「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」108回 蕃紅花

文●ツルシカズヒコ

『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。

 ……実におはづかしいものだ。

 私はあのまゝでは発表したくなかつた。

 併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎかけたのだけれどもどうしても気持がはぐれてゐて書けないので、胡麻化してしまつた。

(「編輯室より」/『青鞜』1914年3月号・第4巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p66)

『青鞜』同号「編輯室より」には、前年九月に生まれた一(まこと)の子育てと『青鞜』編集者としての仕事の両立の難しさが垣間見られる、こんな発言もある。

 時間が欲しい。

 もっともっと確(しつか)りした智識が欲しい。

 中島氏訳の「サアニン」をよんだ。

 感想を書きたいけれども充分に断片的に浮んで一つ/\の考へを統一するに要する丈けの時間を持たない。

 一々しつかりした断定を下すに躊躇しなくてもいゝ程の自信のある根底の智識を持たないのがはづかしいと思ふ。

(「編輯室より」/『青鞜』1914年3月号・第4巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p66)

 紅吉と神近市子が東雲堂書店から『蕃紅花』(さふらん)を創刊したのは三月だった。

『蕃紅花』は尾竹竹坡の資金援助を受け、いかにも紅吉好みの芸術的な香りが高く、富本憲吉の表紙絵で挿絵も多い贅沢な雑誌だった。

 編集のやり方などどこか『青鞜』に似通うものがあり、また執筆者にも紅吉と親しかった小林哥津らが加わっていた。

 このころ、紅吉は青鞜社にもわたくしの家にもずっときにくい事情になっていましたから、わたくしにはこの雑誌の発行についてはむろん一言の相談もうけていません。

 また社へもわたくしへも雑誌を寄贈してこなかったようにおもいます。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』)

『蕃紅花』を手伝うようになった哥津は、やがて紅吉の仲介で尾竹竹坡の弟子の小林祥作と結婚することになる。

『蕃紅花』は長くは続かずこの年の十月号で終刊になり、翌月の十一月、紅吉は陶芸家の富本憲吉と結婚した。

 花嫁姿の紅吉の写真を見たらいてうは、唖然とした。

 習俗に殉じたようなその振袖、高島田の写真に、私はあきれるだけでなく、紅吉にかけた期待が大きかっただけ、失望をさらに新たにしました。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』)

 この春ごろ、荒木郁子の紹介で『青鞜』の発行販売を岩波書店が引き受ける話がまとまりかけたが、直前で破談になった。

 伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』が東雲堂書店から出版されたのは三月二十五日だった。

 野枝の処女出版である。

 菊半截判、定価六十銭。

婦人解放の悲劇」「結婚と恋愛」「少数と多数」「恋愛と道徳」、ピポリット・ハヴエル「エンマ・ゴルドマン小伝」、以上、五編を野枝が訳した。

「結婚と恋愛」と「エンマ・ゴルドマン小伝」はこの単行本にために訳出したもので、他の三編は『青鞜』に掲載したものの再録である。

 ハアベロツク・エリス「エレン・ケイ小伝」も収録されているが、これはらいてうによる翻訳である。

 野枝は「自序」で辻の力を仰いだことを明言している。

 私のこの仕事はまたTによって完成されたものであることを忘れません。

 もし私の傍にTがゐなかつたら、とても私のまづしい語学の力では完成されなかつたでせう。

 この事は特にハッキリとお断りいたして置きます。

「婦人解放の悲劇」自序」/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p12 ※「『婦人解放の悲劇』に就て」が『青鞜』四巻三号に掲載されたが、自序はそれに加筆したもの)

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば「この訳は、いずれも野枝さんの名前になっていますが、婦人問題にも興味を持っていた辻さんが、野枝さんを教育しようという一心で、ゴールドマンの著作や伝記を訳したのでした」(p497)。

 そして、らいてうが『婦人解放の悲劇』に自分が訳した「エレン・ケイ小伝」の収録をしたのは、「貧乏のどん底で赤ちゃんの生まれた辻さん一家の生活をほんの少しでも潤すことが出来ればとの願いもあってのこと」(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p518)だった。

「婦人解放の悲劇」自序で、野枝はエレン・ケイとエマ・ゴールドマンについてこう書いている。

 エレン・ケイに就いては自分は彼女の思想の中に、自分達と同じ系統をもつた意見を発見し彼女の議論に共鳴する或る者を見出すことが出来る。

 彼女の思想に興味を持つことは出来るけれども自分にはそれ以上に彼女に親しみを持つことは出来ない。

 ゴルドマンに於けるが如き親しみを感じないのは何故だらう。

 唯自分は……彼女の主張が自分達のそれに共通であるといふ点に興味を持つて、それを紹介したに過ぎない。

 ゴルドマンに就いて自分は沢山の言ひたいことを持つてゐる。

 まことに彼女の受けたなみ/\ならぬ圧迫と苦闘を思ひその透徹せる主張と不屈なる自信とまた絶倫の勇気と精力に思ひ到るとき云ひしれぬ悲壮な感に打たれる。

 そして自分たちのそれに思ひくらべるとき其処に大いなる懸隔を見出す。

 そしてまだ/\自分達の苦悶はなまぬるくそして圧迫は軽い。

 この時にあたつて自分はゴルドマンの如き婦人を先覚者として見出し得たことを限なく嬉しくなつかしく思ふ。

(「婦人解放の悲劇」自序」/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p11~12)

※伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』/国立国会図書館デジタル資料

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)

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