コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます
第246回 なんだか他人事だった
17年前の1月17日、
ツルシカズヒコはまだ、
週刊スパ!編集長だった。
私とツルシはいっしょになって
4年目だった。
ツルシは毎日帰宅が遅かった。
朝になることもよくあった。
私はツルシが帰って来るまで
深夜ラジオを聞きながら
仕事をしていた。
伊集院光のオオデカナイトが
好きだったなあ。
17年前の1月17日も、昼ごろ起きた。
テレビをつけると
ひどい火事の様子が映っていた。
けれど、それはなんだか他人事だった。
ツルシの頭の中は、
前年秋くらいから暴走をはじめた
「ゴーマニズム宣言」のことで
いっぱいだった。
ツルシは帰宅するとビールを飲んだ。
考え込むことが多かった。
私はいつも先に寝た。
起きるとそのまま同じ場所に
ツルシが座っていたこともあった。
阪神淡路大震災の3年前、私は
NHK教育テレビ「おしゃれ工房」に
はじめて出演したんだった。
はじめての撮影は自宅でやった。
心配だからといって、
出社前のツルシがしばらく見学していた。
阪神淡路大震災のころには
ソーイング関係の仕事が増えはじめていた。
毎年1月17日には、
阪神淡路大震災のニュースが流れる。
けれども、なんだか他人事だ。
それよりも私は必ず
その翌月9日に自殺した
女性編集者のことを思い出す。
1月17日の阪神大震災は知っていた。
でも、3月の地下鉄サリン事件は、
知らないままだったんだ。
彼女のことを思い出すと、
手作りの細いネクタイと、
甘く煮たキンカンと、
新宿の夜景を思い出す。
彼女はラジオが好きだった。
彼女は、なぜか、
ツルシという編集者を好きみたいだった。
彼女は入院中、
毎日ラジオを聞いていたといった。
何度めの退院の直後だったか、
彼女が、「ユーミンがラジオで
ツルシさんのことを
すごい編集長だっていってたの、聞きましたよ」
と自分のことみたいにうれしそうに
いっていたことを思い出す。
あれは、1994年の秋のことだった。
1995年は、
阪神淡路大震災が起きて、
彼女が死んで、
地下鉄サリン事件が起きて、
ツルシが解任された年だった。
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