コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます
第100回 映画『くちづけ』とヒップ87
映画『くちづけ』を観ました。
1957年公開、増村保造監督の映画です。
増村監督は1924年山梨県生まれ、東京大学出身。
百恵ちゃんと三浦友和が主演したテレビドラマ『赤い疑惑』(1976)や
堀ちえみ主演の『スチュワーデス物語』(1983-84)の
監督のひとりとしても有名です。
余談ですが、『赤い疑惑』と言えば、
私が10代前半だったころに放送していた赤いシリーズ、
大好きでした。
当時、興奮して放送を待っていたのは、
百恵ちゃんの出生の秘密にドキドキした『赤い迷路』と
赤ちゃんのときに百恵ちゃんと秋野暢子が入れ違った『赤い運命』。
ご本人には申し訳ないけど、秋野暢子は、
ずっとあのときのイメージのまま、
百恵ちゃんのライバルのヤな女、であります。
さて、『くちづけ』ですが、ゆるい恋愛ものではありません。
一応外見は恋愛ものなんだけど、
「ヨーロッパの近代的自我」あるいは
「ヨーロッパ的個人主義」とか当時まだ日本人に馴染みのない思想を
はじめて映画にした画期的な映画だったようです。
似たテイストのものとしては
『狂った果実』(56年/中平康監督)がありますが、
『狂った果実』のほうが「ヨーロッパの近代的自我」色が
強いんでしょうね。トリュフォーに絶賛されたくらいだから。
『くちづけ』も『狂った果実』も、
映画史的にスゴい映画なんだという知識なしに、
2010年の今、63年生まれの私がはじめて観ると
「何がどうスゴい映画なんだかまったくわからん」映画です。
63年生まれの私にはすでに「自我」があって、
死んじゃうかもしれないのに好きな男子とバイクに乗るとか
好きな女子のために死ぬかもしれないケンカを平気でするとか
(愛のために死ぬのもコワくないというのが近代的自我!)
なんてことは別にビックリするようなことじゃないからです。
でもまあ、
『くちづけ』が死の暗示にとどまるのに対して
『狂った果実』はホントに死んじゃう分、衝撃的なのは確か。
しかしですよ、
それよりもやはりクレヤン7号で描いたように、
『狂った果実』で気になるのは、石原裕次郎のオムツ風海パン!
自我が確立された60年代人間には
ファッションのほうが気になってしまうわけですね。
その点、『くちづけ』の川口浩は「アトムパンツ」だから、
裕次郎よりも私好みです。
石原裕次郎は当時の最先端と思われるファッションに身をつつんでいて、
それが今観ると超ダサくて私にはある意味、衝撃的なんだけど、
『くちづけ』の川口浩は、
白いワイシャツと黒いズボンという学生服ファッションで
永遠の少年美!
高校球児とかを好む私には
「18回延長戦を杉内くんと投げ合ってほしいー(笑」くらいに
好感の持てるものです。
弟っぽさが魅力の川口浩は、
『おとうと』(60年/市川崑監督)より
『くちづけ』のほうがよいです。
『おとうと』は学生服といっても絣の着物だから。
どっちかっていうとバカボンっぽいから。
それにしても、
女性の身体を採寸してウン十年の私としては、
野添ひとみの「ヒップ87」はかなり疑わしい。
ヒップ87って日本人としたらわりと小さめですよ。
多産系のお尻だもの。
まあ、あのおっきなお尻のとなりに川口浩って構図も
球児的美を完成させる要素になりうるような気がしないではないけど。
あ、あと見所としては、
三益愛子(川口浩の実母)のワンピースの似合わなぶり。
日本人のワンピースを着ちゃいけない時代、ここにありって感じなの。
成瀬映画での忍耐強い母親役ともまるで違う三益さんなのも必見。
あ、もしかして、そういう点も画期的なのかな。
三益愛子は『赤線地帯』の役が好きです。