批評家である。激情を発しない。

〈六〉

 ●堺利彦氏は、日本における社会主義者の第一人者である。長い間、社会制度の不合理な欠陥を指摘し弾劾し続けてきた。

 ●そして常に愚劣な俗衆や内気な批評家よりは勇敢に一歩先を歩いていた。臆病者には真似のできないことだった。

 ●それが婉曲で老巧であったとしても、他人の言い得ないことを敢えて言い、進んで書いた。それは貴い熱意であった。

 ●今の氏には貴い熱意を抑えよう抑えようとしている。叔父さん的苦労人に収まろうしている。悪い趣味だと思う。

 ●氏はこの悪趣味と理想や熱意を合わせ持っているが、後者が本物の氏であると私は断言する。

 ●氏の悪趣味は初老近くになって落ち着こうとする、日本人の伝統的なものかもしれない。

 ●この退嬰(たいえい)的な悪趣味は、新思想を抱いて行動しようとする者にとっては、その思想や行動を阻むだけである。

〈七〉

 ●最近、労働問題の是非が盛んに論じられるようになり、氏の筆は活発に動いている。「我が時到れり」とまでの得意は見せないまでも、長い隠忍から得た蘊蓄(うんちく)を傾ける愉快さは格別であろう。

 ●氏には久しい言論の圧迫があった。今やとにかく氏の老巧な婉曲な筆をもってすれば、ほぼ書きたいことは書ける自由がある。

 ●氏の言論に味方する論客も簇出(ぞくしゅつ)したが、氏はそれで満足すべきなのだろうか。

 ●氏がもし満足しているなら、氏はもはや一社会主義者ではなく、卑怯な一理論家である。

 ●卑怯な一理論家に収まるなら、氏の生命には老衰が来たのだ。新しい世界を創造しようとする若い生命の味方ではない。目覚めつつある平民階級の真の味方でもない。

〈八〉

 ●過去から現在にいたるまで、社会主義者や無政府主義者がなぜ呪われ迫害され続けてきたのか? その答えはひとつしかない。即ち、彼らが単なる理論家ではなかったからだ。

 ●どんな剣呑な無政府主義思想も、それがただ哲学として受け取られていれば許されるが、その哲学によって生きようとする者は呪われ迫害される。

 ●現社会にとって最も許しがたいのは、理論を実行に移そうと企てる向こう見ずな冒険者たちである。

 ●今、世界は一大転機に直面している。日本の社会も著しく変化している。

 ●平民階級は日々に目覚め、育ちつつある。官学の学者ですら、かつては公然と話すのを憚(はばか)った理想について議論するようになった。

 ●目覚めた平民階級は、新しい勇気に満ちた冒険者である。新しい世界を創造するために新しい一歩一歩を踏みしめている。

 ●我がパイオニア! 堺利彦氏はもう動こうとはしないのだろうか。彼の仕事はもう終わったのであろうか。

 ●パイオニアは動かない。しかし、新しい冒険者は進んで行く。

〈九〉

 ●氏は過去に生活している人である。今、目覚めつつある平民階級に氏がこう言っているように思う。

 ●「長い間、私たちが待っていた時代がようやくめぐって来たらしい。私たちが言ったことは正しかった。それが解かったら、貴方たちは自分の幸福を索(さが)しなさい。行き着く先はもう見えている。軽はずみをしないで落ちついて行くがいい」

 ●しかし、氏はこう言うかもしれない。

 ●「我々のパイオニアとしての仕事はあれでいいのだ。もう済んだのだ。我々が今すべきことは、平民階級の勝利が来たとき、彼らを幸福にする社会をどう計画すればいいか。あるいは平民階級に理解を持たぬ者をいかに導き彼らに結びつけるか」

 ●私はもう余計なことは言うまい。老いぼれた氏になんの要があろう。

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

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