「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」74回 堀切菖蒲園

文●ツルシカズヒコ

 一九一三(大正二)年六月中旬。

 野枝がらいてうの書斎を訪れ、奥村の話に一段落ついた後、野枝が堀切菖蒲園の話をらいてうに振った。

 そのちょっと前、らいてうが田村俊子と堀切菖蒲園を訪れていたからである。

「この間の堀切行きは面白かつて?」

「えゝ、面白かつたわ。田村さんがすつかり酔つぱらつて大手をひろげて駆け出す恰好つたら……」

 平塚さんはさも可笑しさうに一人で笑つた。

「田村さんお酒を沢山めし上るの?」

「弱いわ、すぐ酔つちやつてよ」

「さう、二人で歩いてらしやる様子が見えるやうだわ」

「もう時間が遅かつたから割りにつまらなかつたわ、今度一緒に往きませうよ、哥津ちやんや岩野さんを誘つてね」

「えゝ往きませう、私はまだ行つたことはないんです」

「さう一寸いゝわ」

「何時往きます?」

「明日でも明後日でもいゝわ」

(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年4月10日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p134~135/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p196)

 そして、ふたりはその後も引き続き、こんな会話を交わした。

「田村さんはこのごろ、よく貴女を訪ねていらっしゃるのね」

「そうね、気紛れだから、あの人も」

「でもあの方は気が強いようで案外、弱いんじゃないかと思うところがありますね」

「そうね、あの御夫婦の喧嘩だって、気が強いからってのじゃないでしょうね」

「ええ、それはこのあいだ私が伺ったときに話していらっしゃったわ。締め切りが来ても書けないでイライラしていらっしゃると、旦那様が心配なさるんですって。それがまた癪にさわって、つい喧嘩になるんだっておっしゃったわ」

「嘘じゃないでしょうね」

「だけど、私、お書きになったものでなんか見ると、軽蔑し合っていらっしゃるようでいながら、御一緒にいらっしゃるわね。あんななら、お別れになったらいいだろうと思いますがね」

「私は松魚さんは世間じゃつまらない方のように言っているけど、ひょっとするとたいへん偉い人じゃないかって気がするのよ。たいへん偉い人かたいへん意気地のない人か、どっちかだわ。ああやって、一緒にいらっしゃるのだって、きっと俊子さんが別れたくないのだろうと思うの」

「そうかもしれないわね」

「気の弱いところは、荒木さんだってよく似ているわね。深みに入ってしまって、もうどうすることもできないんでしょう」

「荒木さんは今、一緒にいる人とはちっとも愛がないの?」

「ええ、もちろんでしょう。この前、私が行ったら泣いていたわ。辛いんでしょうね。ずいぶん気兼ねをしているようですものね」

「可哀そうだけど、なぜそんな人と一緒にいなければならないんでしょう」

「だって、もう今じゃどうすることもできないでしょう。あの人はたいへん執念深い人だって言うから」

「初めはお金なんでしょう。いつまでもそうやって縛られているなんて馬鹿馬鹿しいわね」

「つまり、あの人は目先だけの悧巧なのよ。あの目白の家を売るのにずいぶん高くあの人に売ったんでしょう。で、その利益はあったけれど、今度は自分自身ってものを失くしてしまったんですよ」

「そう、私そんなことちっとも知らなかったわ。じゃ、あの増田(増田篤夫)って人との関係はどうなんです?」

「あの人には真実愛があったんでしょうけど、妙なふうになっているんでしょう。まあ、弱い弱い人ね」

「馬鹿げてるわ、そんな。いつか野上さんに、そんなこと聞いたのよ。ちっとも知らなかったんですよ。だけど、荒木さんはなんとかしてその束縛から逃れる気はないのかしら?」

「ないことはないんだわ、そうして苦しんでいるんですもの。恐くてできないんでしょう」

「そう? おかしいわね」

「あの人から復讐されるって言うのよ。それを恐がっているのよ」

「そんなこと馬鹿馬鹿しいわ」

「あなたは荒木さんの話を聞いていないから。あの人は復讐を大真面目に考えているんですって」

「私ならそんな嫌な奴のそばで嫌な月日を送るくらいなら、それよりいっそ殺されでもした方がいいくらいのものだわね」

「まあ、そうだわね。だけど荒木さんにはそれだけの勇気はないんだから仕方がないわ」

「あんなにも手練手管を心得ていそうな人だから、もっと何か智慧が出そうなものね。向こうが嫌がるように、こっちから仕向けるとかいうわけにはゆかないもんかしら」

「そんな貴女がやっきになったって駄目よ、自分のことかなんかのように」

「だって気になるんですもの。本当に、アイヌのゼントルマンだなんて悪口言いながら、あんなに縮こまっている人ってありゃしないわ。増田さんって貴公子みたいな人ですってね」

「ええ、たいへんきれいな人だそうね」

「だけど、まったく荒木さんはつまらない目をみているのね」

「自分でそうなっているんですもの、他から手の出しようはないわね。荒木さんに比べると、お姉さん(荒木滋子)って方はずいぶんいろいろなことをなすったって。だけれども、確(しっか)りしたところがあるらしいわね」

「そう、私このあいだ火事のときにちょっとお目にかかったわ」

 青鞜社員の堀切菖蒲園行きの話は、実行に移されたようで、野枝はこう記している。

 □歌津ちやんはお芝居や寄席や新内や歌沢で日を暮らしてゐます。私は、うちにゴロ/\して、いつからいてうと岩野さんと歌津ちやんと私と四人で堀切に行つたときに買つて貰つた小さな独楽をまはして遊んでゐます。

(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p41)

 堀切から持つて来ましたスウヰートピーは土曜日まで生きてゐました。

(「染井より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p39)

明治37年の堀切菖蒲園2 ※堀切菖蒲園3 

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

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