コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます

第1283回 綿黒八衿の胴着からお乳おさへ、そして1933年




今日の手芸部の目玉(?)は、
真綿入り綿黒八衿の胴着であります↓

Sさんが、亡くなったおばあちゃんが
作ってくれた胴着の衿が擦り切れたので
修正したい、と持って来たのです。

20151122_ph02

「真綿入り綿黒八衿の胴着」は、
まわた・いり・めんくろはちえり・の・どうぎ、
と読むんだよ。

真綿(まわた)は、
コットンじゃないよ、シルクだよ。

綿黒八(めんくろはち)は、
もともとは絹製の黒八(黄八丈の黒版)の
綿製のもの。

Sさんは、絹の産地として有名な
群馬県の出身なんですが、
100歳まで生きたおばあちゃんは、
うちのおばあちゃんと同じ明治生まれ。

(どっちも100歳台まで生きた)

うちのおばあちゃんも、
自作の真綿入り胴着を愛用しててねー、
布団のワタ(=真綿)の打ち直しもしてたし、
子どものころは手伝わされたんだよねー、
えー、アタシもですよー、
的な話で盛り上がったおばちゃん二人。

で、30代前半のNさんは、
てっきり綿の打ち直しとか知らないだろう
と思ったら、
「この前、テレビで布団店さんが
ワタの打ち直し、してました」って。

へええ、まだやれる人、いるんですね。

いや、しかし、
Sさんのおばあちゃん作胴着、
いい味出してたわあ。

なにかを作って余った
タータンチェックのウール地を
うまく繋ぎながら、なおかつ、
柄合わせもしてるなんざ、
現代の柄ズレズレの服を着てる人々には
その価値がわかんねえだろーな。

(これがオタク的悦楽なのか)

カドのところとかに
補強の小さな丸めた生地を
加えたりしてるのも感激しました。

いやいや、
小さな実用的工夫が施された
手作りの服を見るのは、
勉強になりますなあ。

現代の自作服は、
ヒマつぶし的意味合いが高いので(苦笑
よく言えば自己表現欲の発露的意味合いが高い)、
日常着としての小さな工夫が
施されにくいからねえ。

で、胴着と言えば、
15年前くらいに古本屋で見つけた
アタシの宝物(笑)ですよ↓

20151122_ph04

↑1933(昭和8)年元旦発行の
『主婦の友』新年号付録
「和洋裁新案物の仕立方百種」。

ハギレを工夫して作った胴着はもちろん、
紙子胴着という、
和紙を使った胴着の作り方なども
掲載されています↓

20151122_ph03

紙子は「かみこ」と読み、
衣服用に防水処理をした紙のこと。

江戸〜明治時代には、
防寒に紙の服を利用していた、
という話は聞いたことがあったんですが、
この本で、その構造の一端を知りました。

20151122_ph05

↑ワタの入れ方も図入り解説されていて、
ということは、昭和初期のこの頃、
すでに綿入れの方法を知らない人が
多くなっていた、ということですね。

20151122_ph06

↑火熨斗(ひのし)を使って
平らにしてたんですね。

そして、ズロースの作り方なんても↓

20151122_ph10

こちらは、
すでにわからなくなった、のではなく、
新しいものとして作り方が解説されている
わけですね。

1933(昭和8)年元旦発行の雑誌付録で
ズロースの作り方が、と言えば、
前年32年12月に起きた
白木屋(現日本橋コレド)火災事件に
触れねばいけませんな。

この前、20代0さんに、
「昔はパンツ履いてなかったんだよ」って
言ったら、きゃあきゃあウケてましたが(笑、
そのとき、話題にしたのが、
この白木屋火災。

ま、歴史好き雑学好きには
よく知られた話ですが、
着物を着てた女性店員たちが、
裾がめくれて「中身」が丸見えになるのが
恥ずかしくて飛び降りることが出来ずに
焼け死んだ人が多かった、
それで以降ズロースが普及した、
という「伝説」的事件。

ズロース普及の原因となったかどうかは
どうも真偽怪しいらしいんですが。

しかし、
ほぼ着物姿だったうちの祖母は、
かなりな年までパンツ(下着)を履かず
腰巻きのみだった、
ことは母が証言しております。

この「和洋裁新案物の仕立方百種」は、
あとから着色したカラー写真も、
その拙い感じがかわいいんですが、
作り方ページの見出しやリード、
作り方解説文、総ルビなど、
ほんわかした感じが楽しくて
いつまで読んでいても飽きません
(たぶん、アタシだけ)。

20151122_ph07

↑「お乳おさへ」なんて、
風情ある呼び名でせう!

ま、しかし、
そんなほんわかした感じとはうらはらに、
というか、えてして現実とは
そんなもんとも言えますが、
この「和洋裁新案物の仕立方百種」が
発行された1933(昭和8)年は、
ヒトラーがドイツ首相に就任した年です。

翌年の第二次大戦勃発
(すでに勃発してたとも言う)へ向けて
日本が最もキナ臭かった時代。

ツルシカズヒコ執筆中(ワタナベ・コウ絵)
「伊藤野枝1895~1923」に関連した
人物としては、堺利彦が病死
(狂死あるいは痴呆死とも)、
小林多喜二が拷問死、
吉野作造が結核死、
安田皐月が自死した年でもあります。

「和洋裁新案物の仕立方百種」は、
1933(昭和8)年元旦発行ですから、
製作は1932(昭和7)年になります。

1932(昭和7)年には、
満州国が成立し、
第一次上海事変、血盟団事件、
五・一五事件が起きています。

大杉栄の先輩でもあった堺利彦は、
33年に亡くなるわけですが、
前年32年には、
発狂して青山脳病院へ入院した
とも言われています。


(↑青山脳病院が舞台。サイコーに面白い)

発狂と言えば、1932年は、
野枝の実質的な最初の夫、辻潤が
発狂したと言われる年でもあり、
野枝が最後の編集長だった
雑誌『青鞜』創刊号の表紙絵を描いた
高村智恵子(46歳)が
自殺未遂した年でもあります。

高村智恵子は、
高村光太郎の妻ですが、
前年1931年から統合失調症を発症していて、
1938年に亡くなります。


(↑智恵子が描いた超リアルな
男性ヌード画の話が登場)

そして、
あの時代にココロを病んだ人たちを
追ったルポ『脳病院をめぐる人びと』も
おすすめ。
すんごい面白いです↓

↑ある意味、東京散歩本とも(笑。

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