ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
『こころ』と三角関係と『さんかく』
『百年後に漱石を読む』の
著者、宮﨑かすみさんが
影響を受けたという
坂口曜子の
『魔術としての文学 夏目漱石論』を
読み始めました。
まず『こころ』について論じている
ところから読んでみました。
『こころ』といえば
先生とその友人Kとお嬢さんとの
三角関係がポイントです。
先生とKが自殺してしまう悲劇の三角関係。
なんでこんな救いようのない
悲劇を漱石は書いたのだろうか。
著者の坂口曜子は
『こころ』をこんなふうに読んでます。
先生とKを自殺に追い込んだ元凶は
明治末の近代日本だと。
そして明治末の近代日本はお嬢さんであり、
だからお嬢さんが
先生とKを自殺に追い込んだと。
しかし、お嬢さんにもこの悲劇を
回避すべき手だてはなかった。
なぜならば、お嬢さんには
明治末の近代日本が装置として
埋め込まれていたから。
日本が急激に近代化したのは
明治30年代でした。
急激な近代化は旧いものを破戒して
進展するわけですが、
お嬢さんが近代だとすると、
Kも先生も近代以前なんですね。
だからKも先生もお嬢さんに
破戒されてしまった。
時代の必然だったのです。
ではなぜ先生とKは近代以前だったのか?
近代日本の装置として機能したのはお嬢さんで、
先生とKはなぜそうならなかったのか?
それは漱石の歴史観というか
世界観がそうだからです。
坂口曜子のこのあたりの洞察がすごいです。
漱石は世界の中心にいるのは女であり、
男は周縁にいると考えていた。
一個の卵子を中心に無数の精子が
集中してくるように。
世界の中心は女性器のように空洞で
丸くなったり三角になったり四角になったりする。
形が変わる度に世界は熱くなるが、
空洞は空洞のまま何もない。
男を釣る怪しい技巧があるだけだ。
そして空洞なるがゆえに
そこからすべてが産み出される。
老子のいう車軸の中心をなす空間のように、
空洞を中心に輪廻が回転し
世界が回り歴史が動く。
坂口曜子は漱石の近代という時代の世界観、
近代以降の歴史観を以上のように洞察しています。
『こころ』に盛り込まれた世界観の
スケールのでかさに驚愕するしかないですね。
以下、私見ですが、
こんなふうなことも思いました。
三角関係というのはなにか
物事を破滅に至らしめる
装置みたいなものなのではないかと。
A、B、CがいてBとCを破戒するために
Aに仕掛けられる装置みたいなもの。
『こころ』ではAがお嬢さん、BとCが先生とK。
新旧でいえば先生はお嬢さんと
Kの中間でKよりは新だったが、
結局、自死する運命にあったという点では
三角関係の力学に破戒されたのだ。
たとえばAがイギリス、Bが漱石、
Cが明治期の日本という三角関係も
成り立つような気がする。
明治が終焉した4年後に、
漱石は胃潰瘍で死ぬわけだが、
漱石の胃潰瘍は英国留学で
神経を病んで以来の持病となった。
あるいはAが19世紀中頃から
アジア太平洋戦争終結までの連合国側、
Bが明治維新以降
アジア太平洋戦争終結までの日本、
Cが近代以前の日本(江戸時代)。
BはCを明治維新で葬り去ったが、
結局、アジア太平洋戦争に敗北し
Aによって破滅に至らしめられた。
三角関係の悲劇を救うものはなんだろう。
吉田恵輔監督の映画『さんかく』に
そのヒントがあるような気がする。
「こころ」かな……。
とすれば映画『さんかく』は
漱石と多いに関係がありそうですね。
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