伊藤野枝年譜 1918年(大正7年)23歳


【1月】
●『文明批評』創刊(前年12月印刷)。
大杉が発行兼編集人、
野枝が印刷人。
二月に二号、四月に三号を出し廃刊。

大杉「飛行術的言論家」
大山郁夫批判。

大杉「最近思想界の傾向」
武者小路実篤の「白樺派」と
「民衆芸術論」の紹介者、
本間久雄を評価。

野枝
「転機」(一~四章)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

「彼女の真実ー中条百合子氏を論ずー」
➡『定本 伊藤野枝全集』(第三巻)

●『中央公論』1月号。
吉野作造「民本主義の意義を説いて
再び憲政有終の美を済(な)すの途を論ず」

●1/21
大杉&野枝の亀戸の家には
和田久太郎(1893-1928)、
久板卯之助(1877-1922)が同居。

大杉「久板の生活」
(『労働運動』第三次三号 1922年3月)
➡『大杉栄全集 第四巻』
『大正自由人物語』(P103)

●らいてう、子供の出生により両親と和解。
両親の援助を受けて
府下滝野川町田端四四五に
アトリエつきの家を購入。

芥川龍之介宅の近く。

【2月】
●2/1
『文明批評』2号。

野枝
「間抜けな比喩」(与謝野晶子批判)
「階級的反感」
➡『定本 伊藤野枝全集』(第三巻)
「転機」(五~八章)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

大杉「僕は精神が好きだ」
大杉「亀戸から」
大杉「小紳士的感情」
大杉「盲の手引する盲
ーー吉野博士の民主主義堕落論」
大杉「国家学者R」
Rは『中央公論』正月号に載った
有島武郎の小説「動かぬ時計」の主人公。

【3月】
●3/1
大杉ら有吉三吉宅の労働運動研究会に出席。

●3/2
「とんだ木賃宿事件」。
午前1時ごろ浅草区新吉原で大杉、久板卯之助、
和田久太郎、大須賀健治が
警察官の職務執行妨害罪で
浅草の日本堤警察署で取り調べを受ける。

●3/3
ブレスト=リトフスク条約締結。
ロシア、第一次世界大戦から離脱。

●3/4
大杉ら4人、東京監獄へ収監。

●3/6
大杉を除く3人、釈放される。
野枝、東京監獄に面会に行く。
➡「監獄挿話 面会人控所」
(『改造』1919年9月号)
『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

●3/9
野枝、内務大臣・後藤新平に
抗議の書簡を出す。
「書簡 後藤新平宛」
➡『野枝さんをさがして』(p76)

証拠不十分として一同不起訴、
大杉も釈放される。

大杉「とんだ木賃宿」
(『文明批評』第三号1918年4月)

野枝「獄中へ」
(『文明批評』第三号1918年4月)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第三巻)

●『婦人公論』3月号に晶子「紫影録」掲載。
母性保護を国家に求めるのは依存主義。

【4月】
●4/7
大杉が発起してロシア革命記念会を開催。
高畠の革命謳歌論(ボル)と
大杉のアナキズム論(アナ)が激突。
翌日、村木が大杉をせせら笑った
高畠にピストルを突きつける。
➡近藤憲二『一無政府主義者の回想』
「村木源次郎のこと」p78

●4/9
『文明批評』3号。
発禁になり製本所で押収される。
『文明批評』終わる。

野枝「乞食の名誉」。
➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

●友愛会が大阪で六周年大会開催。
当時、友愛会は百二十支部三万人。

●大杉「民族国家主義の虚偽」
大山郁夫批判。
初出不明、稿末に1918年4月の日付あり。

●『婦人公論』4月号
野枝「背負ひ切れぬ重荷」

【5月】
●5/1
大杉&野枝、『労働新聞』を創刊。
発行人は久板卯之助、
編集兼印刷人は和田久太郎。
2号以下連続発禁になり4号(8/1)で廃刊。

●野枝「背負い切れぬ重荷」
(『婦人公論』4月号)。

●堀保子編輯『あざみ』創刊
(第一巻第一号5.5発行)。
発行所はあざみ社、
つまり堀の自宅
(四谷区南伊賀町四十一番地)。
この自宅は山田嘉吉・わか夫妻の自宅と近く、
かつて平塚らいてうが住んだ家。
『野枝さんをさがして』

●5/17
午後6時半。
「白山聖人」渡辺政(まさ)太郎
(1873〜1918)、死去。
※その葬儀➡『大正自由人物語』(P111)

渡辺、白山上の南天堂という
古本屋の二階で労働者
「研究会」を開く。
大杉の「平民講演会」、
堺の「社会主義座談会」と並ぶ、
東京三大者社会主義の集会。

●辻潤、デ・クインシィ
『阿片溺愛者の告白』出版。

●『婦人公論』5月号にらいてう
「母性保護の主張は
依頼主義かー与謝野晶子氏へ」掲載。

【6月】
●代準介とキチ、大阪から博多へ戻る。

●堀保子編輯『あざみ』2号
(第一巻第二号6.5発行)。

●6/8
島田清次郎『地上』刊行(新潮社)。
島田、長江に原稿を持ち込み、
長江が新潮社に紹介。

●6/29
野枝、避暑と金策のため
魔子を連れて九州へ出発。
6/30、博多着。
代の新しい家(住吉花園町/福岡市博多区住吉)、
今宿の実家、千代子の家に滞在。

●『太陽』6月号「粘土自像」
(晶子の随想連載)で晶子、
らいてうに反論。

【7月】
●堀保子編輯『あざみ』3号
(第一巻第三号7.5発行)。

●7/8
大杉、野枝、和田、久板、
亀戸から北豊島郡滝野川町田端二三七に転居。
ポインター種の大きな飼い犬
「茶ア公」も一緒に連れて行く。
和田、久板も同居。
➡『日録・大杉栄伝』p238

田端時代は『自由と祖国』
1925年9月号(大杉栄追悼号)
和田信義「初めて知った頃のこと」に詳しい。

●7/11
大杉、林倭衛と博多に出発し7/14到着。
大杉と野枝は8/6まで
今宿の実家に滞在、海水浴を楽しむ。

大杉、代準介と面会。
代、大杉を見直す。「困れば頭山を頼れ」。

●7/10
大石七分らが『民衆の芸術』創刊。
大杉、協力する。

●7/17
ウラル地方のエカテリンブルクの
イパチェフ館で、
ニコライ2世一家が処刑される。

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ニコライ2世一家が処刑されたイパチェフ館
From Wikimedia Commons

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ソ連崩壊後にイパチェフ館の跡地に
建てられた「血の上の教会」

From Wikimedia Commons

●7/23
富山県魚津町で漁民の主婦による直接行動。
米騒動全国に広がる。

二ヶ月余り、一道三府三十八県、
五百か所にわたる。
参加した大衆は推定一千万人。

➡『一無政府主義者の回顧』p193

【8月】
●『労働新聞』4号(8/1)が
新聞紙条例違反に問われる。
発行人久板卯之助が禁固五ヶ月、
編集兼印刷人の和田久太郎が禁固十ヶ月。
➡『大正自由人物語』(p108)

●8/6
大杉、野枝、魔子、
今宿を発ち9日に大阪到着。

●8/11
大杉、米騒動を目撃視察。
野枝と魔子は12日に帰京。

大杉、大阪滞在中に母方の従兄・米はんを訪ね、
母方の祖父のことを聞く。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第十巻』p7

●8/16
大杉、帰京するが板橋署に予防検束される。
米騒動に関与するおそれから。

●『婦人公論』8月号にらいてう
「母性保護問題に就いて
再び与謝野晶子氏の寄す」掲載。

【9月】
●堀保子編輯『あざみ』4号
(第一巻第四号9.5発行)。

●9/21
寺内正毅内閣が退陣し原敬の政党内閣誕生。

「平民宰相」原敬は
民本主義運動や普選運動に
対して高圧的に対処。
結果、労働者の普選への望みを
絶ち直接行動へと向かわせた。

●武者小路ら、宮崎県木城村に
「新しき村」創設着手。

●『中外』9月号に春夫「田園の憂鬱」発表。

●『太陽』9月号に山田わか「母性保護問題」
〈与謝野氏と平塚氏の所論に就いて〉掲載。

●『婦人公論』9月号に
山川菊栄「与謝野、平塚二氏の論争」掲載。

【10月】
●野枝、「白痴の母」(『民衆の芸術』第1巻第4号)。

●上山草人(かみやま・そうじん)
『煉獄』刊行(新潮社)。
長江、谷崎が序文を寄せる。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p202

【11月】
●辻、スタンレイ・マコウア
『響影ー狂楽人日記』出版。
この年、辻、早稲田大学裏の片岡厚
(のちの神近市子の夫)の下宿に
しばらく居候する。

●11/5
島村抱月がスペイン風
(1918年〜1919年)で死去。
松井須磨子、
抱月の後を追い自死(1919年1/5)。

●ドイツの降伏により欧州大戦終結。

●『太陽』11月号に晶子
「平塚、山川、山田三女子に答ふ」掲載。

【12月】
●吉野作造、民本主義を推進するため
「黎明会」設立。
二ヶ月前には大川周明、
北一輝などの国家社会主義
(産業の国有化)を標榜する
「老壮会」が結成され、
高畠素之「老壮会」に入会。
➡『パンとペン 社会主義者・
堺利彦と「売文社」の闘い』(p366)

●『婦人公論』12月号に山川菊栄
「与謝野晶子氏に答ふ」掲載。

●大杉の妹・橘あやめが米国から帰国。
宗一とともに大杉宅に同居。
飼っていた山羊と犬の記憶を書き残している。
➡『日録・大杉栄伝』p252
➡『女性改造』1923年11月号
橘あやめ「憶ひ出すまま」

大杉栄_1918
左から橘あやめ、野枝、魔子、進、大杉。
後ろ伸、勇

(『伊藤野枝全集〈下〉』 学藝書林)

※この年「さすらいの唄」
(野枝も口ずさんでいた)ヒット。

伊藤野枝年譜 索引