ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

伊藤野枝の涙

森まゆみ編『吹けよ あれよ かぜよ あらしよ 伊藤野枝選集』(學藝書林)を再度、読みました。
クレヤン11号の特集で伊藤野枝の「名言」を、
ピックアップしてみようかなと考えているからです。

伊藤野枝は『青鞜』1915年1月号から、
同誌の編集長を務めるのだが(平塚らいてうを引き継ぎ)、
その号に「『青鞜』を引き継ぐに就いて」という、
彼女の文章が載っている。
伊藤野枝はその時、まだ19歳。
前年に生まれた子供の育児と仕事の両立で大変だったみたいだ。

〈時々留守の間に私を思い出しては子供がそこにかかっている私の不断着の傍にはい寄って、それをながめては泣き出すなどという話を帰って聞きますと、涙がにじみ出ます。〉

結局、伊藤野枝は辻潤と彼との間にできたこの子供を捨てて、
大杉栄の下に走ることになるのだが、
アナーキスト伊藤野枝の母性が垣間見られる、
この文章の下りが僕は好きである。

しかし、コウ編集部員に意見を仰いでみると、
いとも簡単にボツにされてしまった。
このへんは男と女の感覚の違いなのかもしれない。

伊藤野枝は辻潤との間に2人、
大杉栄との間に5人の子供を生んでいます。
18歳から28歳(虐殺された時の年齢)の10年間に、
7人の子供を生んだわけです。

フツーはそれだけでも大変なのに、
アナーキストだったり、雑誌の編集をやったり、文章書いたり、
大杉をめぐる四角関係の恋愛をしたりと、
伊藤野枝の28年間の人生は大忙しでした。

たいした生命力だったとも言えるのですが、
ちょっと笑えるのは、大杉がこんな発言をしていること。
「野枝さんのお産は犬のように軽い」

コウ編集部員は現在、
伊藤野枝をテーマにした33頁のマンガを制作中で、
本日からペン入れに入りました。