コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます

第182回 作り手の見えや欲があらわに、

9月29日付け
日経新聞文化欄に掲載された
「三春人形、心の赴くまま」を読みました。

三春人形とは、
福島県郡山市の高柴集落で
江戸時代から作られている
紙製の人形です。
三春駒は知っていたけど、
三春人形もあったんですねえ。

その記事に、
三春人形の製作者である筆者が
30代で製作の苦悩が頂点に達したと
書いている箇所がありました。

筆者は、
(といっても聞き書きだと思う)
父の技を目で盗み、人形作りの技術を
上達させていくのですが、
どうにも自分の人形が、魂のない
薄っぺらなものに見えて仕方がない。
あるとき、先祖が江戸時代に
作った人形と見比べてみた。

明確な差に筆者は言葉を失う。
先祖の人形からは、
作り手の思いが全く見えてこない。
人形が人形として生きている。

一方、筆者の人形には「上手にできた」
という作り手の見えや欲があらわに出ていて、
人形の生命の息吹を邪魔していた。

というようなお話なのですが、
私は以前から、
「すごくきれいに縫えているのに
なんだか魅力的に見えない服」
の存在に注目しています。

服は、人形ほど深遠な製作物ではない、
という人は多いのですが、
そうかもしれないけど、
「すごくきれいに縫えているのに
なんだか魅力的に見えない服」
が存在するのは事実なんです。

この「魅力的」というのは、
35年間自分の服を自己流で作ってきた
私にとって魅力的に見えるかどうかであって、
絶対的な魅力という意味ではありません。

私自身は、そういう自分にとって
魅力的な服を作り、着たいから
服を作り続けているわけです。
ある意味、絶対的に魅力的な服、
多くの人が「いい」と感じる服は、
そこら中にあるわけですから。

私の教室には、「手作り服」は
ダサいものしか作れないと思い込んでいた、
という人がときどきやって来ます。
そういう人が必ずいうのが、
「知り合いの洋裁の得意なおばさんが
作った服は、すごくきれいに
縫えているのになんだかダサい」です。

これは私もずいぶん前から感じていることで、
その理由を、昔の洋裁学校では
デザインということを教えなかったから、
と理解していました。

でも、本当にそれだけが理由なのか、
ずっと思っていました。

教室にも、
ときどき洋裁学校を出たんだか、
教室に通っているんだか、
縫製の仕事をしてるって人もいたかな、
そういう人たちが参加するんですが、
彼女たちの作る服は、
ホントに上手に縫えています。
でも、必ずといっていいほど、
何だか魅力的に見えない。
ただきれいに縫えているだけ。

一方で、
縫い目を近くで見ると曲がったりしてるのに
魅力的に見える服というのがあるんです。

私にはずっとこれが謎でした。
生地選びのセンスはおおいに関係します。
でも、それだけで説明できない場合もあって、
ホントずうっと不思議だったのです。

あと、同じような感じで、
50〜60年代の日本映画で女優さんが
着ている洋服は妙に魅力的に見えます。
洋服は今よりまだぜんぜん洗練されて
いないはずなのに、ですよ。

それが、昨日の
三春人形製作者の方の記事で、
もう絶対これだ、と思いました。

「上手にできた」という作り手の
見えや欲があらわに出ている、
これですよ、これ。

50〜60年代は、プロのデザイナーや
縫製職人にとっても
知ったばかりの洋服作りが
楽しくて仕方なかった。
それが洋服を魅力的に
見せていたんじゃないですかね。

 
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(発行:日本文芸社
 企画:エム・エム・クリエーション
 編集協力:ツルシカズヒコ

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【『裁縫女子』(リトルモア)のインタビューなど】

雑誌『hito(ヒト)』3号

「サイゾーウーマン」

●歌人の枡野浩一さんとのユースト対談↓
http://www.ustream.tv/recorded/12750111

●写真家の大野純一さんとのユースト対談↓
http://www.ustream.tv/channel/ohnojunichi

●文筆家の近代ナリコさんの『裁縫女子』(リトルモア)書評↓
http://bit.ly/fHvj35

●『裁縫女子』は↓で最初の4ページが読めます(無料)。
http://xfs.jp/yVaxt

●YouTube 「クレヤン放送局」は↓
http://www.youtube.com/user/watanabe3kou