伊藤野枝年譜 1915年(大正4年)20歳


【1月】
●青鞜5巻1号。
野枝『青鞜』の編集兼発行人になる。
野枝「『青鞜』を引き継ぐに就いて」。

らいてう「青鞜と私ー『青鞜』を
野枝さんにお譲りするについてー」』。

●1/15
月刊『平民新聞』第四号発行。

●1/18
大隈重信内閣(加藤高明外務大臣)が
袁世凱に5号21か条の要求。

●1/20ころ
大杉、竹早町の辻潤宅を訪問し、
『平民新聞』3号を隠してくれた
礼を野枝に言う。
クロポトキンの『麺麭の略取』を
野枝にプレゼントする。

辻が『平民新聞』(週刊/日刊)の
バックナンバーを
全て保存していることを知る。

●1月末ころ
大杉、馬場孤蝶の衆議院選立候補の件で
田中貢太郎に抗議する。

●このころ
野枝、一を背負い、
山田嘉吉、わか夫妻の宅に通い学ぶ。
らいてう、斉賀琴子、岡田ゆきも学んでいた。

当時のことを野枝は「乞食の名誉」に記す。

らいてうも『元始(下)』に記す。

●1月末ころ
野枝&辻潤宅に
渡辺政太郎(まさたろう)、
若林八代(やよ)夫妻が来訪し
足尾銅山鉱毒事件の話をする。
(来訪したのは宮嶋資夫・
麗子夫妻だったという説もある)。

『定本伊藤野枝全集第一巻』「転機」解題は
渡辺政太郎(まさたろう)、
若林八代(やよ)夫妻と指摘。

野枝、谷中村問題に関心を持つ。

250px-Yanaka_village
旧・谷中村 跡(現・栃木市)
(@ウィキペディア)

大杉、野枝に自著『生の斗争』、
自訳『種の起原』(ダーウィン)、
ローザ・ルクセンブルグの肖像写真を贈る。

野枝、返礼をかねて
大杉に谷中村に関する手紙を出す。

後に大杉は月に1回くらい辻の家を訪れ、
辻とマックス・スティルナーの
「唯一者と其の所有」の話などをする。
辻はこの本を自分のバイブルだと言って尊崇し
愛読していた。(大杉栄「死灰の中から」)

●この月
東京日日新聞社会部記者・神近市子、
大杉に面会する。

【2月】
●青鞜5巻2号。
野枝「貞操に就いての雑感」で
「貞操論争」に加わる。

●2月
らいてう&奥村、御宿から帰京。
小石川区西原町一の四に住む。
奥村、近くの小石川植物園に
毎日のように写生に行く。

●2/10ころ
大杉、辻潤宅に野枝を訪問する。辻在宅。

●2月中旬
辻&野枝、
小石川区指ケ谷町九二番地に移転。

竹早町の家で引っ越し準備をしているとき、
中村狐月が訪ねてくる。
➡中村狐月『現代作家論』「伊藤野枝論」
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「妾の会った男の人々」(中村狐月)

●2/16
月刊『平民新聞』第五号。
印刷中に全部押収される。

●2/17
『平民新聞』5号発禁押収に抗議し、
大杉らデモ行進。

●2/20ころ
大杉、野枝を訪問する。辻在宅。
野枝、『青鞜』の印刷所を大杉に紹介する。

2月のある日の晩、
堀保子が大杉と野枝が待合に入ったのを
見たという人の話を大杉にする。
➡『死灰の中から』

【3月】
●3/1
辻潤(奥村博を伴い?)、大杉らが主催する
平民講演会(サンジカリズム
研究会から発展)に参加。

●辻潤、『阿片溺愛者の告白』を訳し始める。
翌年半ばに訳了。

●『新公論』三月号にらいてう「処女の価値」掲載。

●3/20
大杉、荒畑、3/15付け『平民新聞』6号発行
するが発禁処分になる。

後に有吉三吉がスパイだったことが判明。
『平民新聞』は同号で廃刊。

大杉「労働者の新聞」

●3/25
第十二回衆議院議員選挙
長江のバックアップで馬場孤蝶が
立候補するが落選。

与謝野鉄幹も京都から立候補するが落選。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p169

●3/26
大杉、野枝を神田西小川町の印刷所
大精社で待つが会えず。
日陰茶屋に行く。
➡『日録・大杉栄伝』

●『時事新報』3月号。
大杉「茅原華山を笑う」。

茅原の『第三帝国』掲載
「農村革命論を読む」の
「社会主義に対する杞憂」への反論。

茅原の「大杉栄先生に謝し奉る」が
『第三帝国』に掲載。

大杉「再び茅原華山を笑う」
(初出不明/原稿末に5/7の日付あり)
日清戦争のことを
「二十七、八年の役」と表記。

【4月】
●大杉『新公論』4月号に
「処女と貞操と羞恥と-
野枝さんに与へて傍らバ華山を罵る」
(野枝へのラブレター)発表。

●4月初め
日陰茶屋から戻った大杉、
野枝からの第二信を受け取る。

●らいてう「時事新報」に
「峠」を大正4年4月1日から
21日まで連載。
つわりのため、中断のまま終わる。

●『早稲田文学』4月号
大杉「個人主義と政治運動」。

馬場孤蝶および彼を衆議院議員候補者に
担ぎ上げた生田長江と安成貞雄へ
明答と反省を求める。

大杉(アナーキズム)が
なぜ議会政治を否定するのか、
その理由がよくわかる。

●4/7ころ
生田春月、大杉宅を訪問。

●4/26
大杉、帝劇で「飯」観劇。
秋田雨雀がエロシェンコを紹介。

●このころ(野枝と辻が別れる1年ぐらい前)、
辻潤と野枝の従妹・坂口キミ
(伊東キミ/野枝の叔母・
坂口モトの娘)が不倫。

坂口キミは一時期、
野枝(20歳)&辻潤宅に寄宿していた。
坂口キミは野枝の一歳下で
野枝が最も親しくしていた。

➡『野枝さんをさがして』によれば(p51)、
『定本 伊藤野枝全集』
(第二巻)口絵写真に坂口モト、
辻、一を抱いた野枝とともに写っている
(辻美津、辻恒のキャプションは誤り)。
➡「従妹に」(『青鞜』1914年3月号)
『伊藤野枝全集 下』
➡「偶感二三」(『青鞜』1915年7月号)
『伊藤野枝全集 下』

●4月
佐藤教頭と西原が上野高女を退職。
野枝、同総会に出席。
➡「編輯室より」(青鞜1915年第五巻第五号)

●長江、『ニーチェ全集』(新潮社)
翻訳に取りかかる。

【5月】
●長江夫妻、府下巣鴨村に引っ越す。

●『新潮』5月号。
大杉「自我の棄脱」。
ベルグソンの論理を反映。

●青鞜5巻5号。
野枝「虚言と云ふことに就いての追想」

【6月】
●6/1
青鞜5巻6号。
野枝「堕胎論争」に関して
「私信ー野上彌生子様へ」発表。

『青鞜』同号は堕胎に言及した原田皐月の
「獄中の女より男に」で
発行禁止(風俗壊乱)。

●6/19
大杉、平民倶楽部で
「フランス文学研究会」を始める
(翌年5月まで続く)。

おもな参加者は以下。
神近、青山菊栄、宮嶋夫妻、
尾竹紅吉、西村陽吉、
山田吉彦(きだみのる)、
慶大生の野坂参三。

【7月】
●野枝、『新潮』7月号に
「私が現在の立場」を発表。

同号口絵に「伊藤野枝女史」として
一(まこと)と一緒に写った
写真も掲載された。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』p469

定本伊藤野枝全集第二巻01
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』
(学藝書林)より

●7/1
大杉、平民講演会を開催。
エロシェンコがロンドンで
クロポトキンに会見した様子をエス語で話す。

このころの大杉の愛読書は
各国訳の『昆虫記』(ファブル)。
各国訳で読むことにより
語学力がましたらしい。
➡『日録・大杉栄伝』p159

●7/1
『青鞜』5巻7号。
野枝「偶感二、三」
(辻が野枝の従妹との間に犯した
性的過失に言及)。

●7月初旬
らいてう夫妻、四谷南伊賀町42、
山田嘉吉・わか夫妻宅裏隣へ移転。
山田嘉吉の弟の持ち家。
以前は山田の友人、
弁護士・山﨑今朝弥が住んでいた。
らいてう夫妻の後、堀保子が住む。

新進の婦人問題研究家・山田嘉吉・
わか夫妻のところに通い学ぶ。
エレン・ケイ、アメリカの
社会学者レスター・ウォード。
女学生だった吉屋信子も
英語を習いにきていた。

江口章子(あやこ)、九州柳川の婚家から
らいてう夫妻の南伊賀町の家に
飛び込んで来る。
江口は後、北原白秋夫人になる。

●7/7
野枝、野依秀市と会う。
➡『定本 伊藤野枝全集 第三巻』

●7/11
野枝、山田邦子に手紙を書く。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』

●7/20
野枝、辻との婚姻届を出す。

●7/24
野枝、出産のため辻、一を伴い今宿へ帰郷。
12月初めまで滞在。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』p471

留守中の『青鞜』業務は
日月社の安藤枯山が好意で代行
(生田花世も手伝う)

辻「陀々羅行脚」に、
今宿の海岸で半年近く暮らしたとある。

【8月】
●8/2
小口みち子と日向きむ子(大正三美人の一人)、
売文社を訪れる。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p311)

●8/15
『第三帝国』49号に大杉「史的社会観
狐月君の挑戦に応じ予が社会論を論ず」。
『早稲田文学』4月号の
大杉「個人主義と政治運動」に対する
中村狐月の反応への反論。

●8/18~8/23
第1回全国中等学校優勝野球大会が
大阪府の豊中グラウンドで開催される。

Ceremonial_First_Pitch_1915
村山龍平朝日新聞社長による始球式
(@ウィキペディア)

●青鞜8月号は欠号。

●岩野泡鳴・清夫妻が別居。

【9月】
●9/1
『第三帝国』50号。
大杉「僕の現代社会観」
中村狐月批判。

●9/1
青鞜5巻8号。四周年記念号。
平塚「個人としての生活と性としての
生活との間の争闘に就いて」。
有島武郎から「感心した…」
という長文の手紙が届く。

山田わか「堕胎に就いて」。

●堺、『へちまの花』を改題し『新社会』創刊。
普選運動の推進をはかる。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p309)

●9/30
大杉夫妻、小石川区武島町に引っ越す。

【10月】
●10/1
青鞜5巻9号。

●10/7
大杉、寒村、第二次『近代思想』三巻一号
刊行(発行人/宮島資夫)。
神近、その編集事務を手伝う(経済的援助も)。

大杉「二種の個人的自由
福田博士の新社会論を読む」

大杉「労働運動とプラグマチズム」

第二次『近代思想』2号〜4号が
発禁になり4号で廃刊。

●大杉「男女関係の進化」執筆。
『社会的個人主義』に掲載。

●10/10
大杉、野沢重吉の法要に列席。
9/25に「築地の親父」と親しまれた
車夫・野沢重吉、胃癌のため
慈恵医院で死去。

野沢重吉
野沢重吉
(@『大杉栄 伊藤野枝選集 第五巻』
黒色戦線社)

●長江夫妻、本郷区森川町に引っ越す。

●『塵労』10月号。
大杉「道徳非一論」

【11月】
●11/1
『近代思想』3巻2号。
大杉「事実と解釈」
大杉「意志の教育
マクス・スティルナーの教育論」

●11/1
青鞜5巻10号。
斎賀琴(琴子)の反戦作品「戦渦」。

原阿佐緒、
歌「泣かましきこと」が載る。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』419頁

●11/4
野枝、今宿にて次男・流二
(若松流二/〜1998年/日本郵船の船員に/
戦後は北海道の開拓農場で働く)を出産。

婚姻届提出後、約4か月間、辻と一と帰省。
代準介の家にも居候する。
一を千代子に預けたり。

●11/10
京都御所紫宸殿で
大正天皇即位の礼が行なわれる。
東京日日新聞記者の神近市子、取材する。

神近、大杉栄と恋愛関係になる。
➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p134

この日、大杉夫妻は伝通院前の
内田大弓場で矢を射る。

●11/25
大杉、評論集
『社会的個人主義』出版(新潮社)。

●『早稲田文学』120号(11月号)
大杉「近代個人主義の諸相」

【12月】
●12/1
『近代思想』3巻3号。
六日、発禁。

大杉「労働運動と個人主義
ー労働者の個人的社会創造力」

●12/1
青鞜5巻11号。
野枝「傲慢狭量にして不徹底なる
日本婦人の公共事業に就いて」
(この原稿は今宿滞在中に執筆)。
以後、青山菊栄との間で「廃娼論争」。

●12/9
らいてう、長女・曙生出産。

●12月初め頃
野枝、帰京
(『読売新聞』十二月二十二日号)。

●12/15
大杉夫妻、逗子町葉山に移住。
大杉、上京の折り神近宅に宿泊。
神近との仲が急接近する

●12/26
大杉、神近と日本橋で食事をし泊まる。

●12/27
大杉、著作家協会の設立準備会に参加。
参加した佐藤紅緑の回顧
「創立の熱心者として大杉君を知った」。

●辻、スティルナー
「万物は俺にとつて無だ」を訳し、
土岐善麿主宰の雑誌「生活と芸術」に発表。

●『中央公論』12月号。
大杉「茅原華山論」。
茅原と雑誌『第三帝国』批判。

【社会】
●「カチューシャの唄」
「ゴンドラの唄」ヒット。

伊藤野枝年譜 索引