「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」64回 神田の大火

文●ツルシカズヒコ

 一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。

 神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続けた。

 全焼家屋は二千三百以上、焼失坪数は四万二千坪以上の被害を出した「神田の大火」であった。

 このころ、辻潤と野枝は染井の家を出て、芝区芝片門前町の二階家の二階に間借り住まいをしていた。

 芝には四月初旬まで住んだ(「雑音」/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』p190)。

 大火の夜、辻と野枝は半鐘の音で目を覚ました。

 すぐに窓の戸を開けた。

 火事はかなり遠くのように思えた。

「どこいらにあたるでしょうね」

「そうさな神田へんかな、それともーー」

「荒木さんが焼け出されてるのかもしれないよ」

「まさか」

 野枝たちは冗談を言い合いながら、そこに立って非常な勢いで燃える火で真っ赤になった空をいつまでも見ていた。

「だいぶひどいらしいな。ちょっと止みそうにないや、寒い寒い、もう閉めようじゃないか」

 ふたりは遠くの火事を気にすることもなしに再び眠った。

 翌朝、ふたりが起きたときに、いつもは早くから出かけてしまう階下の小母さんは、まだ火鉢の前に座っていた。

「おはようございます、火事がまあずいぶん大変でございますね。神田だそうですよ、なんでもまだ焼けているそうでございます」

「おや、まだでございますって、どこいらでしょう」

「なんだか三崎町の耶蘇の何かの家から出たのだそうですよ、今、鎌倉河岸(かまくらがし)まで焼けてきたそうです。それから九段の下から一ツ橋の方へもまわっているそうです。ずいぶん大変じゃありませんかねえ」

「それじゃ、きっと荒木さんの家も焼けましたでしょうね」

「うむ、むろん焼けたろうな」

「大変だわ、私行って来ようかしら」

「どなたかお友達でもいらっしゃるのですか」

「ええ、哥津ちゃんのところまで行けば様子がわかるでしょうね」

「そうだな、行ってみるといい」

 朝のご飯をすますと、野枝は大急ぎで麹町区富士見町五・十六の哥津の家に出かけた。   
 哥津の部屋に通ると、紅吉がマントを着た広い背中をこちらに向けて座っていた。

「さっそくだけど、荒木さんのうち大丈夫?」

「ええ、荒木さんのお家は大丈夫なのよ、私の学校は丸焼けよ」

 仏英和高等女学校に通っている哥津は、座るとすぐにそう言った。

「もう行つて来て、まだ焼けてゐるの」

「もう止んぢやつたわ、私もう今朝すつかり行つて来たの、それや大変よ、学校なんて、何一つ出てゐやしないのよ、ピアノから何から皆ーーずゐぶん惜しいことしちやつたわ」

「彼処(あすこ)の救世軍の寄宿舎から出たつて本当」

「えゝ、彼処からだわ、随分だけど広がつたものね、私の学校のマスールの云ふ事がいゝわ、何事も神様のお思召(ぼしめし)ですつて、他所から火事を貰つて焼け出されて、思召しもないもんだわね」

「其処が宗教家の立派さでせう」

 黙つてゐた紅吉がいきなり口をはさんだ。

「それやさうかもしれないけど馬鹿気てるわ、でも可愛さうだつたわ、私たちが今朝はいつてゆくとね、若い見知らない仏蘭西人(ふらんすじん)の女の人がウロ/\してゐるんでせう、何だかちつとも様子が分らないつて風してゐるから私挨拶したら一昨日仏蘭西から着いたばかりなんですつてさ」

「まあ気の毒だわね、そしてどうしたの、来る早々から焼け出された訳なのね」

(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年2月21日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p104/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p179~180)

 しばらく火事場の話が続いた。

 中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(p78~79)によれば、神田区三崎町二丁目にあった救世軍大学植民館寄宿舎から出た火は、三崎町一、二丁目、猿楽町に延びたが、荒木郁子の玉名館があった三崎町三丁目はすんでのところで火の手を免れた。

 荒木は『青鞜』三月号に近火事見舞御礼の広告を出した。

仏英和高等女学校2 ※仏英和高等女学校3

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(熊日出版・2003年6月24日)

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