【1月】
●辻潤、この年のはじめ、
萩原朔太郎の手紙を西山勇太郎に
三円で売りつける。
「顔面に、むくみがあり、
あの清純な聡明を思わす眼に
にごりが現われていた。」
(「辻潤氏から金参円で買っ
た萩原朔太郎の手紙」西山勇太郎)
●辻潤、浅草の木賃宿に泊まる。
しばしば野宿。
( 一月二十六日 松尾とし宛書簡)
●1月末
辻潤、淀橋区上落合一丁目三〇八番地の
静怡(せいたい)寮に住む。
(このアパートの管理を
友人の小田原の桑原国治がやっていた)
【2月】
●辻潤、二月十五、六日、
千葉県大原町根方の若松方に寄寓。
九州の久留米市在の
松尾とし子に再々無心する。
二月十八日まではいたらしい。
【3月】
●辻潤、三月末から六月まで
宮城県石巻港新町の
松山巌王住職の松巌寺に滞在。
ジェムス・ハネカアを訳したり、
気仙沼の菅野青顔から借用した
バイイングトンの英訳本によって
『自我経』の誤訳訂正などをする。
寺の物置小屋にくっついている
三畳の部屋に起臥。(「続水鳥流吉の覚書」)
【6月】
●6/6
ノルマンデー上陸作戦、開始。
パリ解放までの正式名称は
Operation Overlord、
「大領主」の意。
U.S. Army’s First Division on
the morning of June 6,
1944 (D-Day) at Omaha Beach
From Wikimedia Commons
【7月】
●辻潤、帰京。
空き家同然の静怡寮に住みつく。
松尾とし子や我乱洞らに食い物などを
送ってもらったり、届けてもらったりする。
●笑子(三女エマ)、結婚。
『ルイズーー父に貰いし名は』p159
【8月】
●8/22
沖縄から疎開先の長崎に向かっていた、
学童疎開船「対馬丸」に
米潜水艦の魚雷が直撃し沈没。
子供たち780人を含む1400人以上が犠牲。
●8/25
パリ解放。
American troops march down
the Champs Elysees
From Wikimedia Commons
【10月】
●10/10
牧野田幸子(次女ルイズ)、
彫刻家の菅沼五郎と結婚。
↓
森まゆみ「菅沼幸子さんのこと」
【11月】
●11/24
辻潤(60歳)、友人の桑原国治のアパート
「静怡寮」で死去(狭心症)。
警察医は狭心症として処理したが
餓死とも言われる。
●11/27
辻の弟・義郎、次男・流二
(長男・まことは従軍中)、
桑原夫人により火葬。
➡若松流二「虚空鈴慕」
(『辻潤全集 別巻』)
染井(現豊島区駒込六丁目十一番四号)の
西福寺に葬られる。