ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
伊藤野枝に対する神近市子の追想は首尾一貫していた
岩崎呉夫著『炎の女 伊藤野枝伝』
(七曜社/1963年)を読み返した。
伊藤野枝の存在を世に
アピールするに功績大だったのは、
瀬戸内晴美(寂聴)著『美は乱調にあり』
(文藝春秋/1966年)だったが、
『炎の女』はその先行書なのである。
【伊藤野枝 1895-1923】は、
書き進めることを優先していたので、
参考資料は精読していないものもあり、
『炎の女』もそうだった。
まず気づいたのは、
野枝が社会に目を向けるきっかけになった、
谷中村問題について彼女に語ったのは
渡辺政太郎(まさたろう)、
若林八代(やよ)夫妻なのだが、
『炎の女』では
宮嶋資夫&麗子(うらこ)夫妻になっている。
野枝が「転機」の中で
「M夫妻」と書いているので、
岩崎は「宮嶋夫妻」だと
思ったのであろう。
大杉や野枝が残した文章には、
人名が実名ではなくイニシャルで
表記されているものが多々あり
(その人が官憲にマークされないように)、
しっかりした「訳注」がないと
ナニが何だかさっぱり
わからないことになる。
何と言っても、
井出文子・堀切利高編
『定本 伊藤野枝全集』
( 第一巻〜第四巻)の「解題」は
優れているのである。
岩崎は1962年(推定)に
魔子(大杉栄&野枝の長女)、
神近市子に面会して
話を聞いているが、
この事実も読み落としていた。
魔子については松下竜一著
『ルイズ – 父に貰いし名は』に詳しいが、
魔子の不遇な晩年を
匂わせるような記述がある。
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神近が大杉を刺した
(日蔭茶屋事件)理由のひとつが、
「野枝のこともなげな態度だった」と、
岩崎は記している。
〈理性的に自己の欲望を
抑制していた市子からすれば、
感情の赴くままに
大杉を肉体的にも独占しようとする
野枝の「育ちの悪い図々しさ」
(と市子は考えていた)に
大杉が脆くも引きずられている
らしいのが腹立たしかったのである〉
岩崎はカギ括弧つきの
神近の発言にはしていないが、
神近がそう発言したから
「こう書いた」のであろう。
クレヤン11号の特集記事でも書いたが、
神近に取材した瀬戸内(晴美)寂聴に、
神近はこんな発言をしている。
「野枝さんは臭い人でしたよ」
「体臭がね、
何だか風呂に入っていないみたいな。
いつもだらしない野暮ったい着付けで……」
「大杉さんはね、
もしあの時、死ななかったら、
転向して、政治ゴロのダラ幹に
なっていたでしょうね」
神近の野枝(&大杉)に対する追想は、
首尾一貫していたことになる。
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