「詳伝・伊藤野枝」第155回 婦人の選挙運動

文●ツルシカズヒコ

『青鞜』一九一五年四月号「編輯室より」に、野枝はこう書いた。

 ●先月は随分つまらないものを出したので大分方々からおしかりを受けました。

 そのうめ合はせに今月は特別号にして少しよくしやうかと思ひましたけれど何しろちつとも準備が出来てゐませんから来月にしやうと思つてゐます。

 ●平塚さんは今長篇執筆中です。

 いよ/\発表される日のはやく来るのを待ちます。

 ●かつちやんは寺島村の白(しら)ひげ様の横町にこんど越しましたと昨日通知が来ました。

 ●岩野清子氏はお家で皆様で修善寺へ行つてゐられます。

 ●雑誌が続かないのぢやないかなど御心配の方もあるやうですがこればかりはどんなことがあつても続けます。

 何卒私を信用なすつて下さい。

 先月あんなにつまらないものを出したからなおあやぶまれたのかもしれませんが併し私は決してさうつまらなくはないと思ひます。

 かなりいゝものがあの中にあつたことを信じます。

 たヾ私がなまけた事だけはどうも申訳けのないことに思ひます。

 これからは決してあんなことのないやうにします。

(「編輯室より」/『青鞜』1915年4月号・第5巻第4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p192~193)

 野枝が渡辺政太郎(まさたろう)から谷中村の話を聞いたのは一月末だったが、それ以来、『青鞜』の編集の仕事はおろそかになっていたのかもしれない。

「平塚さんは今長篇執筆中です」とあるが、これはらいてうが『時事新報』に連載した塩原事件をテーマにした小説「」のことであるが、妊娠中のつわりによる体調不良などのために、連載途中で打ち切りになり、結局、完成することはなかった。

『青鞜』同号に野枝は「最近の感想二つ」を書いた。

「与謝野晶子氏の『鏡心燈語』について」と「生田花世氏に」である。

 三月に第十二回衆議院議員総選挙が行なわれたが、与謝野晶子が雑誌『太陽』の連載「鏡心燈語」で、戸別訪問によって婦人が選挙運動に参加したことを評価し、それを非難した女子教育家を批判した。

 晶子は「女は外で働くものではない」とする女子教育家を批判しているが、野枝はこれには同意している。

 しかし、野枝は婦人たちの戸別訪問を評価した晶子を、こう批判している。

 氏はもの/\しく婦人の選挙運動––多くの人もまたさう云つてゐる––と云つてゐられるがそれが果たして氏が仰云(おつしや)る程価値のある仕事であらうか、たか/″\有権者の戸別訪問位のことが何程のことであらう。

 不服を云へばもう根本から違つてゐる。

 代議政体と云ふことすらもはや問題にもならないがそれを先づそれとしても例えば夫が候補にたつたとしても思想にも政見にも何の理解も同情もない人達の許に迄一々頭を下げてたのまなくては仕方がないやうな貧弱な背景しか持たないと云ふことは堪えられない屈辱ではないか。

(「最近の感想二つ」ーー「与謝野晶子氏の『鏡心燈語』について」/『青鞜』1915年4月号・第5巻第4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p185~186)

 なお、晶子の夫・与謝野鉄幹も故郷の京都府郡部選挙区から無所属で出馬したが、落選した。

『定本伊藤野枝全集 第二巻』の解題によれば、『青鞜』同号に花世が寄稿した「懺悔の心より––平塚様、伊藤様、原田様に寄せて」が掲載された。

 この原稿の最後で花世は論争相手の原田(安田)皐月に謝罪し、貞操論争から退いた。

 姑問題に苦悶している花世に対して、野枝は「生田花世氏に」で自分の経験を踏まえてアドバイスをした。

 無頓着でゐると云ふことが一番いゝのです。

 私は元来あまり細心な方ではないから無頓着と云ふことが苦しくありませんけれどもあなたのやうなデリケートな方にはそれは大変骨折りであるかもしれません。

 いゝ人に見て貰はうと云ふやうな……欲望をおこすのは苦悶の種をまくやうなものだと私はおもつてゐます。

 自分のいゝとこ、また悪いとこはかまはずさらけ出してしまふことです。

 私は世間のすべてありとあらゆるこんぐらがりは醜いものの価値をば誰もが認めまいとして覆はふとしてゐるからだと信じてゐます。

 ……私は幸ひに最初から……自分をさらけ出して……道を歩かねばならないやうに余儀なくさせられました。

 これは私の一生を通じて感謝すべき点だと思つてゐます。

 それですら始終不純な感情に悩まされてゐます。

 悪くおもわれたくないと云ふ欲望は何時でも私の頭のすみで目を光らして居ります。

 あなたは……きつと姑様のなさることや考へなさることについていろいろ心配をなさるのでせう。

 私はそれを云ふのです。

 それをほつておいて勝手にさせ勝手に考へさせるのです。

 もしそれがこちらに及ぼしさうになつたら知らん顔をしてゐるのです。

 その代りこちらでも出来る丈け自由に振舞つたらいゝぢやありませんか。

 私はさうしてゐます。

 あなたは愛しやうとしてゐらつしやるらしいがそれはます/\あなたの苦悶を増すのみだと思ひます。

 夫の母だとか義理だとか……考へると圧迫を感じます。

 普通の同居人と思つて御覧なさい何でもありません。

 いろいろな場合にしかし……苦しまなければなりません。

 ……その苦痛は夫に対する又は夫から受くる愛によつて償はれなければならないと思ひます。

(「最近の感想二つ」ーー「生田花世氏に」/『青鞜』1915年4月号・第5巻第4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p189~191)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

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