「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」73回 瓦斯ラムプ

文●ツルシカズヒコ

 一九一三(大正二)年六月、巣鴨の保持の住居兼青鞜社事務所の庭には様々な花が咲いていた。

 らいてうも、清子も、野枝もホワイトキャップに殺されずに生きていた。

 関西から帰京した奥村が、曙町のらいてうの自宅を訪れたのは六月七日だった。

 奥村は門の前まで来たが、入りかねて、置き手紙をポストに入れて帰った。

 関西旅行から一昨日戻りました。

 そして今俄に思い立ってお訪ねしたくなり、お宅の門の前まで来ることは来ましたが、ご在宅やらお留守やら分らないので残念ながらこのまま帰ります。

 ご病気だったそうですが、もうすっかり快いのですか。

 ではまたーー

 六月七日 曙町郵便局にて 浩

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p97)

 この手紙を読んだらいてうは、すぐに大塚窪町の新妻莞気付で返信をした。

 二、三日して、奥村が大塚の新妻の下宿を訪ねると、新妻は「平塚から君に郵便が来ている」と言って、奥村に手紙と小包を渡した。

 奥村は帰りの電車の中でまず手紙に目を通した。

 私の家の門はあなたのためにはいつでも開いている筈でございます。

 西嶋という方は、あなたのお歌を《詩歌》で拝見したときお見受けした方のようにも記憶しますけれど、初めての方に逢うということは、また手紙を出すということには私は妙な不安と恐怖をもっております。

 それで同氏へはあなたからよろしくおっしゃって下さいまし。

 ではお待ちしておりますから。

 六月八日 昭

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p98)

 らいてうのこの手紙の「西嶋」、つまり新妻莞に関する部分は、ちょっと説明が必要である。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p478)によれば、新妻がらいてうの家を訪れ面会を申し入れたことがあったが、らいてうはその意図がわからず面会を断った。

 らいてうが奥村に宛てた手紙を、新妻が密かに開封していたことを、この時点では奥村もらいてうもまだ知らない。

 下宿に戻った奥村は、小包を開け『円窓より』にはさんであった、小さい紙切れに書いてあった文面を読んだ。

「燕の来るシイズンがきたのでしょうか」という書き出しの文面である。

『円窓より』にはさんであったこの手紙のほうが、「六月八日」の日付けの手紙よりも、前に書かれたものである。

 この日も奥村は曙町のらいてうの自宅を訪れたが、彼女が留守で会えず、「しかし、どうして西嶋の所などをご存じなのか、それが不思議でなりません。表記の所に居ります」と自分の住所を明記した手紙を出した。

 さらに奥村は、新妻に対する自分の疑惑や不信感を綴った手紙をらいてうに書いた。

 奥村が曙町のらいてう宅を訪れ、九ヶ月ぶりにふたりが再会したのは、六月十三日の夜だった。

 やがて取次の女中が彼を案内したのは、内玄関につづく別棟の数寄屋ふうのふた間つづきの昭子の部屋である。

 隣りの部屋は客の応接に使われ、水屋に当たるこの書斎は、東の円窓近く机が北壁に面して置いてあり、廊下からはいった横のーーつまり机に向って左寄りの壁には浩の自画像が掛けてある。

 机のそばに座布団を進められて、浩が腰を下すとまもなく、女中と入代りに袴姿の昭子がはいって来た。

 そして彼と差向いに坐ったとき、しばらく、とふたりの口から同時にかすかな言葉が漏れて、互に顔を見交したままいっときどちらからも口が利けなかった。

 泪にうるんだ四つの瞳が瓦斯ラムプの光に耀(かがや)いた。

 ーーおからだはもう?

 ーーええ、すっかりいいの……。

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p104)

 らいてうは、こう記している。

 梅雨の夜空の重くたれこめた、静かな晩でした。

 その夜、円窓の灯影のなかに、ややはにかみを浮かべながら、ひたむきにわたくしを見つめる彼の目(まな)ざしは、どれほど多くのことを語りかけたことでしょうか。

 純な、ひたむきな、そしてなにか哀愁を湛えた彼の瞳を、わたくしもまた力をこめて自分の瞳のなかに包みました。

 もはや、燕の手紙も、恨みも、疑惑も一瞬にして消え去り、向かい合う二人の心の絆は、どうしようもない力で、つよく、かたく結ばれてしまったのです。

 もう言葉は、なんの必要もないのでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_474)

 野枝がらいてうの書斎を訪れると、奥村は大阪から帰って来て円窓の部屋へたびたび来ているらしく、奥村が描いた見慣れない海の絵が三枚置いてあった。

 絵に対する批評眼を持たない野枝だったが、紅吉の侮蔑の的になった油絵の自画像とは、比べものにならないくらい上出来だと思った。

「気が弱いっていうのかおとなしいっていうのか、そりゃ本当にかわいそうなくらいよ。ここに黙ってじっと坐っているんですよ、いつまでもいつまでも。そうしちゃあ、奥から、あんまり遅くなりますからもうお帰りになってはいかがでございますかなんて、女中が言ってくるんです。でも別に気持ちを悪くするでもなく、黙って帰るんですよ。原田さんとはだいぶ長く千葉の方にいたらしいわ」

 野枝は聞き役だったが、話題が変わったので紅吉のことを話した。

「此間紅吉の処に往きましたらね、大変綺麗な方がゐらつしやいましたよ、市川さんとかつて、すこし、ませた、嫌な表情をする人ですけれどね、」

「あゝ、さう、それは今、紅吉の愛の対象になつてゐる人でせう、何でも美術学校か何かの方」

「えゝ、さうですつて、此の間から大分方々連れて歩いてゐるんですつて、哥津ちやんの処へはおしやく見たいな姿で連れ込んだんですつて、可なり夢中らしいわ」

「さう、私はまだ見ないけれど、このあいだ手紙をよこしてたいへんきれいな人だつて自慢して来ましたよ、是非見たいものですね」

「紅吉があなたの処へ? 手紙なんかよこすんですか」

「えゝよこしてよ」

「随分ね、私はまあ、何日かうちから、どの位、あなたの悪口を聞いたか知れませんよ、まつたくあの人は可愛い人ね」

「あの人の機嫌を気にしてゐたら大変だからうつちやつておく方がいゝんですよ、まあ夢中になつてゐられる間だけ夢中にさしとくんですね」

「でも奥村さんの帰つてらしつたことを聞いたら、何て云ふでせうね」

「自分のことで一杯だからさう気になりはしないでせう」

 二人は何となしに一緒に笑つた。

(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年4月10日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p133~134/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p195~196)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

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