詳伝・伊藤野枝

詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第247回 築地の親爺

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年の秋も深まったころ。 米が買えず大杉と村木は五銭の芋をフカシして腹を満たし、野枝と魔子が横たわる布団の裾に潜り込んで暖を取り、しかも眼の前には収入のなんの希望もないそのころ。 大杉は平気で雑誌発行の計...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第246回 第二革命

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年十月三日、保釈中だった神近は東京監獄八王子分監に下獄した。 二畳ほどの独房に入れられた神近は、午前八時から午後五時まで、屑糸をつなぐ作業に従事させられた。 昼食後の三十分の休憩、夕食後から夜八時の就寝...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第245回 魔子

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年九月二十五日、野枝は大杉との間の第一子、長女・魔子を出産した。 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、魔子をとりあげた助産婦・北村悦は東京の産婆会の会長で小石川で助産婦をしていた。 そして、北村悦の夫、北...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第244回 世話女房

文●ツルシカズヒコ 七月初めに北豊島郡巣鴨村宮仲に引っ越して来た大杉と野枝だが、九月末に野枝が大杉との第一子、長女・魔子を出産する直前のころの野枝について、大杉が『女の世界』に書いている。 懇意の編集者である安成二郎に依頼されたようで、大杉...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」 第243回 第二の結婚

文●ツルシカズヒコ 辻と野枝の協議離婚が成立したのは一九一七(大正六)年九月十八日だった。 戸籍上、野枝は伊藤家に復籍することになったが、野枝は『婦人公論』九月号に、辻との離婚の経緯を書いた。 その冒頭にはこう記されている。 破滅と云ふ事は...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」242回 夫婦喧嘩

文●ツルシカズヒコ 『女の世界』一九一七年七月号のアンケートに、大杉と野枝は回答を寄せている。 『女の世界』同号は「男女闘争号」と銘打ち、目次に「夫婦喧嘩の功過と責任の所在 名流六十家」とある。 質問一は「夫婦喧嘩の功過」、質問二は「夫婦喧...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第241回 伊藤野枝論

文●ツルシカズヒコ 『新日本』一九一七(大正六)年七月号・八月号に平塚明「伊藤野枝さんの歩かれた道」が掲載された。 『新日本』はらいてうに「伊藤野枝論」を書いてほしかったのだという。 『新日本』は野枝が同誌四月号に寄稿した「平塚明子論」の対...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第240回 百姓愛道場

文●ツルシカズヒコ 日蔭茶屋事件後、半年くらいの間、大杉は「神近の怨霊」をよく見たという。 ……夜の三時頃、眠つてゐる僕の咽喉を刺して、今にも其の室を出て行かうとする彼女が、僕に呼びとめられて、ちよつと立ちとまつて振り返つて見た、その瞬間の...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第239回 平塚明子論

文●ツルシカズヒコ 野枝は『新日本』四月号には「平塚明子論」を書いた。 らいてうは「最近の我国婦人解放運動の第一人者として常に注目されつゝある」存在だった。 野枝はまず冒頭に自分とらいてうとの関係を書いた。 私は学校を出た許りの十八歳の秋か...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第238回 評論家としての与謝野晶子

文●ツルシカズヒコ 野枝は『新日本』三月号(第七巻第三号)に「評論家としての与謝野晶子氏」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表した。 作家としてはともかく、「評論家としての与謝野晶子」の批評であり、痛烈な批判だった。 婦人問題に関する発...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」第237回 三月革命

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年三月五日、横浜監獄の未決監に収監されている神近に、横浜地方裁判所は懲役四年の判決を下した。 神近は即、控訴した。 三月六日、『東京日日新聞』社会部記者の宮崎光男が、大杉に取材するために菊富士ホテルを訪...
詳伝・伊藤野枝

「詳伝・伊藤野枝」 第236回 自働電話

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年の正月、山鹿泰治が本郷区菊坂町の菊富士ホテルにいる大杉と野枝を訪ねた。 二言三言語り合う内に大杉が、『それより不愉快な以前の問題を解決しやうぢやないか、大体あんな暴行を働いた以上は謝罪から先きにすべき...