ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
瀬戸内寂聴と平塚らいてう
井出文子の2冊の著作を読み返した。
『「青鞜」の女たち』と
『自由 それは私自身 評伝・伊藤野枝』。
女性史研究からスタートした
井出の興味が→『青鞜』→
平塚らいてう→伊藤野枝に
移行した過程がよくわかる。
『自由 それは私自身 評伝・伊藤野枝』は、
らいてうや山川菊栄や野上弥生子らを批判し、
相対的に野枝を高く評価している
書物と言っても間違いではないだろう。
つまり、井出はらいてう的、
菊栄的、弥生子的なものより、
野枝的なものに惹かれたのだ。
井出は1944年〜1945年、
羽仁五郎の世界文化史研究
グループの一員として検挙されている。
そういう経歴も、野枝的なものに
惹かれることに
関係しているように思う。
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井出は徐々にらいてうから
距離を置いた人だが、ふと、
『炎の女 伊藤野枝伝』の
著者である岩崎呉夫、
『美は乱調にあり』の著者である
瀬戸内晴美(寂聴)について、
考えてみた。
ふたりの著作にはまだ存命だった、
らいてうの生の声がない。
岩崎も瀬戸内もらいてうに
取材しなかったのだろうか。
『わたくしの歩いた道』という、
らいてうの自伝がすでに存在していたので、
これで事足りると判断したのかもしれない。
取材を申し入れたが、
断られたのかもしれない。
最初から眼中になかった可能性もある。
1960年代から70年代初頭に
かけての時代の「空気」や
政治的な「かけひき」が
透けて見えたりもする。
女性解放や反戦平和運動の
大御所的存在に祭り上げられたらいてう。
そういう時代に、
野枝がクローズアップされると
マズい何らかのベクトルが
あったのは事実だろうな〜。
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