ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

東京地下鉄道「三越前駅」開業


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昨日の関連で、
ちょっと三越について
調べてみました。

帝国劇場の竣工は
1911年(明治44年)3月1日。

Tokyo_Kaikan_and_Teikoku_Gekijo
大正期の東京會舘(左)と帝国劇場(右)
From Wikimedia Commons

この帝国劇場のパンフレットに
掲載された三越呉服店の
広告コピーが有名です。

「今日は帝劇、明日は三越」。

このコピーが流行り始めたは
1913年(大正2年)ぐらいから。

実物がこれ
婦人画を描いているのは
竹久夢二なんですね。

ちなみに、
島村抱月訳「人形の家」が
帝国劇場で上演されたのは落成の年、
1911年(明治44年)の11月。

ノラ役の松井須磨子が大当たりをとり、
『人形の家』は『青鞜』(1911年9月創刊)
とともに「新しい女」の象徴となった。



『人形の家』を帝劇で観劇した
平塚らいてうは松井須磨子を
「皮相な演技」と酷評していますが、
翌1912年1月号『青鞜』は
「ノラ特集」を組みました。

話を三越呉服店に戻します。
ルネッサンス式新館として、
日本橋本店が完成したのが
1914年9月15日。

「スエズ運河以東最大の建築」と称され、
建築史上に残る傑作と謳われた。
商品は呉服を中心に
百貨全般にわたって取りそろえ、
日本初のエスカレーターや
エレベーターも設置。

暖房設備やスプリンクラーの完備、
屋上庭園、茶室、音楽堂など、
近代百貨店としての形態を完成させた。

銀座店が開店したのは1930年(昭和5年)。

View_of_Ginza_in_1930s
1933年(昭和8年)銀座。
服部時計店(左/現・和光)と三越銀座店(右)

From Wikimedia Commons

現存する三越の日本橋本店(旧館)が
完成したのは1935年(昭和10年)。

1914年の落成時には
地上5階地下1階建だったが、
増築改修工事をして
地上7階地下2階建てになった。

1200px-Mitsukoshi03s3200
現在の三越日本橋店(旧館)
From Wikimedia Commons

ここでふと思ったのだが、
1914年に落成した三越日本橋本店、
関東大震災の被害は受けなかったのか?

答えはここにありました。

●井伏鱒二と荻窪風土記と阿佐ヶ谷文士
第一部 井伏鱒二と「荻窪風土記」の世界
(三) 震災避難民

三越も帝劇も設計者は横河民輔。
三越も帝劇も関東大震災で延焼はしたが、
倒壊にはいたらず修復したのですね。

「今日は帝劇、明日は三越」
のコピーに関しても、
両者の駆け引きみたいいなものが
あったようで、おもしろいですね。



さらに気になったのが、
1932年(昭和7年)に
三越が建設資金を負担し
東京地下鉄道「三越前駅」が開業。
日本橋本店地下売場と連絡。

そもそも東京に本格的な
地下鉄ができたのはいつなんだろう?

1927年(昭和2年)12月30日、
上野 – 浅草間に東洋で初めての地下鉄。

1934年(昭和9年)6月21日、
銀座 – 新橋間の開業で全線開通。

この流れの中での「三越前駅」なんですね。

国全体が軍国化に
邁進しているというのに、
なんだか三井財閥は
商売の基盤を着々と築いている
という感がします。

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