コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます

第14回 出会いにハズレなし

日経新聞スポーツ面で連載している
野球評論家・豊田泰光氏の『チェンジアップ』が大好きです。
このコラムを木曜日の朝に読みたくて
日経新聞を購読していると言ってもいいくらい好き。

現実問題、うちの場合、朝日とあわせて
2紙も購読してて許される経済状況じゃないんだけど、
それでもやめられないくらい好きなの。
月末になるといつもどっちかをやめようと会議はするんだけど、
(まあ、ひとり脳内会議ですけどね)
結局どっちもやめることに決められない。

『チェンジアップ』はどのくらい続いてるのかなあ。
あのコラムを、確か最初にまとめた単行本を読んだんだけど、
あんまりおもしろいと感じなかった。
(コラムをまとめた本は売れないと聞きますけど)

毎週木曜日に新聞で読むからおもしろいんだと気づきましたね。
そういうリズムが適するものというのか、
単なる私の好みなのかもしれないけど、
だから、
新聞がネットだけになって完全になくなったら私はヤだなあ。
と言いながら、完全になくなったらなくなったで、
強制的に購読料を払わないでよくなる状況に
ホッとしたりするのかもしれないけど。

さて、24日の『チェンジアップ』。
エンゼルスに移籍が決まった松井秀喜選手に向けた内容でした。
タイトルは「出会いにハズレなし」。
〈野球教室で出会う子どもも立派な師匠だ。〉という一文があって、
これは教室稼業をやっている私も同感。

カタログハウスの教室や手芸部をはじめて約7年。
生徒さんの中には、
ヘンな人やイヤな人やヤバい人もいっぱいいました(笑。
でも、そういう人たちと出会えたことは、
新たな発見という意味ですべて私の血肉になってます。
私の性分が「取材好き」ってのも大きいかな。
取材対象があっちから勝手に飛び込んできてくれる状況は
なかなか作れませんよ。

手芸部は少人数でやっているんで、
ときどき個人レッスンになったりします。
そういうときに、参加者の方々は、ふと、
どうして手芸部に参加しようと思ったか、
どうして服を作ってみようと思ったか、
などをポロッと語ってくれたりします。
インタビューをおねがいしますと取材依頼してないのに、
インタビューがおこなえる状況はなかなかない。

老親と障害者の姉と3人暮らしだとか、
仕事のストレスで髪が抜け肌がボロボロになって会社を辞めたとか、
夫が亡くなって3年くらいなんにもする気が起きなかったとか、
ずっとやってた不妊治療をやめたとか、
続けて病気に見舞われたとか、
内臓の病気で会社を辞めたとか、
そんな事情をシンミリと語る人はひとりもいなくて、
全員が笑って話してくれるわけですが、
中には、今年亡くなった方もいます。

そういういろんなことがあった結果、
「もうこれからは好きなことをやろうと思った」
「この際、ずっとしたかったことをやろうと思った」
「だから、勇気をふりしぼって申し込んだんです」
というのがみなさんの共通点です。

私は、
自分がどうして服作りにこだわるのか、
今どきダサいとされる服作りをわざわざやるのか、
安くて高品質の既製服がたくさんあるのになぜ作るのか、
その理由を知りたくて服作りを続けていると言っているんですが、
今のところハッキリしているのは、
「楽しいから」だけなんですよね。

なにかもっと、多くの人にウケるような答え、
やらない人を簡単に納得させる答えを見つけたいんだけど、
ああだこうだと考えれば考えるほど
「楽しいから」しか残らない。

「楽しいから」が答えだと仮定して、以下の理由を考えてみました。
敗戦後、1950年代に、
ものすごいソーイングブームが起こったのはなぜか。
そんなソーイングブームがあったにもかかわらず、
70年代以降急速にソーイングが廃れたのはなぜか。

50年代のソーイングブームの理由は、
敗戦後の日本に洋服がなかったから、作るしかなかったから、
と言われています。
でも、自分自身にひきつけてその理由を考えると、
戦争に負けて「もう好きなことをやろうと思った」からじゃないか
と思えてきます。

同じ感じで、
70年代以降、服を作らなくなったのは、
楽しいことを我慢するようになったから。

70年代以降って、
一見楽しいことが増えた時代のような気がするけど、
今の状況からさかのぼって考えれば、
実はそうじゃなかったことは明白。
閉塞的な現状の根は、
いろんなことが大きく変わった70年あたりにあるんですよね。
表面的な楽しいことにだまされて、というか、
みんなが楽しいと言うことにだまされて、
本当に楽しいことを捨て去りながら進んできたわけでしょ。

服が売れなくなったのも、洋服を作り売る側の自業自得で、
服を買う存在一辺倒にしてしまったから。
服を作る楽しみを奪い取ったことが原因でしょう。

よく買う楽しみなんてことも言うけど、
買う楽しみって永遠のものじゃないというか、
人間がもともとのぞむ楽しみとは別の楽しみのような気がする。
自分が年をとったから気づいたことなんですけどね。

買う楽しみって、
自分以外のもの(広告宣伝まやかし含む)から与えられる楽しみでしょ。
自分の手で作る楽しみには劣る楽しみなんじゃないのかな。
人生の経験を積んでいくと、
与えられるだけの、一方通行な楽しみを
単純に楽しいと感じられなくなる。
「もうこれからは好きなことだけをやろう」と思ったときに、
服を作ってみようと思いつく人は今後ますます増えると思います。
希望的予測で。