コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます
第238回 創造主もしくは神に近い存在
トマス・カーライルの
『衣服の哲学』(宇山直亮訳/日本教文社)を
読みはじめた。
クレヤン8号の記事を書いたとき、
『暮しの手帖』創刊編集長の
花森安治についての本を読んだら、
花森氏がカーライルの『衣服哲学』に
大きな影響を受けたと書いてあって、
当時も読もうと思ったんですが、
ネットで検索したら
ものすごく難解な本らしいし、
新訳も出てないらしいし、
ってことで即断念したんだよね。
とはいえ、
ずっと気になっていた本なので、
新しい年のはじめだし、
ちょっと読んでみようかと思い、
図書館で資料検索したら
上記の一冊しかなかった。
私が生まれる前の訳本……。
まあ、日本語自体は難しくないんだけど、
思索の過程を書いてるみたいなんで、
難しくて、難しくて、
わけがわかりませんね。
本の大意は、
ネットで書かれているあれやこれを読むかぎり、
大雑把にいって、
人間はもともと裸で、
身につけている衣服は仮の姿なんだ、
みたいなことらしい。
それだけのことを
これほど難しく書けるものなのかって
気もしますが。
本が書かれたのは1830年。
カーライルはイギリス人。
当時イギリスは産業革命のあとで、
機械化効率化されていく社会に対し、
人間的な精神を取り戻そう的な、
内容なわけですね。
まあ、つまり、ヒッピー、っすか?
みたいな。
いやあ、それにしても、
難しくてわけがわからん。
で、拾い読みしました。
まず、
いちばんいい衣服は四角い布の真ん中に
切り込みを入れてそこから頭を出して着るやつだ
(すんごい要約)って部分がありました。
花森氏は東大在学中に
自分で作ったらしいそれを着て
構内を歩いていたらしいんだけど、
なるほどここを読んで
花森さんはあれを手作りし着たんだな、
と思いました。
1940年代の『暮しの手帖』で
盛んに直線裁ちの服の作り方を掲載したのも
そのせいね、とか勝手に納得。
ここを発見しただけでもいいか
とか思ったりして。
それから、
「裁縫師」という章があったんで、
そこだけ読んだりもした。
そこに「裁縫女子的」に、
なかなかうれしいことが書いてあったんで
引用させていただきます。
〈裁縫師は、一人前の人間であるのみならず
創造主もしくは神に近い存在である、とする説は、
明らかな光を浴びて現れるであろう。
(中略)
顔をあげ給え、ひどく虐げられている君!
希望に燃える眼と、高貴な、
よりよい時代のくることを予期して、
顔をあげ給え!
君は、あまりにも長い間、膝を組み、
くるぶしにタコができるまで、
そこに座っていたのだ。
君を翻弄した世間のためにも、
天の最も豊かな祝福の加えられんことを祈りつつ、
贖罪の苦行をしている、
(中略)
希望を持て!
われわれの頭上の雲を通して、
すでに青空が、幾条か見えている。
無知という厚い黒雲は、巻き分かれつつある、
やがて昼がくるであろう〉
はー、80〜90年代に
裁縫女子がいかに虐げられていたか、
カーライルさんは天上から見ていたのでしょうか。
裁縫女子は、
創造主もしくは神に近い存在である。
なんてね。
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企画:エム・エム・クリエーション/
編集協力:ツルシカズヒコ)
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【『裁縫女子』(リトルモア)のインタビューなど】
●雑誌『hito(ヒト)』3号
●歌人の枡野浩一さんとのユースト対談↓
http://www.ustream.tv/recorded/12750111
●写真家の大野純一さんとのユースト対談↓
http://www.ustream.tv/channel/ohnojunichi
●文筆家の近代ナリコさんの『裁縫女子』(リトルモア)書評↓
http://bit.ly/fHvj35
●『裁縫女子』は↓で最初の4ページが読めます(無料)。
http://xfs.jp/yVaxt
●YouTube 「クレヤン放送局」は↓
http://www.youtube.com/user/watanabe3kou