「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」78回 フュウザン

文●ツルシカズヒコ

 木村荘太「牽引」(『生活』1913年8月号)によれば、六月十二日か十三日ごろの晩、長尾豊が荘太を訪ねてきた。

 荘太は友人である長尾に、自分が伊藤野枝に興味を持っていることを話していた。

 長尾はいきなり野枝のことを話し出した。

 数日前、生田長江を訪ねた折りに、野枝について聞いてみたという。

 長尾が長江から得た情報によれば、野枝には「ある人」がいて、それが夫なのかラヴァアなのかわからないが、その人が野枝の署名している翻訳の筆を執っているのだという。

 長尾はまもなく帰ったが、荘太は「ある人」に対して軽いエンヴイ(嫉妬)を抱き、いい知れぬ当惑の情を感じた。

 すぐに手紙を書いて、長尾から聞いたことが事実かどうか確かめようと思ったが、面倒くさくなってやめた。

 翌日、長尾から葉書が来た。

中央新聞』に野枝の記事が載っていて、それによると彼女には後藤某という内縁の夫があつて、近く出産したのだそうだ、ということが簡単に書いてあった。

 荘太は自分のことを一種の興味で見ているやうな長尾の葉書の書き方に軽い不快を感じ、ますます自分の気持ちが野枝から離れ去るのを感じた。

 もうこの件に関して、自分から何かしようという気が全然なくなった。

図書館へ行って新聞を見ようと思ったが、 それすら嫌になった。

 返事が来るかもしれない。

 来ないかもしれない。

 とにかく、会うという返事かもしれない。

 事実をハツキリ知らせてくるかもしれない。

 どうでもいい。

 それから十五日まで、荘太はフセーヴォロド・ガルシンの短篇小説の翻訳に没頭した。

 徹夜をして翻訳し終えた原稿を持って、佐藤惣之助の家に行ったのが六月十五日の夕方だった。

フュウザン』の同人が集まっていて、みんなで七月号の編集作業をやった。

 この号から「フュウザン」を「生活」と改題することになったのだ。

 作業を終えると、みんなで打ち上げをやった。

 夜の十時過ぎに高村光太郎がやってきた。

 明け方近くまで話し続けた。

 六月十六日は佐藤の家で昼まで寝て、夕方、下宿に帰ると野枝からの手紙が来ていた。

 手紙を手に取る刹那、荘太はまったく自分の知らない感情を蔵しているのに気がついて、驚愕した。

  手紙の内容によっては、自分が強い打撃を受けるかもしれないと思った。

 荘太は運命と面接するような気持ちがした。

 不安のほか何物も感じなかった。

  そして、やはり自分はこの手紙が来ることを待っていたーーそのことに気づいた。

 荘太は二、三分間、手紙を持ったまま開けることができなかった。

「市外上駒込染井三二九 辻方 伊藤野枝」と書いてある封筒を見詰めていた。

「本式な崩しの草書で、伸びやかに、うまい字」(『魔の宴』_p201)だった。

 荘太はその字に少し圧倒されるのを覚えた。
 
 荘太はますます不安になり、急いで封を破って読み始めた。

 荘太は野枝からの返信について、こう書いている。

  僕はこの手紙を何度読み返したらう。

 さうしてこの手紙を書いた人を幾たび想像したらう。

 この人がこの手紙を書いた気持をいくたびいろいろに推し量つたらう。

 繰り返しいくたびか読むうち、僕はだんだんこの手紙が好きになつた。

 僕にはその書き方からして、かなり筆者をよく想像し得るように思へた。

 Nから耳にした事がいつか頭から消えてしまつた。

 この手紙の書き方の自由さが、今度は僕にさういふ事實のあるといふのを疑はした。

 ただ何となくそれを否定するやうな気分にさへも僕にならした。

 といふより僕に全然その事を考へさせなくなつてしまつた。

 僕には野枝氏がかういふ字体で、かういふ返事をよこす人だつたのがただ嬉しかつた。

 そのほかに何もなかつた。

 僕は仕事をしてしまつてから、ゆつくり落ちついて会ひたく思つて、次の日とにかく返事を出した。

(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)

 Nは長尾豊である。

 荘太は野枝への第二信を、こうしたためた。

 御返事ありがたく拝見しました。

 それでは二十六日の午後に文祥堂へお伺ひする事に致します。

 電話を一寸伺ふ前におかけしてから上るつもりでをります。

 まづその節申あげます。

 私には今凡(すべ)て自身の上に起つて来る事毎がみな必然のやうに思はれてゐてなりません。

 かうしてあなたとお会ひすることもまたやはり一種の自然な機会のやうに思はれて参りました。

 私をして過日の手紙をあなたに差し上げさせたものはどいふ力でせう。

 あなたがその私に御会ひ下さらうとなさるのもまた何によるものでせう。

 私は敬虔に慇懃に運命と握手しながらあなたに御会ひする日を待ちます。

 私はほんとうにあなたの御手紙を読む事を喜びました。

 あのお手紙で私にあなたがこれまでよりもずつとハッキリ解つたやうに思はれたからなのでした。

 ではその節をお待ちします。

 六月十七日夜

 ○「フユーザン」が手許にありましたから同便にて御送りします。

 来月は「生活」と改題して同人が変更します。

 私はそれにガルシンを訳しました。

(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・第3第8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p160~161/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p26~27)

 野枝からの最初の手紙を受け取った際の心の高ぶりを、荘太はこう回想している。

 ……本式な崩しの草書で、伸びやかに、うまい字なので、それに心を第一ばんに打たれた。

 そして私はそのとき、水道端から麹町平河町に移って、ひとりでいたのだが、この心躍る会見の場所には、私の好きな旧知の築地を選んで、指定の日そこに行って会うことにして、このいかにも素直な感じのする文面を繰り返し読んで、心に刻みつけた。

 会わしめずに止まぬと期すように、全心力を打ち込めて書いた私の手紙ではあったけれども、その思いをこう予期以上になだらかに受け入れて来ている返事を見て、まず心の通ったことが知れ、胸が喜びにわななき震えた。

(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p202/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p164)

『フュウザン』復刻版

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

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