【1月】
●1/1
第一次『労働運動』3号。
大杉「知識階級に与う」(巻頭論文)
印刷活版工の従業員からなる
日本印刷工組合信友会は
知識階級とは没交渉で
労働者自身の自発により運動している。
その対極にあるのが大日本労働総同盟友愛会。
大杉「労働運動と知識階級」
山川菊栄、赤松克麿、鈴木文治
賀川豊彦、吉野作造、内田魯庵らの批評。
大杉「労働運動理論家賀川豊彦・続」
●1/1
有吉三吉スパイ事件起きる。
➡『日録・大杉栄伝』p315
●1/1
『解放』2巻1号。
野枝「山川菊栄論」
与謝野晶子、平塚らいてふ、
山川菊栄の人物比較評論。
●正月
麹町区富士見町の新詩社で歌会開催。
芥川に誘われた江口渙が顔面に
ハンセン病の症状が出た長江を見る。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p231
●1/5
新橋の平民倶楽部で東京労働者新年開催。
堺為子の三味線で長江、
真柄、長唄の合唱をする。
●新橋平民クラブ、
浜金港亭での社会主義者新年会で、
黒燿会一同が演劇
「電工」「十二の棺」を上演。
➡『大正自由人物語 望月桂とその周辺』
(小松隆二著/岩波書店)
(黒燿会関係は以下同)
●1/11
豊多摩監獄の大杉、野枝に手紙を書く。
仕事は本所の東栄社のマッチの箱張り。
次女・エマ誕生。
●1/22
吉田一、出獄し大杉宅に滞在。
野枝、彼の粗野で無遠慮な
図々しさに辟易する。
●1/26
牛込神楽坂倶楽部で
「珍芸百出の『横行会』開催。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p233
【2月】
●2/1
第一次『労働運動』4号発行。
野枝(25歳)「閑却されたる下婢」
「堺利彦論」
(普選運動をしている堺への批判)
●宮嶋資夫が家族を伴い
比叡山に来山し正覚院に住む。
この間に無想庵は山を下りる。
辻も2月末、下山。
●2/1
『解放』2巻2号。
野枝「ある女の裁判」
●2/5
八幡製鉄所争議始まる。
職工二万三千人によるストライキ。
『溶鉱炉の火は消えたり』の著者、
浅原健三が「日本労友会」を組織。
●2/5
早稲田大学、
大学令(1919年)により大学になる。
政治経済学部・法学部・文学部・商学部
・理工学部・大学院を設置。
大正時代の早稲田大学(旧専門)の正門
From Wikimedia Commons
●2/7
森戸事件に抗議する「思想団大会」
神田青年会館で開催。
長江、「火薬は火を呼ぶ」の演題で講演。
●2月〜3月、八幡製鉄所争議。
●長江、『雄弁』2月号に
「あるべからざる社会とあるべき社会と」。
マルクスとモリスについて言及。
●2/29
豊多摩監獄の大杉、野枝に手紙を書く。
この年の大雪について、監獄内の寒さついて。
【3月】
●3/15
大杉、評論集『労働運動の哲学』
(東雲堂書店)出版。発禁になる。
自序文
〈車夫故野沢重吉君に本書を献ずる〉
●3/18
東京帝大経済学部助教授の職を追われた
森戸辰男を支援する会「思想家の会」が
万世橋ミカドで開催。
長江、堺らが参加。
●3/23
大杉、巡査殴打事件の刑期満了で出獄。
●3/28
らいてう、市川房枝、
奥むめお、上野精養軒で
新婦人協会発会式挙行。
在京賛助者のひとりとして堺利彦列席。
堺、らいてうに菅野すが子が
獄中で読んでいた『婦人問題』を渡す。
『婦人問題』は「枯川」時代の堺の旧著。
裏表紙に「菅野所有」という
すが子の自筆文字。
らいてうから誘われ、
会員になっていた荒木郁子も参加。
➡『「青鞜」の火の娘』p109
●3/28
大杉宅に『労働運動』関係者を招き、
出獄祝いを催す。
大杉、野枝を手伝い
野菜の下ごしらえをする。
野枝は炊事をしながらよく「ケンタッキーのわが家」を唄った。
●大杉、馬場孤蝶を訪問。
馬場「君の顔と斎藤緑雨の顔は、
どこか似ている」
大杉「緑雨なら異存はない」
●欧州大戦後の恐慌が始まる。
●『改造』3月号。
野枝「クロポトキンの自叙伝に
現われたるロシアの婦人運動」
【4月】
●4/1
高畠、『霹靂(へきれき)』創刊号に
「生田長江君の癩病的資本論」発表。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p241
●4/1
『解放』4/1号。
野枝「自由母権の方へ」
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第十三巻』
●4/2
大杉、『死線を越えて』の
賀川豊彦の歓迎会に出席。
●4/3
大杉、神田青年館で開かれた
森戸事件裁判の支援演説会に参加。
対話式演説を実行。
森戸、感心する。
●4/3〜4/4
黒燿会第1回作品展覧会
(日本最初のプロレタリア美術展)。
大杉栄、堺敏彦らも出品。
機関紙『黒燿』創刊。
●4/6
大杉、魔子と和田と関西旅行に出発。
●4/8
大杉、神戸の賀川豊彦を訪問。
ファーブルの『昆虫記』英訳本を借りる。
●4/12
大杉、帰京。
比叡山にこもっている宮嶋とは会えず。
●4/30
第一次『労働運動』5号。
大杉「革命的サンジカリズムの研究
新文学博士米田庄太郎氏を論ず」
大杉「無政府主義の腕」
イタリア人のアナキスト、
エンリコ=マラテスタについて。
大杉「いわゆる評論家に対する僕等の態度」
大杉「労働運動の転機」
●4/30
野枝&大杉(35歳)、
神奈川県三浦郡鎌倉町字
小町瀬戸小路の貸家に移転。
豪邸の前に警察の監視小屋。
野枝「自由母権の方へ」
(『解放』4月号)。
【5月】
●辻、『唯一者とその所有』
「人間篇」を日本評論社より刊行。
●5/2
日本初の労働祭(メーデー)開催。
「来れ上野公園!」。
大杉、服部浜次と現場に向かうが
予防拘束され参加できず。
社会主義者や労働者、5000人動員。
労働組合の共同戦線ができる。
共同戦線を可能にした
要因は3月の経済恐慌もある。
➡『大杉栄研究』p283
●長江、
『雄弁』5月号に社会劇「責任者」発表。
芳川鎌子事件をテーマにしている。
●5/9
岩野泡鳴、腸チブスを病み
入院中林檎を食べて死去。
47歳。
死の瞬間「郁子!郁子!」と
荒木郁子の名を二度呼ぶ。
荒木郁子が葬式などすべて取り仕切る。
➡『「青鞜」の火の娘』p106
●5/18
大杉、翻訳書『革命家の思出
クロポトキン自叙伝』出版(春陽堂)。
●5/19
メーデーに参加した組合などで
労働組合同盟会が創立。
後に東京の主要組合のほとんどが参加。
関西でも
関西労働組合連合会が結成される。
●5/28
大杉と野枝の共著『乞食の名誉』刊行。
●この月ころ
高橋英一(岡田時彦)、
鎌倉の大杉宅を来訪。
●大杉、『改造』5月号に
「クロポトキン総序」執筆。
クロポトキンへの訣別宣言?
【6月】
●6/1
第一次『労働運動』第六号で廃刊。
大杉「新秩序の創造」
「演説もらい」についての見解を述べる。
大杉「米田博士へ」
大杉「社会的理想論」
〈信者の如くに行動しつつ、
懐疑者の如くに思索する〉
大杉「新秩序の創造」
4/3に神田青年館で開かれた
森戸事件裁判の支援演説会の
対話式演説について説明。
大杉「組合運動と革命運動」
大杉「C・T・Gの近況」
●この頃
第一次『労働運動』第7号を
本郷区千駄木町の望月桂宅で編集。
7号は発行されなかったが、
その作業をしている大杉の後ろ姿を
望月が描いたのが「或る日の大杉」。
➡『大杉栄研究』p287
●6/2
市村座で長江の「長沢兼子」上演。
芳川鎌子を取り扱ったため上演禁止に。
●6/7
辻、神近市子を訪問。
「秋田雨雀日記」六月七日に
「午後四時ごろ、神近君を訪問した。
辻潤君がいて三人で
八時ころまで快談した。」とある。
神近市子の居所については一月一日に
「神近君は出獄後、
宇井家に寄宿していた」とある。
●6月上旬
辻、再び比叡山に上る。
後に「永遠の女性」「白蛇姫」と呼んだ、
当時同志社の学生だった
野溝七生子と知り合う。
宮嶋の「ところへ京都や神戸から、
多数人が集まるようになつて
山の上も騒がわしくなつた。
自由人聯盟以来警察の注意も
だんだんきびしく、
ここにも常尾行がつくようになつたので、
延暦寺でも警戒しはじめて、
宿院との間もだんだんぎ
こちなくなってきた。」
➡宮嶋資夫「遍歴」
●高畠素之訳『資本論』
第一巻第一分冊が大鐙閣から発刊。
六円九十銭。
【7月】
●7/1
らいてふ、この日から洋服を着る
(断髪は大正12年から)。
半月後、市川房枝も洋服になる。
●下旬ころ
天津在住の大杉の妹、松枝が大杉宅を来訪。
エマを松枝の養女にする。
野枝、別れ際に大声を上げて泣く。
➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」
【8月】
●末ころ
上海で開催される
極東社会主義者会議への招請をするため、
上海の朝鮮仮政府の使者・李増林が
大杉を訪問。
大杉、応諾する。
【9月】
●長江、『面白倶楽部』9月号に
小説「犯罪」発表(~11月号)。
被差別部落問題に切り込む。
「鈴が森お春殺し」の犯人、
石井藤吉(1918年8/17死刑)が書いた
『聖徒となれ悪徒』が下敷き。
●この月
宮嶋、比叡山から帰京の途中に大杉を訪問。
【10月】
●神近、片岡(鈴木)厚との
新居に移る(青山)。
●10/7
辻、神近市子、片岡(鈴木)厚の
結婚披露会に出席。
(秋田雨雀「秋田雨雀日記」)
神近市子に片岡厚を
紹介したのは、辻という。
「秋田雨雀日記」には、
午後五時から、神楽坂の倉田家で、
宮嶋夫妻、遠藤夫妻、大泉、伊沢、
尾崎、辻の諸君出席とある。
千葉県山武郡大網町に
生まれ育った片岡厚は
母方の実家、東金市の豪農、
鈴木家と養子なった。
片岡は神近より四歳年下。
●10/20
夜、大杉、大船駅から列車で日本脱出。
コミュンテルン主催の
極東社会主義者会議に
出席のため神戸から上海に密航。
この日夜、自宅を出る直前に
近藤と信友会の桑原錬太郎が来訪。
正進会の機関紙『正進』(7号11月号)掲載
「宣言ー正進会争議」を執筆。
信友会と正進会、その合同した印刷工連合会、
機械連合会、芝浦労働組合など、
印刷工、機械工を中心に、
大杉らアナキストと結びついていた。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第五巻』P284
●10/25ころ
大杉、上海着。
前週までバートランド・ラッセルが
投宿していた一品香旅館に滞在。
コミュンテルン主催の
極東社会主義者会議に出席。
ロシア共産党のコミンテルン
極東支局責任者、
グリゴリー・ヴォイチンスキーや
陳独秀(中国共産党初代総書記)と会う。
●野枝、魔子を連れて福岡に帰省。
●新婦人協会の雑誌『女性同盟』創刊。
【11月】
●11/5
大杉栄著『クロポトキン研究』刊行。
野枝の文章2編収録。
売れ行き好調で版を重ねる。
●11/23〜11/29
黒燿会第2回作品展覧会。
会場は星製薬7階。
大杉栄ら出品。
●11/29
大杉、日本脱出の旅を終え自宅に戻る。
【12月】
●長江、小説『環境』
(「犯罪」改め)刊行。
●12/10
大杉、神田青年会館で開かれた
日本社会主義同盟の大会に
行き検束される。
●12/12
近藤榮蔵が大杉を来訪。
第二次『労働運動』への参加を決める。
●12/18
遠藤清子、
京都府立病院で胆石の手術中に死去。
38歳。
岩野泡鳴との子、
民雄は荒木郁子が養育することに。
●12/25
大杉、肺患再発の兆し。
有楽町の露国興信所の一室を
病室兼事務所として借りる。
●この月ころ
大杉、東京毎日新聞の客員記者になる。
日本脱出から帰国した1923年7月に離籍。
●この年の秋以降
阪本清一郎、大杉と山川を来訪。
●年末
大杉「日本における最近の
労働運動と社会主義運動」。
草稿のまま保管される。