「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」97回 赤城山

文●ツルシカズヒコ

 一九一三(大正二)年六月末、らいてうは奥村博と新緑の赤城山に出かけた。

『青鞜』七月号の文祥堂での校正にらいちょうが不在だったのは、この赤城行のためである。

 新緑の赤城の風景のすばらしさについては、らいてうは長沼智恵子から聞いていた。

 野枝は『青鞜』七月号に、こう書いている。

 らいてうは此の号の編輯をすますと同時に廿六日の夕方東京を立つて旅に出ました。

 多分行先は赤城だらうと思ひます。

 白樺の葉の貼つたはがきを送つてもらう約束をしました。

 私はそれを待つてゐるのです。

(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40)
 
 らいてうは『円窓より』の印税が入ったので、ひとりで赤城山に行く計画を立てていたが、奥村がふと現れたので手紙を書いて誘ったのだった。

 私は去年の秋からきょうまで幾度《私の大事の(ママ)鳥は逃げました》と言っては嘆いたことでしょう。

 お許し下さい。

 私はときおり相手の誰彼を問わずそう言ってはずいぶん泣きました。

 あなたの自画像で顔を覆って動かなかったこともございます。

 あなたに接吻し、ペパミントを飲ませた気違いじみた行為も笑わないで下さい。

 月のはじめ十日頃までは私にとって自由な時です。

 私は今心もからだも疲れきっております。

 誰も居ないところへ、静かなところへ只ふたりきりで行きたいのです。

 あなたと私といっしょに赤城の山で一週間ほどの日を送って下さらないでしょうか。

 今私の部屋は綺麗な花で一ぱいです。

 幾種類もの百合の花が悩ましいまで咲き匂っています。

 自画像はいつ頃出来上がりますの。

 私に一番先に見せて下さることをお忘れにならないで下さいね。

 六月十七日夜半 昭

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p110~112)

 ふたりが赤城に出発したのは六月二十二日だった。

 その日の午前中、奥山は銀座に出て竹川町の亀屋で、バタア、チイズ、缶詰、ヴァン・ホウテンのココア罐、緑色の瓢箪型の壜に赤いラベルが貼ってあるフランスのジェ・フレエルのPipermint(ピペルマン/ペパーミント)を一本買った。

 奥村は出雲町まで来ると、角の資生堂に寄り、らいてうに頼まれた水歯磨(オドオル)と口中香錠(ゼム)を買った。

 千疋屋では果物を買った。

 築地の下宿に戻り昼食をすませた奥村は、近所のチャリ社で焼きたてのコッペや黒パンを買った。

 買い物の金はらいてうから渡されていた。

 旅費もすべてらいてう持ちである。

 奥村は買い込んだものを草の蔓で編んだ大きなサックに詰め込み、絵の道具を抱え、上野駅に向かった。

 らいてうと奥村は、上野駅から前橋行きの二等車に乗り、車室の前よりに、行手の向きに並んで座を占めた。

 昭子はエリヨトロオプの匂をほのかに漂わせながら、晴ればれとした顔を浩に向けた。

 きょうのこの人の装いを見ると、薄色のオオルドロオズの半襟に仕立下しの紺絣銘仙の単衣を着、濃オリイヴのカシミヤの袴をつけ、キャラコの白足袋に紺無地のヴェルヴェットの鼻緒のすがった南部桐の下駄を履いている。

 持物は鼠色(グレイ)のしなやかなアストラカンのマントオに洋傘、黒革の小形トランク一個。

 また浩は白のベレをかぶり、例の赤い刺繍をした麻のルパアシュカにホウムスパンの上着を抱え、鼠色(ミネラルグレイ)の大縞のコオルテンのパンタロンに野暮な編上げの兵隊靴という、まるでロシアの百姓とでもいったふうの身なりである。

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p116~117)

 その日、ふたりは前橋駅の近くに宿をとり、翌六月二十三日、赤城山に登り、大沼の小鳥ヶ島の岸近くの宿に投宿した。

 女中の風呂の知らせに、浩は先に母屋へ立って行った……。

 疲れたからだを浩は沁みじみ湯に浸っているところへ、昭子が入ってきたが、流し場は狭く、ふたり一緒にはいるには窮屈な据風呂で、彼はすぐ出て昭子にゆずった。

 ーー背中を流してあげましょうね。

 言われるままに浩は向き直り、風呂桶のへりに腰かけて、からだを昭子に任せて……。

 浩が昭子を流す番がきた。

 彼は……昭子の肉体にじかに手を触れながら、全身にオリウヴ油を塗りでもしたかと思われる、きめのこまかいなめらかな、小麦色に張りきった餅肌に心は強く牽きつけられたが……。

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p120~121)

 投宿して数日が過ぎたある日の昼すぎ。

 ふたりは大沼の湖畔に繋いであった小舟に乗り、奥村が櫂(かい)を漕いで小鳥ヶ島に渡った。

 らいてうは、こう書いている。

 全山萌えるような新緑に掩(おお)われた赤城の山は、満開の山つつじに装おわれ……。

 輝く太陽、蒼い空、野鳥の囀(さえず)りや花と森の香り、標高千三百余メートルの展望と鏡のような山上の湖

 このあまりにも壮麗な大自然の無限のふところのなかで、求め合っていたふたりの若い魂が、一つ命にはじめて結ばれることに、なんの儀式が必要でしょう。

 滑かな湖の上に、小舟を浮かべたふたりは「小鳥ガ島」とよぶ湖心の小さな島に、太古のもののような厚い苔や羊歯類の密生する緑のその島に、永遠の愛の証しを残すことをためらいませんでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p476)

 二週間ほど赤城山に滞在した奥村は、白樺の林や山つつじの咲き乱れた高原や、放牧の牛などのスケッチをして過ごし、七月七日、らいてうよりひと足先に山を下りた。

 有楽座で公演する伊庭孝の旗揚げ芝居、バーナード・ショウ『武器と人』の稽古が始まるからだった。

 らいてうはもう数日、赤城山に残り、『青鞜』に送る書きかけの原稿を書き上げることにした。

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

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