ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

東京市


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「伊藤野枝 1895-1923」連載中 ↑クリックすると目次です。
文:ツルシカズヒコ 絵:ワタナベ・コウ

FB「裁縫する女」と近代日本

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「伊藤野枝 1895-1923」
第30回「悪魔」をアップしました。

伊藤野枝が東京で暮らしていた、
明治末から大正の東京は
「東京府」でした。

東京が「東京都」になったのは
戦時中の1943年(昭和18年)です。

「東京府」の時代には「東京市」があり、
「東京市」には麹町区・神田区・浅草区・
日本橋区・小石川区・本郷区など
15区がありました。



「東京市」に隣接する地域には
南葛飾郡、豊多摩郡など6郡があり、
「東京市」と「郡」が今の
東京23区エリアとほぼ重なります。

大正初期の「東京市」の人口は
約200万人でした。

1923年(大正12年)、
大杉栄と伊藤野枝一家が住んでいた
借家があったところの住所は、
東京府豊多摩郡淀橋町×××。
今の新宿区大久保あたりです。

ちなみに麹町区一番町にあった
津田塾大の前身、
女子英学塾の住所は
東京府東京市麹町区一番町×××。

かつて「東京市」が
あったことを知らない人、
けっこういるんじゃないだろうか。
私もそのひとりでした。



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