ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

平塚らいてう&神近市子の関東大震災


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さて、明日、9月1日は
関東大震災が起きた日です。
1923年(大正12年)
9月1日午前11時58分。

Ryounkaku
崩壊した凌雲閣
From Wikimedia Commons

この時、平塚らいてう(37歳)は
千駄ヶ谷九〇五の自宅にいた。

夫の奥村博史(34歳)、
長女・曙生(8歳)、
長男・敦史(6歳)も一緒で、
彼女は昼食の仕度をしていた。

〈正午近い時間、まるで大波に
もまれるような最初の
振動がおそったとき、(略)
ちょうど昼食の仕度に台所に立って、
シチューをこしらえようと
肉の缶詰をあけたり、
じゃがいもやにんじんの皮を
剥いたりしていたときのことです。〉

↑平塚らいてう著
『元始女性は太陽であった
-平塚らいてう自伝(完結篇)』
(大月書店)より引用

千駄ヶ谷の路地裏にあった
らいてう宅ではたいした
被害はなかったようです。



『青鞜』時代の平塚らいてうの後輩、
神近市子(35歳)は渋谷区
羽沢町(現在の広尾3丁目)に住んでいた。

当時の神近家には夫の鈴木厚(31歳)、
長女(2歳)、義妹が住んでいたようで、
7月ごろ神近は二人目の子を
身ごもっていたらしいが、
その子が生まれたのが
大震災の前か後かは不明
(あれを調べればたぶん判明する
という資料はわかっているが)。

〈九月一日の昼近く、
かつて思ったこともない
大地震が襲ってきた。

私はいつものように
二階で机に向かっていたが、
階段をころげるように降りると、
表の道路に出た。

私は泣き叫んでいる
前の家の子どもを連れて、
近くの桜並木の下へ走った。

(略)桜並木に避難したのは、
そこなら大きな地震が来ても、
地割れを起こしたりしないだろう
と思ったからである。

(略)桜の根元に持ち出してきた
筵(むしろ)を敷き、
子どもを坐らせると、
ホッと安心感を得た。

(略)そのうち戸外のコンロで
炊いたご飯をおむすびにして、
女中さんが水筒の水といっしょに
持ってきてくれた。

夕方近くには震動も
弱くなったので家に帰った。

町に出ていた夫も無事に帰ってきた。〉

↑神近市子著
『神近市子自伝 わが愛わが闘い』
(講談社)より引用(以下同)



神近市子の住んでいたあたりも
それほどの被害は出なかったようだが、
騒ぎは翌日のほうが
大きかったと記している。

〈二時ごろ、
上野の近くからやってきた青年が、
いわゆる朝鮮人騒ぎを教えてくれた。

「いや、町はたいへんですよ。
ぼくも朝鮮人に間違われて、
集団に天幕の中へ連込まれた」

(略)自警団の暴力行為は
すさまじいものがあったらしい。

生まれた番地や小学校の名をいわせ、
よどみなく答えられないと、
”鮮人”のレッテルを貼って、
竹槍で突き殺すそうだ。〉

平塚らいてうの後を継いで
『青鞜』2代目編集長を務めた
伊藤野枝の9.1は明日、書きます。



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