ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

1912年の夏


漱石『こころ』を一気に読みました。

『こころ』はちょうど100年前、
1914年の朝日新聞に連載されていた。

今まで読んだ漱石の小説の中では
一番読みやすかった。
筋があるからです。
謎が提示され、それが徐々に
解明されていくから一気に読めます。
ラスト近くには大事件も起きるし。

『こころ』の中での「今」は
1912年が主軸になっている。
この年の7/30日に明治天皇が崩御し、
明治が終わった。
『こころ』にも明治天皇崩御、
乃木希典夫妻の殉死に関する記述が出てきます。

さて明治が終わった1912年の夏、
伊藤野枝や辻潤や大杉栄や平塚らいてうは
なにをしていたか?
ふもれすく年譜 1912年」によればーー。

【伊藤野枝・17歳】
3月に上野高女を卒業した野枝は、
故郷の福岡県今宿に戻り、
結婚したものの婚家を出奔。
辻潤の家に世話になる。

明治天皇が崩御した7月末、
野枝は今宿に帰郷し、
両親に末松(夫)との離縁、除籍を要求。
平塚らいてうに手紙を出し
帰京の汽車賃の援助を懇願。

【辻潤・28歳】
上野高女の英語教師を辞めた辻は、
出奔した野枝と同棲生活を始めていた。

野枝から手紙をもらった平塚らいてうは、
辻の家を訪れ彼と面会している。

生活のため翻訳仕事を始めた辻は
ロンブローゾ『天才論』の翻訳に没頭していた。

【大杉栄・27歳】
すでに妻帯者になっていた大杉は、
この年の10月に荒畑寒村と『近代思想』を創刊。

7月末ごろはこの新雑誌のために
精力的に動き回っていたことだろう。

【平塚らいてう・26歳】
前年10月に『青鞜』を創刊したらいてうは
すでに有名人だった。

若手の主義者として尾行がついていた
大杉とどっちが「有名」だったかは不明。
やっぱりメジャーだったのはらいてうか。

1912年の夏、らいてうは
『青鞜』1周年記念号を茅ヶ崎で編集。
この時、後に夫となる奥村博と出会う。

みんな若かった。
そして自分がやるべきことが明確にあった。
明治の終焉は彼ら彼女らにとって、
大したニュースではなかったはずだ。

昭和が終わったとき、私は33歳だった。
そして前年に創刊された週刊誌の編集者だった。
天皇崩御は仕事としては
ビッグニュースだったが、
私的には昭和の終焉に
さしたる感慨が持てなかった。

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