ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

伊藤野枝と連合赤軍


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生誕120周年【伊藤野枝 1895-1923】連載中!
第171回「金口(きんぐち)」をアップしました。

アナ・ボル共同戦線に
ボル側から参画したのが
高津正道だったが、
高津のwikiによると、
あさま山荘事件の直後、
1972年3月1日に日比谷野外音楽堂で
行われたある決起集会で
高津はこういう
アジテーション演説を行ったという。

「連合赤軍はわずか5人で
1400人の警官隊を相手によく戦った。
今や社会主義運動は言葉だけでは無くなった。
私は50年間もの間
この日が来ることを首を長くして待っていた。
これで革命も間もないことだろう」

連合赤軍のリンチ事件が発覚後、
高津ら連合赤軍の行動を賞賛していた勢力は
世論から批判を受けたと
wikiは指摘している。

十六の墓標 上―炎と死の青春

このとき高津は79歳。
高津は連合赤軍を自分たち
ボルの後継者として評価していたのだ。

ちなみにこのとき
神近市子は84歳、
山川菊栄は82歳、
ふたりはまだ生きていた。

神近と山川には
連合赤軍について自分の意見を
的確に述べる思考力は
まだあったのだろうか?

ともかく、野枝と同時代を生きていた
高津正道の連合赤軍に関する発言によって、
連載【伊藤野枝 1895-1923】が
ようやく「現代史」にリンクし
始めたような気がします。

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