●1月末
オスカー・ワイルド、パリへ。
ゴンクール兄弟、ユゴー、ヴェルレーヌ、
ドガ、ピサロ、マラルメ、ゾラらと親交する。
同性愛をテーマにした詩を発表し始める。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p51
●3/14
カール・ハインリヒ・マルクス
(1818年-1883年)、ロンドンで死去。
【1月】
●1/2
オスカー・ワイルド、
講演旅行のためニューヨーク港へ到着。
税関で名言を残す。
「何か申告するものはありますか?」
「何もありません。才能のほかには」
『草の葉』の大詩人、ウォルト・ホイットマンに面会。
二ヶ月後に再会した際、ふたりは熱い別れのキスを交わす。
➡宮﨑かすみ『オスカー・ワイルド』p49
【3月】
●3/21
生田長江(弘治)、
鳥取県日野郡貝原四番屋敷で生まれる。
父・喜平治、母・かつの三男。
【10月】
●10/21
大隈重信ら東京専門学校の開校式挙行。
政治経済学科・法律学科・
理学科・英学科に入学生総勢80名。
東京専門学校
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【3月】
●3/13
アレクサンドル2世、
サンクトペテルブルク市内で暗殺される。
「人民の意志」党員のポーランド人
イグナツィ・フリニェヴィエツキが
爆弾を投じる。
アンドレイ・ジェリャーボフ、
ソフィア・ペロフスカヤら
暗殺の首謀者は処刑される。
死の床のアレクサンドル2世。
セルゲイ・リヴォーヴィッチ・
レヴィツキーが撮影
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皇帝遭難の地に建つハリストス復活大聖堂。
血の上の教会(Church on Spilt Blood)の
名称でも知られる
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●3/14
アレクサンドル2世の第2皇子、
アレクサンドル3世が
ロマノフ朝第13代ロシア皇帝に就任。
●1/18
プロイセン、ナポレオン3世率いる
フランス帝国を破ってパリへ入城。
ヴェルサイユ宮殿で
プロイセン国王ヴィルヘルム1世が
ドイツ皇帝となりドイツ帝国が成立。
The proclamation of Prussian king
Wilhelm I as German Emperor
at Versailles
by Anton von Werner
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●3/1
東京、大阪間で郵便事業開始。
●3/26
パリコンミューン。
史上初の「プロレタリアート独裁」(マルクス)
による自治政府を宣言。
約二ヶ月続く。
コミューンにより
パリ市内に築かれたバリケード
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パリ・コミューンで活躍した
ルイーズ・ミシェル(1830年-1905年)
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ルイーズは黒旗を掲げこれを
無政府主義運動の旗印とした。
「友軍兵士の血に染まった赤旗はもうよい。
私はわれらの死者と幻想の弔いとして
黒旗を掲げよう」(Louise Michel)
●5/10
普仏戦争の講和条約、
フランクフルト条約調印。
フランスは東部のドイツ系住民居住地域
アルザス・ロレーヌ地方3県を失い
(1919年までドイツ帝国直轄領
エルザス=ロートリンゲン州)、
50億フランの賠償金支払い義務。
●7/13
ドイツ西部の温泉地バート・エムスで休養中の
プロイセン王ヴィルヘルム1世、
フランス大使ヴァンサン・ベネデッティ伯爵
との会見を拒否する。
エムス電報事件。
普墺戦争の契機になる。
Wilhelm I at Bad Ems.Vincent Benedetti is
not on this picture
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●7/19
普仏戦争(独仏戦争)始まる
(〜1871年5月10日)。
●9月
セダンの戦い(普仏戦争)。
プロイセン側の圧倒的勝利。
フランス皇帝ナポレオン3世、
降伏し捕虜となる。
Otto von Bismarck and Napoleon III
after the w:Battle of Sedan in 1870
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当時20歳のギ・ド・モーパッサン、
国民遊撃隊員として参戦。
後に普仏戦争を題材にした小説
『脂肪の塊』を発表する。
●11/25
堺利彦、福岡県で生まれる。
西暦では1871年(明治3年1/15)。
●6/15
プロイセン王国、
オーストリア帝国に宣戦布告。
普墺戦争、開戦。
7/3のケーニヒグレーツの戦いで
プロイセンが圧勝。
普墺戦争、
7週間でプロイセン勝利で終結する。
ドイツ統一はオーストリアを除外し、
プロイセン中心に進められることになる。
Monument/
Battle of Königgrätz (July 3, 1866)
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普墺戦争で大敗し、
失望の底に沈んだウィーン市民を慰めるため、
翌1867年、ヨハン・シュトラウス2世が
『美しく青きドナウ』を作曲。
●3/5
アレクサンドル2世、
農奴解放令を発布
(露暦年2月19日)。
「1861年2月19日の読書」
グリゴリー・ミャソエードフ(英語版)画
(1873年、トレチャコフ美術館)
1861年勅令(いわゆる「農奴解放令」)を
読む農奴たち
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●3/14(文久元年2月3日)
ロシア軍艦対馬占領事件。
●9/5
シベリア流刑地から脱走したミハイル・
アレクサンドロヴィッチ・バクーニン、
ニコラエフスク港から
蒸気船ヴィッカリー号に乗船。
8月6日には北海道の箱館(函館)に上陸、
その後間もなく横浜に到着した。
日本ではドイツの植物学者シーボルトらに会見。
バクーニンは蒸気船カーリントン号で
神奈川から出航。
この船の乗客は19人で
他にはハイネ、
浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)がいた。
サンフランシスコ→
ニューヨークからロンドンに到着。
●12月
ナポレオン3世治下のフランス軍の
メキシコ出兵が始まる。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第六巻』p268
●シュティルナーの『唯一者とその所有』出版。
●10/15
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ、
プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン
(Provinz Sachsen –
現在はザクセン=アンハルト州など)、
ライプツィヒ近郊の小村レッツェン・
バイ・リュッケンにルター派の裕福な牧師で
元教師の父カール・ルートヴィヒと
母フランツィスカの子として生まれる。
同じ日に49回目の誕生日を迎えた
当時のプロイセン国王
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世にちなんで
フリードリヒ・ヴィルヘルムと名付けられた
(ニーチェは後に
ミドルネーム「ヴィルヘルム」を捨てている)。