●1/1
『東京毎日新聞』で
大杉「バクーニンの生涯」連載始まる。
●1/10
大隈重信、胆石症のため早稲田で死去。
満83歳。
●1/21
久板卯之助、天城山猫越峠で凍死。
➡『大正自由人物語』(p184〜)
●社会主義者新年会で堺、
右翼の大塚某から暴行を受ける。
●1/31
辻、この夜、神田の仏教会館に
おける久板卯之助の告別式に出席。
久板卯之助は伊豆山中に写生に出かけて
凍死したアナーキスト。
出席者は他に、望月桂、岩佐作太郎、
堺利彦、伊藤証信、宮嶋資夫、
谷口伝次郎ら。
告別式後の追悼懇談会は八時半にいたり、
臨監の西神田署が解散命令を出した。
(小松隆二『大正自由人物語』)
【2月】
●2/1
山県有朋死去(満83歳)。
●2/1
第三次『労働運動』第二号。
大杉「ロシアに於ける無政府主義者・一」
大杉「都会人に対する農民の不平」
野枝「無政府の事実」(後編)
●2/3
大杉ら八幡製鉄所罷工記念演説会へ向かう。
●2/5
大杉ら八幡市の有楽館で
罷工二周年記念演説で演説。
●2/6
大杉、今宿の野枝の実家を訪問。
●2/7
大杉、大阪で検束される。
●2/9
大杉、自宅に戻る。
●ワシントン海軍軍縮条約。
●治警五条修正案成立する。
【3月】
●3/2
大杉、魔子を連れ里見弴を訪問。
●3/2
大杉「政府の道具共」
『東京毎日新聞』掲載。
●3/3
京都市岡崎公会堂にて全国水平社結成。
●3/15
大杉、第三次『労働運動』三号を発刊。
「特殊部落の解放運動」を
載せ水平社創立大会を告知。
大杉「先ず奴等を叩き倒せ」
(『東京毎日新聞』
「政府の道具共」改題)。
大杉「八幡罷工記念演説会における演説」
大杉「久板の生活」
久板の追悼文
➡『大杉栄全集 第四巻』
【4月】
●辻、加藤一夫、津田光造らの「シムーン」
(第二号から「熱風」と改名。
第八号で廃刊)に
高橋新吉のダダの詩を紹介する。
●4/27
大杉、労働運動社のパンフレット
「青年に訴ふ」刊行。
【5月】
●5/1
大杉、第三回メーデーに参加。
●5/10
新婦人協会が取り組んだ
治安警察法五条改正施行。
【6月】
●6/1
三次『労働運動』五号。
大杉「どっちが本当か」
●6/6
大杉(37歳)と野枝(27歳)の
共著『二人の革命家』刊行(アルス)。
序で子供たちの命名の由来を
大杉が書いている。
●6/7
野枝、四女・ルイズ(留意子/
伊藤ルイ~1996年)を逗子で出産。
大杉、代準介に手紙。
「ぶじ女児を出産しました。
ルイズと名づけました。
またまた女の子です。仕方ありませんから、
婦権拡張に努めます」。
このころ、大杉宅に野枝の叔母・
坂口モトが同居。
●辻(38歳)、最初のエッセイ集
『浮浪漫語』(2円40銭)を
下出書店より刊行。
六月三十日から朝日新聞に発表された
「「犬の死」その他」を見ると、
この頃は妹夫妻が一階で
暮らしていたようである
●黒燿会第4回作品展覧会。
これが最後。柳瀬正夢、村山知義らも初参加。
【7月】
●7/1
辻、「労働運動組合」主催の月島での
社会主義思想講習会の講師となって、
「ダダイズム」についてしゃべる。(*2)
一週間ほどのち、この時知り合った
広島の十日市町の洋服屋の娘
小島清(きよ)を同伴して、
房州の白浜に宮嶋資夫をたずね
、同家に滞在する。
(倉橋健一『辻潤への愛
小島キヨの生涯』)
●その後、辻、小島キヨと同棲開始。
翌年、秋生(比島で戦死)生まれる。
しかし、辻の気持は「白蛇姫」に残っており、
辻は肉体関係以外には
小島清に興味を示してはいない。
婚姻届けは清に一任し結局は
法的には結婚するが(辻の渡欧中)、
辻に自分の心情を理解されないことは清には
最後まで苦悩の源となる。
小島清は、うわばみのおキヨ、
女高橋、pomme de terre(
じゃがいも)とも呼ばれ
酒好きの女性であった。
小島清の前に「一寸四ケ月程一緒に
くらした女があるが
――これはその女の里の方で無理に
連れ戻ったのだが――
やっぱり死んでも僕と暮らす
程惚れていなかった
とみえてそのまま泣き寝入りになって
しまった」とあるが、
詳細不明。
この女のことは公に
書いていない、とある。(「里親」)
●『改造』七月号。
大杉「クロポトキンを想う」
●7/9
森鴎外、午前7時すぎ腎萎縮、
肺結核のために死去。
満60歳。
●長江の門下の集まり
「冬日会」から雑誌『月光』生まれる。
●7/15
非合法下、ソ連のコミンテルンの指導のもと
堺利彦・山川均・荒畑寒村らを中心に
第一次日本共産党結成。
機関紙は『解放』。
●7/23
大杉、野枝、魔子、
コズロフに別れを告げるために神戸に出発。
【8月】
●8/1
三次『労働運動』六号。
大杉「クロポトキンを想う」
大杉「革命の裏切者」
【9月】
●『改造』9月号。
大杉「お化を見た話」。
『改造』10月号。
神近「豚に投げた真珠」
●9/10
第三次『労働運動』七号。
大杉「生死生に答える」
(「なぜ進行中の革命を擁護しないのか
大杉栄氏に問う」(生死生))に対す回答
大杉「トロツキーの共同戦線論」
大杉「労農ロシアの最近労働事情」
大杉「労働組合全国総連合について」
●中旬ころ
野坂参三が大杉宅を来訪。
●9/29
大杉、近藤と大阪に向かう。
総連合大会出席のため。
山川と汽車の同じ車両に乗り合わせる。
大杉はボルの山川とは対立する立場だったが、
山川は大杉のよき友であり理解者だった。
●9/30
大杉ら「日本労働組合連合」創立大会
(大阪天王寺公会堂)に傍聴人として出席。
党派を超えた全国的な
単一連合体を作る目的だったが決裂。
ボル系/鈴木文治、賀川豊彦、
堺、山川、荒畑ら。
アナ系/大杉、和田、近藤憲二ら。
➡大杉「組合帝国主義」
(『改造』1922年11月号)
●浅草区馬道一丁目九番地の
黒瀬春吉経営の「パンタライ社」が
お座敷ダンス営業のかたわら、
「ジプシイ喜歌劇団・享楽座」を
つくったので、辻もそこの一員となる。
そして春吉作「元始」と
歌舞劇「享楽主義者の死」に
主演することになり、
舞台稽古をしてプログラムまで刷ったのに、
その旗上げ公演はお流れになった。
この年、谷崎潤一郎としばしば会う。
また岡山のエイスケ・ヨシユキ
(吉行淳之介の父)と文通する。
【10月】
●10/1
第三次『労働運動』第八号。
大杉「独裁と革命」
大杉「労農ロシアの承認」
大杉「労農ロシアの労働組合破戒」
●『改造』10月号
神近「豚に投げた真珠」
大杉「自叙伝(五)」
大杉「そんな事は
どうだっていい問題じゃないか」
山川菊栄「ボリセキヰキの『暴政』と
アナーキスト」
●10/8
大杉&野枝、逗子の家を引き払い、
本郷区駒込片町の労働運動社に移転。
労働運動社に同居していたころ、
暴漢を排除するため、
野枝、灰を手元に置いて暴漢と対峙。
●10/11
大杉、翻訳書『昆虫記』(ファーブル)
第一巻を出版(叢文閣)。
日本初のファーブル紹介は
加賀豊彦
「ファブレの生存競争の研究」(1918年)
●10/14
野枝、エマとルイズを連れて
今宿へ帰郷(モト帯同)。
代準介、博多の新柳町
(福岡市中央区清川)に蕎麦屋
「蕎麦喜千」を開業、キチが仕切る。
●10/23
大杉の弟・伸、上海で病院で死亡。
●古田大次、郎中浜哲らにより
ギロチン社が旗揚げ。
➡『大正自由人物語』(p254)
●10/27
ベニート・ムッソリーニ、ローマ進軍。
ファシスト党党員の入閣と、
ムッソリーニ自身を首相とした
内閣実現のためのクーデター。
ローマ進軍で行進する
ムッソリーニ(中央左)と黒シャツ隊
From Wikimedia Commons
●下旬ころ
大杉、中国のアナキスト・黄凌霜と会見。
●10/31
大杉、執筆のため
鵠沼の東屋に11/11まで滞在。
【11月】
●11/1
第三次『労働運動』9号。
大杉「ボルシェビキ四十八手裏表」
大杉「組合帝国主義-総連合問題批判」
(『改造』11月号にも掲載)
大杉「労農ロシアの新労働運動」
大杉「ボルシェヴィキの暴政(三)」
●11/5
大杉、アルスから
『漫文漫画』(望月桂・画)出版。
大杉、望月の印税も使ってしまう。
➡『大正自由人物語』(p206〜)
アルスの社長は北原鉄雄は白秋の弟。
●11/14
代準介、大杉を訪問。
●11/16
大杉の中学時代の柔道師範、
坂本謹吾が大杉を訪問。
●11/17
改造社が企画した日本講演旅行を承諾した、
アルベルト・アインシュタイン来日。
この日、彼を乗せた北野丸が神戸港に到着。
●11/20
フランスのアナキスト、コロメルから
国際無政府主義大会への
招待状が大杉に届く。
大杉をコロメルに紹介した
のはフランス文学者の小松清。
同大会は一月末から二月初めに
ベルリンで開催される予定だった。
大杉、金策を考えつつ
眠り薬の『其角研究』を読みながら寝る。
●11/25
野枝、ルイズを連れて今宿まで
迎えに行った村木源次郎と帰京。
エマは大杉の帰京まで叔母・モトに預ける。
●11/28ころ
大杉、有島武郎宅を訪問し
旅費1500円を受領。
●下旬
大杉、村木、宮嶋、南天堂で懇談。
宮嶋、大杉との最後の面談になる。
【12月】
●『改造』12月号。
大杉「労働運動の理想主義的現実主義」
大杉「自叙伝(六)前篇」
●堺、自宅を訪ねて来た
陸軍鍛工長の森下某に
錐と佩剣(はいけん)で数カ所刺され
重傷を負う。
➡『パンとペン 社会主義者・
堺利彦と「売文社」の闘い』(p400)
●上旬
大杉、山崎今朝弥と
大森町森ヶ崎(現・大田区大森南)の
鉱泉病院入院中の堺を見舞う。
●上旬
大杉と近藤憲二、
神田の高利貸し武藤三治の息子・
重太郎(慶応出身)から1000円借りる。
➡『一無政府主義者の回想』p28
大杉の密出国資金を出したのが
後藤新平だという風説があったが、
後藤自身が『読売新聞』
(1923.12.16)で否定している。
➡『時代の先覚者 後藤新平』(p272)
●12/10
大杉、評論集
『無政府主義者が見たロシア革命』を
叢文閣より出版。
●12/11
大杉、夜、自宅を出て東京駅へ。
●12/12
大杉、神戸着。ホテルに滞在。
●12/14
大杉、神戸港を出航。
●12/17ころ
大杉、上海着。
「唐継」の仮名で上海租界からフランスへ。
●12/30
ソビエト社会主義共和国連邦の樹立。
●12月末
新婦人協会解散。