伊藤野枝年譜 1908年(明治41年)13歳


●伊藤野枝(13歳)。
周船寺高等小学校高等科三年修了後、
長崎の叔母・代キチ
(代準介の妻)のもとへ行く。

代準介は当時、長崎市大村町21番地に住み、
三菱重工長崎造船所に材木関係の納入をしていた。
➡「伊藤野枝年譜」
(『定本 伊藤野枝全集』第四巻)

●4/9
野枝、西山女児高等小学校4年に転入学。
➡長崎年表(1908年)

『女学世界』『女子文芸』
(『女子文壇』?)などを愛読か。
 ➡『自由 それは私自身ー評伝・伊藤野枝ー』

『女学世界』(1901明治34創刊)
『女子文壇』(1905明治38〜1913大正2)

【11月】
●代一家が東京で事業を始めることになり上京
(下谷区下根岸81/台東区根岸4、5丁目)。

●11/26
野枝、西山女児高等小学校退学。
今宿へ帰り、周船寺高等小学校に戻る。
担任は女性教師・谷先生。
 ➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題

木下尚江『良人の告白』
(〜の自白?)を愛読していたと

伊藤野枝年譜 索引