「詳伝・伊藤野枝」第152回『谷中村滅亡史』

文●ツルシカズヒコ

 葉山から帰京して二、三日後、大杉に野枝からの手紙が届いた。

  『先日はもう一足と云ふところでお目に懸ることが出来ませんでしたのね。

 御縁がなかつたのでせう。

 雑誌(『青鞜』※筆者注、以下同)を気をきかしたつもりで葉山に送りましたがお手許につきまして?

 C雑誌(『新公論』)を今朝、拝見しました。

 いろいろなことを一杯考えさせられました。

 そして、少しばかりあれには不公平がありますから書きたいと思ひますが、その前にD雑誌(『第三帝国』)に書きましたものを読んで頂けましたかしら。

 あの御批評が伺ひたいのですの。

 そしてから書きたいと思つてゐます。

 お遊びにお出でくださいませんか。

 私の方から伺つてもいいんですけれど、H新聞(『平民新聞』)も廃刊になりましたのね。

 まあ仕方ありませんわ。

 またK雑誌(『近代思想』)をお続けになつてはいかがですか。

 『私たちにはあんな気持のいい雑誌が失くなつたのは、可なりさびしいことの一つです。

 『私は此頃すてきな計画を立てて一人で夢を見て楽しんでゐます。

 二年かかつても三年かかつてもいいつもりで、自分の期待にそむかないものに仕上げたいと願つてゐます。

 いまにあなた方を驚かしてあげますわ。

 まあ、ちよつと話してみませうか。

 私は今そのためにいろんなものを読んでゐます。

 第一にA(荒畑)さんの「Y村滅亡史」(『谷中村滅亡史』)、それからKさんの「労働」、其他いろんなものを。

 それは、私がいつかW(渡辺政太郎)さんからY村の話を聞いたときの、私の心的経験と興奮とに自分ながら深い興味を持つてゐて忘れることが出来ませんので、それをすつかり書いて見たいんですの。……

 『本当にそれは不思議なほど私の頭の中にこびりついてゐます。これは今までになかつた現象です。今迄は大抵こんなものを書かうとしましても、他の思想が浮かんできますと先きのは消えてしまふのですけれど、此頃たまに小説でも書いてみようと云ふ気になつて書き始めて見ましても、直ぐ此の事で一杯になつて、とてもそんな下らない小説なんぞ書いてはゐられないのです。

 私は今これが本当の意味での私の価値ある処女作になることを一生懸命に願つてゐます。……

 『自分の興味でつまらない事をお話しました。私は書いてしまふまで誰にも話さないつもりでゐましたけれど、あなただけは少しは興味を持つて下さるかもしれないと思つてつい書いてしまひました。

 これであなたに興味がなかつたら、私はずいぶんつまらないことをしやべつてしまひましたわね。

 私は柄にもない大きなことを考へてるなんて軽蔑されると、折角の気持を不快にしますので、Tにもまだ其の計画は話しませんの。……

 Wさんにはいろんなものを拝借しなければなりませんので話しました。

 其他は誰にも云ひませんの。

 『本当によろしかつたらお出で下さい。

 私もお伺ひいたします。』

(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/伊藤野枝との共著『乞食の名誉』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p581~582/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p266~268)

 大杉は少しむっとした。

「少しは興味を持つて下さるかもしれない」とはなんだ。

「それであなたに興味がなかつたら」とはなんだ。

 大杉は野枝から第一の手紙を受け取ったときから、彼女がこの谷中村の事件についてどう興奮したのか、また辻がそれをどう嘲笑ったのか、そしてまた彼女と辻とがそれをどう議論し合ったのかーーそれを野枝自身から聞きたくて堪らなかったのだ。

 まず大杉自身の社会主義運動に関わってきた経歴からの興味があった。

 次には、社会的興味の色を濃くしてきた野枝の思想と感情とが、この事件からの興奮によって、さらにどれだけ高められかつ深められて、彼女の対社会態度や大杉らのムーブメントに対する態度にどれほどの決心をもたらしたかという興味である。

 第三には、野枝と辻との論争が文壇思想界の二種の傾向を代表していやしないかという興味であった。

 大杉のそれらの興味の中には、彼女の家庭崩壊、「弊履のように」棄てられる夫など、高低さまざまな興味があったことはもちろんである。

不滅の『谷中村滅亡史』

★大杉栄・伊藤野枝『乞食の名誉』(聚英閣・1920年5月)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

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