ふもれすく年譜 1889年(明治22年)


【2月】
●2/11
大日本帝国憲法発布。
らいてう、
祝賀の山車の記憶を残す。

同夜、らいてう、
日比谷原に花火を見に行く。
火の粉が肩をかすめ、
花火恐怖症になる。

●日本初のグラフ雑誌
『風俗画報』(東陽堂)創刊。

【4月】
●甲武鉄道、新宿 – 立川、
8月には 立川 – 八王子を開業。

【5月】
●5/1
東京府下に東京市を設け
旧15区の区域をもって市域となる。

●5/26
大杉栄、東京府麹町区
富士見小学校付属幼稚室の保育終了。
父の転任で新潟県新発田本村へ移住。

【7月】
●東海道線、新橋・神戸間開通。
一日一回運行。所要時間約20時間。

●辻潤、母方の曾祖母に連れられて
浅草の新堀端付近にあった
自性院や西福寺に行って、
曾祖母から色々な話をきく。
自性院のご開帳のおりに
「地獄極楽」の掛軸を見て、
その後ずっと地獄極楽殊に
地獄にひどく興味を持った。
(「自分はどのくらい宗教的か?」、
「あやかしのことども」)

尚、辻潤の書いたものには、
祖母については、「のんしゃらんす」に、
「未だ存命の頃、「世が世なら――」という
繰り言をきかせてくれた」とある他には
出てこないようである。

この年、腸チブスに罹病。
(「あやかしのことども」)

『西遊記』を愛読し、赤本から、
馬琴? の訳したものや、
唐本など色々な本を集める。
(六ツか七ツ頃とある。「「お化けに凝った」)

母に連れられて毎月
欠かさず芝居を見て歩いた。
(「昔見た芝居」少年の頃とあり、
年代は不明。蔵前に住んでいたとある)

※この年、オスカー・ワイルド
『W・H氏の肖像』
『芸術家としての批評家』
(The Critic as Artist)
/『嘘の衰退』(The Decay of Lying)刊行。

【10月】
●10/7
エジソンの助手が
ハンブルク近郊のビスマルク宅を訪問。
ビスマルクの声を録音。

●10/18
大隈重信遭難事件。
玄洋社を退社した
来島恒喜(くるしま・つねき)、
外務省からの帰路にあった
外務大臣・大隈重信の
乗る馬車に爆弾を投擲。
大隈、右足切断の重傷を負う。

来島は爆弾が炸裂すると同時に、
短刀で喉を突き自害(享年31歳)。

外国人判事を導入するという
大隈の条約改正案破棄される。

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